06 受け入れきれていない
レギス。
クラーナの言葉によれば、砂漠の王子殿下は中心部の中央寄りにあるその街へ出向かれたらしい。自身と馬の体力を省みずに全力で疾走すれば、シーヴならば数日程度で着いてしまうのではなかろうか。
と言ってもそこに一秒でも早くたどり着くことが目的なのでもない限り、〈砂漠の民〉が急ぐときのような有り得ない早さですっ飛ばしていることもないだろう。
ピラータの町から西へ向かう道は広い街道へと合流する。その街道は〈ビナレスの臍〉の異名を取るフラスの街へ向かったが、北西への脇道はレギスへと続く。シーヴはそちらを採ったはずだ。
エイルは迷ったが、ほかに選択肢はなく、体力の限界に挑戦することにした。つまり〈塔〉を中継してのとんぼ返りである。
ピラータにいるというムール兄弟に会わなかったことに気づいたのは、塔へ戻ってからである。久しぶりに友人の顔を見て、業火の神官に関わる忠告をきちんとしておけばよかったと思ったが、関わっているのならば既にその危険性は知っているはずである。いまさらエイルが忠告をする意味もないだろう。そう考えて、戻ることはやめた。
もし、エイルがそのとき彼らを訪れて話をしていれば、彼らの運命はいくらか変わったかもしれない。エイル自身の運命も。
だが青年魔術師はそれを知らず、知ったところで、変わらなかった何かに思いを馳せても何にもならない。
「〈移動〉の術をもう少し学べばよいではないか」
と言うのが、戻るなりレギスに行くと言った主に対する〈塔〉の言だった。
「ピラータからここまでと、レギスまでと、どちらが近いと思っている」
「そりゃレギスのが断然近いことは知ってるさ。でもできないことに挑戦して大失敗するより、お前の力を借りた方が確実じゃないか」
「できないのではなく、やらないのだろうが」
その指摘にエイルはぐうの音も出ない。
「判るか、やっぱ」
彼は呟くように言った。彼は――やらない。できるのできないのと言う前に、試さない。それは、事実だった。
「私はオルエンではない。主よ、お前に魔術師の自覚を持てだの、術を使いこなせだの、そのようなことは言わない。だがお前は怖れている。それは勿体ないと思う」
「もったいないだって?」
「そうだ。お前は私に、力があると思うだろう。お前の行きたい場所に正確に照準を合わせる。やろうと思えば、お前の小さな生家の内にさえ、移動させられるだろう。お前はそれを望まぬが」
「母さんに殺されるね」
「アニーナ殿。お会いしてみたいものだ」
「腰抜かすよ」
母の前で魔術めいたこと――と言うよりも、魔術そのもの――を何かやれば、とんでもない罵倒の言葉で迎えられる。喋る塔の存在など、頑として信じないか、母の心臓を止めるかもしれない。
魔法など忌まわしい。その思いは多くの人間のうちにあり、エイル自身、数年前まで魔術師なんぞを見かけたら魔除けの印を切っていた。
それは同時に、怖ろしいと言うことでもある。
アニーナは息子を怖れるようなことは――幸か不幸か――なかったが、それでも魔法などと言うものは怖いのだ。それが、当然なのである。
そしてエイルは、そうでなくなっていく自分が、怖い。
リ・ガンと言われる奇妙な存在であった一年弱、「ただのエイル」に戻れる日はもうこないだろうと思った。担わされた役割が済み、強制的な運命からは解放されても、やはり彼は元通りではなかった。
体験した出来事は、少年を精神的に成長させただろう。だがそれ以外にはっきりと変えた、それが魔力の存在である。
面白いと思うこともある。知らなかったことを知り、使えなかった術を操ること。そして同時に、それを面白いと思う自分が嫌になることも。
オルエンが、シーヴが、クラーナが、以前から彼を知る人々が、魔術師である彼を受け入れている。なのに、彼自身はまだ受け入れきれていない。
「エイル」が「魔術師」であるということ。
魔術を繰りながら、それを否定したがっている。〈塔〉はそれを指摘したのだ。
「少し意地悪を言ったようだ。許せ」
「いいよ」
エイルは曖昧な笑いを浮かべた。
「事実さ。たぶん……いまに判るようになるんだろうよ」
青年はアーレイドの騎士を思い出してそんなふうに言った。
はじめてアーレイド城に上がり、戸惑うことばかりだったエイル少年に、ファドック・ソレスはよく言った。「いまに慣れる」「いまに判る」と。実際、城の生活には慣れ、シュアラとも――それなりに――解り合った。
どんな運命にも、人は慣れるのだ。
(ファドック様だって、護衛騎士から近衛隊長、いまじゃキド伯爵のあとを継ぐなんて話になってるもんなあ)
(全部受け入れているように見えるけど、迷いもあるんだと言ってたっけ)
(あの人は、それを見せない)
(石造りの塔に迷いを見抜かれるようじゃ、情けないかな)
「何か言ったか」
「言ってないよ」
エイルはひらひらと手を振った。
「レギスに先回りしてもシーヴの目的が判らないんじゃ、ぼんやり待つだけになっちまうな。全く、勝手なことしやがって」
言いながらエイルは「目印」であった短剣を取り出すと嘆息した。
「居所が判れば早いのに」
「何のためのサラニタだ」
「はっ?」
エイルは思いもよらぬ名前に目をぱちくりとさせた。〈塔〉は鼻を――どうやってか――鳴らす。
「どこにいるのかも判らないオルエンを探し出したのだぞ。ピラータからレギスの道中にいるであろうシーヴを見つけるなど造作もなかろう」
「でも、母さんに預けちまった」
「それなら夜の間だけ、使ってはどうだ」
「んな阿呆な。鳥は夜目が利かないだろ」
「鳥が夜に飛ばないのは、餌になる羽虫がいないからだ。そうでなくても、あれは鳥であって鳥ではない」
「そうかもしれないけど」
納得しかけてエイルは首を振った。
「いや、いくら何でも無理だろ、一晩じゃ」
「それならば幾日か続けて試してみればよい」
〈塔〉は気軽に言った。
「使い魔の能力くらい、把握しておいた方がよかろう」
自分の能力が把握できない代わりにな、と〈塔〉はつけ加え、主から呪いの言葉を返礼された。




