10 西の若者
ラスルの民のところへたどり着けば、サラニタが鳴いてエイルのもとに――文字通り――飛んできた。
「どうした? 首尾は?」
ピイ。
「判んねえな。うまくいったのか?」
ピイ。
「だから判んねえって。助けられたんならうなずけ」
こくん。
「よし、よくやった」
エイルが褒めると、鳥は青年の肩の上で嬉しそうに羽ばたいた。
「しばらく、物陰ででも休んでろ。塔に帰れるならそれでもいい。砂漠の民は不思議なことを敬遠しないけどさ、伝説の〈塔〉の主の上、砂神の使いみたいな鳥の主なんてのが加わるのはちょっとな」
ウーレの民の娘ミンが砂色の小鳥を「砂神の使い」と言ったことを思いだしてエイルは唇を歪めた。サラニタは少し不満そうだったが、おとなしくエイルの肩から飛び立つとぱたぱたと眩しい空へと舞った。
(素直でいいけどな)
(……待てよ)
(何で俺、あれが「嬉しそう」だの「不満そう」だのと判るんだろう)
(思いこみだな、たぶん。うん。そういうことにしよう)
魔力に磨きがかかっただの、サラニタと結びつきが強くなっただの、そういった想像はあまりしたくなかった。
集落に足を踏み入れれば、気さくな声がかけられる。エイルはその全てに挨拶を返しながら、ひとりを捕まえて「何か変わったことはなかったか」などと尋ねてみる。
「アタラが、西の若者を拾った。ロールーの使いのような砂色の鳥が、砂漠に倒れている若者のことを報せたんだ」
「へえ」
驚いたふりをする。嘘をつくようで少し気が引けるが、自分はそれを知っていて、鳥を送ったのは自分だなどと説明をする方が、気が引ける。
「それで噂の人物はどこに?」
「向こうだ」
ラスルの男が指差した先を見れば、成程、明らかに西の人間と判る誰かが明らかに砂漠の民と判るひとりと話をしている。エイルは礼を言ってそちらに歩を進めた。
「よう、アタラ。ラスルには近頃、客が多いみたいだなあ」
自分を含めて、である。エイルはそう言いながら挨拶の仕草をした。アタラという名の若者は同じ仕草を返してくる。
「この場所で西の人間が行き会うとは、珍しいこった」
エイルはそう言いながら警戒させぬように笑顔を見せ、相手を観察した。
二十歳前くらいだろう。砂漠で倒れ込んでいたためか乱れているが、きれいな金の髪をしている。青い瞳に白い肌。黒い髪に黒い瞳、黒い肌を持つ砂漠の民たちの間では、ずいぶん目立つ。
「何でまた、砂漠なんかに?〈失われた詩〉でも求める吟遊詩人かい?」
もちろん、この若者がスラッセンにいたことはオルエンから聞いているが、そんなことを言って警戒させても仕方ない。エイルは何も知らない振りをした。
「何。女を追ったらうっかりこんなところまできてしまっただけだ」
相手は肩をすくめてそんなことを言う。何とも剛毅なことだ。思わずエイルは口笛を吹いた。だが、続くアタラの台詞に、エイルはぱかっと口を開けることになる。
「細い身体の割にはなかなか豪胆だ、ヴェルフレスト」
その衝撃的な名前を残してアタラは彼らをあとにした。エイルは聞いた言葉が信じられないように、目を見開いて西の若者を見た。その名前を彼は知っている。幾度か聞いた、しかし、彼とは直接関わらないはずの人物の、名前。
その視線に気づいて、ヴェルフレストと呼ばれた若者は片眉を上げた。
「あー」
エイルはひとつ、咳払いをする。
「会うなり失礼は承知だが、ひとつ、頼みがある」
「……何だ」
少し警戒するように相手は言った。
「頼むから、あんたの名前がエディスンの第三王子殿下と同じなのは偶然だと言ってくれないか」
そんな言い方をすると、ヴェルフレストは笑った。
「生憎だが聞けないようだ」
その返答にエイルはがっくりと肩を落とす。
「そうだろうなあ」
「何故、知る」
王子は当然の問いを発したが、エイルとしてはそれに答えるよりも先にやらなければならないことがある。オルエンへの呪い、罵詈雑言一式、特別版だ。
オルエンが、スラッセンから追い出した若者が誰であるのか知らなかったなどとは言わせない。あのしおらしい様子に騙された自分が馬鹿だった。あれはエイルの気を引く演技だったに違いない!
