07 選んでしまっている
彼は友人の弟のことを思い出した。
「導師、数月前、このアーレイドで起きた火事と、街なかでひとの命を奪ったって火の魔法ってのは……まさか」
「幸か不幸か、あれは業火の力とは異なる。尋常でない強さだったが、魔術師の仕業だ。だが、業火の神官どもとの関わりは否定できない」
スライは素早く答え、その件を知っていることを示した。
「協会が神殿の仕事に首を突っ込む理由は、それを含めてふたつだ」
そう言うとスライは指を二本立てた。
「炎の使い手のほかにも、何かあんのか」
街なかで危険な術を行使し、他者を傷つける。それは、たいていの物事には鷹揚な魔術師協会が唯一はっきりと禁忌とすることで、そのような真似をした魔術師は必ず処罰を受ける。
だが導師はそれ以外にも「調査」をする理由があると言う。
「ひとり、未登録の術師がいるんだ」
「やばい奴か?」
魔力を持つ者は、それがどんなに些細な力であっても協会に登録をしなければならない。隠そうとしたところで協会はそれを知るから、ごまかし続けることはできない。
毒にも薬にもならないような力であれば協会も登録を急かさないし、実質放置したままということもあるが、もし危険な術――炎の魔術などは、筆頭とも言える――を操れる者が未登録のままでふらふらしていれば、協会は使いを立て、登録の義務を思い出させる。
「いや、魔術として発現しているのは夢見だけだから、大した危険は伴わない。あまりに未登録の期間が長ければ使いを立てることもあるがな」
「それで、立てたのか?」
「それが」
スライは唸った。
「例外もある」
「例外?」
エイルは片眉を上げた。
「魔術師は全て協会に登録すべしってのは、最大にして大前提だろ」
「まあ、それはだなあ」
導師は迷うように頭をかいた。
「知りたければ、お前の師に尋ねろ。それを知っても問題のない段階かどうか、判断が付くのは俺よりもそちらだ」
「あんまり訊きたくないんだけどな、うちの師には」
「なら、いつか判る日まで待っているといい」
それがスライの回答だった。納得したとは言い難いが、オルエンに素直に質問をするか、いつか判らぬ日まで待つかと言う選択肢なら、切羽詰まっていない限りは後者を選びたい。
「問題なのは、それが魔術師であることじゃない。精霊師の可能性があることなんだ」
「精霊師?」
「知らんか?」
「大まかには知ってる。魔力とは違う力を持つけど、たいていは魔術師として生きてるって」
「たいていと言えるほどの人数もいないんだが、まあその通りだ。当人は何か奇妙な力が現れれば自分には魔力があったのだと思う。精霊の力は一般に知られていないから当然だ。そうなれば該当者は魔術師協会へ登録にやってくる。協会は、少しばかり風変わりな力でも、生得の力であれば魔術師だと簡単に登録をする。精霊師であるとはっきり判れば魔術とは違う訓練を施すこともあろうが、多くはまず、疑ってみることもしない」
「怠慢じゃねえの」
「そうだな」
青年の指摘に導師は笑った。
「だが大きな問題ではないんだ。魔力とは似ているが異なる。ということはつまり、異なるが似ているということでもあるからな」
ただの言い換えのようだが、確かに逆の見方をすればそうとも言える。
「ビナレスのなかには精霊師の教育に力を入れている協会もある。まあ、異端だがね」
神殿ふうの言い方でスライはにやりとした。
「ともあれ、魔術師協会は既にこの件に関わることになってる。放ってはおかん、安心しろ」
スライの言葉にエイルは安堵を覚えた。いささか情けないとは思うが、実際のところ、自分には獄界神の神官などをどうにかすることはできない。協会が動いてくれるのであれば最上だ。
「火の魔術師の件はなあ、実はエディスンとアーレイドのみならず、ビナレスの全魔術師協会が頭を痛めてることなんだ。街のなかで人間を焼き殺す魔術を使う。気狂いだろうと信念があろうと、普通で考えればとっととお縄だ。だが神官のこともあって、容易に手が出せない」
「それって、何でだよ」
エイルは目をしばたたいた。
「まさか八大神殿が獄界神の神官をかばう訳でもないだろ」
