07 話を早くすれば
数日が、空振りに終わる。
やはりレギスでシーヴを待ち伏せするのがいちばんではないかと思いながら、寝ぼけ眼で寝室から降りてきたエイルは、そこに嫌な顔を見た。
主たるエイルの許可なくこの塔に入れる人間はもちろんただひとりで、その影響力がどうとかいうクラーナの話を思い出したエイルは、オルエンの顔を見た瞬間、思いきり顔をしかめることになる。
だが意外なことに、それに対する苦情は飛んでこなかった。
と言うのも――何とも珍しく、若い姿の老魔術師はひとりで酒杯など傾けていて、エイルのその表情を見ていなかったのである。
思わず、青年はそれに声をかけるのを躊躇った。
「どう……したんだよ」
数秒の沈黙の後に、エイルはそっと言った。
「珍しいじゃないか」
「何がだ」
「そんな顔」
エイルは短く言った。そこには、彼がいままで見たことのない色があった。不敵な顔か恍けた顔か、ときには真面目な顔もするけれど、このような、疲れたような表情は見たことがない。
「何か、あったのか」
「あったとも言える。何かがないようにしたとも、言える」
出てくる言葉は普段と変わらず、意味が判らない。エイルは肩をすくめた。
「何も言う気がないなら、いいけどさ」
言いながら彼は部屋の片隅に行き、杯に水を汲んだ。
「何か言いたいから、ここにいるんじゃないのかよ」
「意外に、言うではないか」
オルエンは唇を歪めた。
「だって、そうだろ。ひとりで飲みたいなら場所はどこだってあるんだから、わざわざここにきて飲んでるってことは、俺か、それとも〈塔〉に話があるってことだ」
「ふむ」
エイルの言葉にオルエンは杯を置いた。
「そうなのかもしれん。誰かに聞いてもらいたかったのかもしれんな」
何ともらしくない台詞に不安のようなものを感じながら、エイルは椅子を引いた。
「どうしたんだよ」
「守らねばならんもののために、若者をひとり見殺しにしなくてはならぬというのは、あまり心楽しくない」
「……何だよ、それ」
見殺し、などという不穏な言葉にエイルは眉をひそめた。
「スラッセンにな、異分子が入り込んだ」
「あの砂漠の町か?」
大砂漠の西端にある、奇妙な石造りの町。エイルはそこに行ったことはないが、シーヴの話によればずいぶんと不可思議なところだということだ。〈砂漠の民〉はそこを〈哀しみの町〉と呼ぶ。
「そうだ。あの町は、追われ、逃げる者ための町。追う者がいては均衡が崩れる」
均衡。
クラーナとの話を思い出した。オルエンは均衡を重視しているというような。
「誰かが町に入り込んで、それを追い出したのか?」
「そのようなところだ」
オルエンは酒杯をもてあそんだ。
「てか、入り込めたのか? いったいどうやって」
「連れた者がいる。そこについては問題がない。その時点では、それも追う者ではなかったからな」
「ふうん?」
何だかよく判らないが何か事情があるらしい。
「大砂漠を知る者であれば生き延びようが。何も知らぬ若者では」
「おい」
エイルはついきつい口調になった。
「追い出したってのは、砂漠に放り出したってことか? それはないんじゃねえの?」
「だから心楽しくないと言っておる」
「あんたなら、西のどこにでもそいつを送ってやれるじゃないか。どうして」
「魔力を持たぬ者を移動させることはすまいと決めているのだ」
「何でだよ」
「昔」
オルエンは息をついた。
「そうしようとして、酷い失敗をした」
「酷い……って」
「それはもう、酷い」
説明はそこで終わる。オルエンが過剰な説明をしないのはかなりのことだ。
エイルはあまり考えたくないことを考えそうになった。たとえば、移動をさせた人間を死なせてしまった、それも――〈移動〉に伴う失敗について散々脅されたような、怖ろしい結果となって、というような。
具体的に惨状を想像をしそうになったエイルは首を振り、目前の話題に注意を戻した。
「つまり」
彼は言った。
「砂漠の知識をかけらも持ってない人間をこれから夜が明けようって大砂漠に放り出してきたと」
「話を早くすればそれだけのことだな」
「殺す気かっ」
先からオルエンは、望んでしたのではないというようなことを言っているが、「それなら仕方ない」などと話を終らせる訳にもいかない。
「スラッセン付近だな」
エイルは立ち上がった。
「どうする気だ」
「どうもこうもあるはずないだろ、あんたがやらないなら俺が助けるしかないじゃんかっ」
「広大なる砂神の敷地でただひとりの人間を探し出すか?」
「だいたいの場所が判るんなら〈赤い砂〉探しよりずっと楽だろ」
「助けて、どうする。ここへ連れてくるのか」
「んなこと、しねえよ」
エイルは口を曲げた。
「頭がありゃ、西へ向かうよな」
エイルは呟き、ううんと唸った。何だ、と言うように師匠は片眉上げる。
「あー」
青年は頭をかいた。
「あんたに相談するのは気に入らないけど」
何しろ疫病神にして諸悪の根源だし、と言えば、何と失敬な、と返ってくる。
「絶妙の案が同時に最悪の案だった場合、どうすればいい?」