言い残した悪口はないだろうかと思い返すように青空を睨みつけていると、視線に気づく。――しまった。王子殿下の御前であった。
「申し訳ありません、殿下」
目前で吐いた「下品な」言葉に対する謝罪もあったが、オルエンの無礼千万への詫びもあった。何故自分がオルエンの非を詫びなければならないのかと思いながらも、アーレイドで仕込まれた宮廷式の礼をする。王子殿下は鷹揚にも、儀礼は要らぬと仰った。
「この地では、西の地位など日を遮る役にも立たぬ」
成程、砂漠の太陽の力を知って殊勝になっているというところだろうか。それとも、元来こういった性格なのかは、エイルには判らなかった。
「確かにね」
エイルは笑って、その言葉に甘えることにした。
「それじゃ提案させていただきます、王子殿下」
「ヴェルでよい。言葉も、俺の身分に気づく前と同じでかまわぬ」
「へえ」
何とも、鷹揚である。どのようなつもりでいたにしろ、「女を追って」「うっかり」砂漠にやってきたなど、大した計画を立てる王子様だ。もともと儀礼にはうるさくない寛容な、或いは大雑把な性格をしているのかもしれない。
「それじゃ、ヴェル。『うっかり』踏み込んだだけなら、俺が西へ戻る手伝いをしよう」
そのつもりできたのである。だが突然の言葉であったらしく、ヴェルフレストは不審そうに彼を見た。
「お前は、何者だ」
これまた当然の問いと言えば、当然の問いである。
「ラスルの民は、俺を砂漠の友と呼んでくれるけど、まあ、俺のことはいいだろ。手助けするよ」
エイルは肩をすくめて言った。
「エディスンの術師をひとり知ってるから、連絡をして、近くの町まで迎えに寄越す。それから、エディスンへ帰るなり、旅を続けるなりするといい」
ウェンズ術師のことを思い出した。王子を知っているようなことを言っていたし、そうでなくても宮廷魔術師だか魔術師協会長だかの使いをやったくらいなのだから、何らかの権限があるだろうと踏んだのだ。
「待て」
だが、ヴェルフレストは遮った。
「話が早くて助かるが、早すぎる」
「もっとここでのんびりしたいのか?」
エイルが言えば、王子は首を振った。
「そういうことではない。お前は俺を知らぬのに、エディスン第三王子の名を知っていた。口にした謝罪が、無礼への許しを求めたものとも思えぬ。そして、エディスンの術師を知ると言い、あまつさえ、俺が旅を続けると言ったか」
拙かったかな、とエイルは思った。この殿下はどうやら馬鹿じゃない。ほんの言葉の端っこで、エイルが何か事情を知っていることを見て取ったようだ。
「言った」
仕方なく彼は認めた。
「事情はな、話せば長くなるんだよ」
魔物について調べようと思ったら偶然〈風謡いの首飾り〉を手に入れ、タジャス男爵と「知人」のカーディル伯爵からヴェルフレスト王子殿下の旅の話を聞き、伯爵を通してエディスンに連絡を取れば会いたいと言われて、出会ったウェンズ術師は彼がそれを持っていることを認めてくれました、などと言うややこしい話をどうやって説明する?
「俺は会う人会う人にいちいち全部を説明してやるのは面倒だし、必要なとこだけは話したように思う。西に帰してやる。そっちの魔術師と連絡を取ってやる。ほかに何か要りそうか?」
次々と起こるあれこれに、多少の苛立ちもあっただろうか。まるで言い捨てるような言葉が出た。ヴェルフレストは目を細くしてエイルを見た。
「お前は、スラッセンなる町にいた、白金髪の魔術師と何か関わりがあるのか」
「……何でまた、そんな」
思いがけぬ言葉にエイルは目をしばたたく。どうしてそんなことを? この王子殿下はもちろん魔術師ではないが、何かを見る力でも持っているのだろうか、と。
「よく似た、物言いだ」
それは衝撃的な台詞だった。
「……まじで?」
エイルは口を開け、呆然としそうになった。自分が、あれによく似た物言いをした?――そんな馬鹿な。