「当然だ。神殿だってもちろん、業火の神官どもなんぞ根絶やしにしたい。魔術師協会と神殿の間に問題はないが、神殿同士の間に大した問題があってな。これはお前には関わりのないことだ」
導師の口調は変わらなかったが、エイルはそこに禁止を聞いて取った。「関わるな」「興味を持つな」と言うのだ。
一青年としては、口に出されなかったとは言えその「命令」めいたものに少し腹を立てたが、一魔術師としては非常に納得のいくことで、彼が口を挟む問題ではないことを理解できた。
これにくちばしを突っ込みたかったら、おそらく協会の一員として動くことを求められる。
そうなれば、これに関わる件は全て無条件で供出しなくてはならない。
例の首飾りも。子供――小鳥も。
厄介払いができる、と言えばできる。
エイルのような弱輩よりも、この件に相応しい能力を持つ術師がそれを仕切ることは、お互いのためにもなる。
だが幸か不幸か、青年は知っていた。たとえ、ここで面倒ごとを全て協会に押しつけてしまっても、彼は彼の運命から逃れることはできない。
「お前が何に関わるのか、俺も全部判っている訳ではない」
まるでエイルの心を読んだかのように、スライは言った。
「だが、獄界神の神官のことはもう忘れていい。協会という『組織』に任せろ」
「……お願いします」
本意だとは言えないが、自分には力がない。できないことをできると言い張る気質は、彼にはなかった。
スライはやはり彼の心を見て取ったようにうなずくと、青年の肩を軽く叩いて、もう一度「任せろ」と言った。エイルは少し苦笑いをして、やはり同じように「お願いします」と答えた。
導師はそれに再びうなずき、そろそろ客人がくるだろう、と部屋をあとにした。
それを見送りながらエイルは、奇妙な不安を感じていた。
彼の運命は、彼のものだ。
業火の神官については、おそらく彼の定めとは関わりがない。役割はあったけれど、それは伝書鳩のようなもので、ここまでだ。
だが、逃れ得ぬ運命というものがある。
少年だった頃、彼はそう言ったものを嫌った。嫌ったと言うよりは、怖れたのだろうか。
自身の力ではどうにもならない、それは〈世界の中心〉コルファセットの大渦もかくやという、強い渦。彼はそれに巻き込まれることを怖れ、逃げようとしたこともあった。だが、渦はそんな彼を容赦なく飲み込んだ。
いや、そうではない。
彼は巻き込まれたのではなく――選んだのだ。
本当に逃れようとすれば、ほかにも道はあっただろう。そしてその結果はおそらく、彼自身から生涯、肉体と魂の自由を奪い、ビナレス全土を混乱に巻き込むことともなっただろう。
そのことを知っていた訳ではなく、渦に翻弄されたことは否定できないけれど、彼は運命という強い力から逃げ続けるのをやめて、正面から立ち向かった。
それは彼の運命であり、同時に、選んだことだった。
首飾りについても、例の子供に関しても同じこと。
彼はいつだって、あの首飾りを捨てることができた。いまでも、できる。導師に事情を話して、お願いしますと言えばいい。スライであろうとダウであろうと、あの呪いに屈するようなことはないだろう。エイルが見て取れない多くのことを簡単に見て取るかもしれない。
だが彼は、発端がオルエンの持ち込んだ話であることに重きを置いた。自分の運命であるとは言いたくない。だが、自身の為すべきことと位置づけ、放り出さずにきた。
そして子供だ。
小鳥がカーディルで彼を見つけるまで、ひと月以上の時間があった。
その間、ひとりの術師も「あれ」に気づかなかったとは思えない。
誰かがあれを見つけ、魔物だと殺そうとするのか、面白いから飼ってみようと思うものかは判らない。だが誰もそうせず、或いは、そうできなかった。
あれは、エイルのもとに戻ってきたのだ。
〈初覚え〉なのか何なのかは知らない。
だが、あれはエイルのもとに戻ってきた。
そして彼はそれを受け入れ、〈塔〉の助言によったとは言え、使い魔のように使った。
ラスルの長の言葉を借りれば、エイルはもう、選んでしまっている。
これはエイル自身の、道なのだ。




