01 風向きさえよければ
目を開けると、エイルは息をついた。
書斎、というにはいささか狭く、飾り気も何もない部屋だったが、何かを読んだり書いたり考えごとをしたりするには向く。
ここでじっとしているとき、〈塔〉は滅多に話しかけてこない。
建物に対して自分の私生活を守りたいのどうの言う気はなかったが、話をする気分にならないこともあった。普通の家に同居人がいるのであればとりあえず扉を閉ざしてでもおけばよいところだが、〈塔〉相手ではそうもいかない。
実際のところは、〈塔〉は上手に主の気分の変化を読みとって、エイルに不快感を抱かせることはなかった。
もっともいまの彼は、話したくないのではなく集中したくてこの部屋にいた。
(どうやら、おとなしくしてるみたいだな)
彼は、シーヴがちゃんとピラータの町にいるかどうか、確認をしていたのである。
細かいことを言えば、本当に「おとなしく」しているかどうかは判らない。喧嘩騒ぎを起こしてしているかもしれないし、その果てに町憲兵の詰め所に閉じこめられているのかもしれない。そこまでは、彼の術では判らない。
だが少なくとも、ピラータの町からシーヴが移動していないことは判った。
エイルは少し迷う。
いったんピラータに戻って、シーヴと話をしてこようか。
小鳥にどんな力があるのか判らないが、数刻やそこらでオルエンを見つけ、あの魔術師を説得できるとも思えない。喋りもしないで、説得できるものかも、判らないが。
エイルはシーヴに、一日で戻るからおとなしくしていろと、そう告げたのである。とりあえずはピラータに行ってシーヴの前に顔を出すか。
(いや、伝言だけにしよう)
そう思ったのは、会えばゼレットから仕入れた話をしなくてはならないからだ。首飾りのことはともかくとしても、シーヴが追う話――東国の品を商う男の話はしなくてはならない。
そうなると王子様は、じっとなんかしていられないに決まっている。「この話がどこまで広がっているか調べる」どころか、「そいつらを見つけ出して根絶やしにする」と言い出すに決まっているのだ。
ごまかせれば最上だが、シーヴはその辺り、やたらと鋭い。だからエイルは、卑怯千万にも、一方的に言葉だけを送ることにした。
伝言と言っても「まるで魔術師のように」声を投げることはできない。
エイルの能力では、近距離にいる知り合いの術師にならばそういうこともできたものの、近くても見知らぬ相手や、親しくても遠くでは無理だ。
そうなればできることはひとつで、即ち手紙となる。
エイルは嘘でない程度に状況を説明し――ソーンの倒した魔物は関係なさそうだが、ゼレットから不思議な話を聞いて、気に入らないがオルエンに協力を求めようと探している――思いついて、商人のことも少しつけ加えた。ゼレットのもたらした話と妙な繋がりがあるようだ、詳しくは会って話す、と。
こう言っておけばシーヴはうろうろしないで――苛々はするかもしれないが――彼を待つだろう。
「〈塔〉」
「何だ」
声をかければ、どこからとも特定できないどこかから声が返ってくる。
「お前、俺をいろんなところに送れるんだから、物体だって送れるよな?」
「私に配達屋の代わりをさせようと言うのか」
エイルが封筒を持っていることに気づいたらしく――どうやって見ているのだろう――〈塔〉は言った。
「ご不満か?」
エイルは片眉を上げた。
「そんな低俗な仕事はできないとでも?」
「そうは言わない。どうして配達屋が低俗だと思うのだ?」
「俺が思うんじゃなよ。お前がそう思ったんじゃないかと思ったのさ」
「そのようなことは思わない。配達屋というのは大切な仕事だ」
私のところにはこないが、などと〈塔〉は言った。
「んじゃ、その代理は光栄だよな」
エイルは〈塔〉の価値観はどこから出てくるものかと首をひねりながら言った。
「シーヴに手紙を書いたら、ピラータの宿屋の、あいつの頭上までそれを放り投げられるか」
「難しいな」
〈塔〉は答えた。
「手紙には、意志がないだろう」
「……まあ、ないだろうな」
「私は『どこそこへ行こう』というお前の意志を頼りに照準を合わせる。アーレイドという遠い場所まで送り届けられるのは、かの街に対するお前の印象がはっきりとしているからだ。東国付近ならば『あの辺り』と言う程度の曖昧な印象でもどうにかなるが、やはり、意志が重要だ」
「んじゃ、無理か」
エイルは落胆した。いい案だと思ったのだが、駄目ならばやはり自分がさっと行ってこれだけ渡して戻ってくるようなやり方しかないだろうか――。
「できぬとは言っておらぬだろう」
「何だって?」
「私は『難しい』と言ったのだ。できないとは言っていない」
「なら、最初からそう言えっ」
エイルは封筒を卓に叩きつけた。
「風向きさえよければ、不可能ではない」
この場合の「風向き」は現実の、風神がもたらす空気の動きではなく、魔力の流れという意味であった。エイルのように魔力を持つ存在であればその流れに関係なく移動をさせられるが、そうでないもの、たとえば、一度シーヴをここから砂漠の端に送ったことがあるらしいが、彼のように魔力を持たない者にそうさせるとき、その風向きとやらが重要なのだと言うことだ。
「いまはどうだ?」
正直なところを言えば、〈塔〉が感じ取る大砂漠の魔法の流れについて、エイルははっきりと掴めていない。長年、その身を文字通り砂風にさらしてこそ感じるものであるのかもしれなかった。
「上々だ」
「よっしゃ。んじゃ、頼むぜ」
エイルは卓の上から封筒をつまみ上げると、〈塔〉に――どこにすべきかは不明ながら――示した。
「どうすりゃいい」
「見晴台がよかろう」
エイルが「跳ぶ」ときはいつもそこからだ。慣れてくれば塔のなかのどこからでも跳ぶことができるが、エイルは余程のことがない限り、外の見渡せる最上階を利用した。「出かける」のにはその方が相応しいという気が――何となくだが――するのだ。
だが実際、〈塔〉はそこからの方がやりやすいということらしい。エイルはうなずいて、石の階段を上がると最上階の床に手紙を託した。
「よろしく」
「判った」
〈塔〉が答えるが早いが、すうっと手紙が消える。まるで手品のようだ。以前よりは魔術に親しんだ身とは言え、何だか騙されているような気になる。
「……届いたのか?」
「届いた」
本当か、と返すことは避けた。能力を疑うような真似をすれば、〈塔〉の機嫌を損ねることになる。
「お疲れさん」
「このようなことでは疲れぬ」
「ただの挨拶だよ」
ねぎらったのにへそを曲げられてはたまらない。エイルは慌てて言った。だいたいどうやったら石造りの建物が「疲れる」ものか。
だが一方で、エイルの方は疲れている。
今日は様々な話と小鳥のために頭も疲れたが、続く移動で肉体的にも疲労しているのだ。手紙が送り届けられたのならもう休んでしまおう。彼はそう思った。
食べるものがないから、昼まで何らかの連絡を待ったら、やはりいったんピラータに行こう。シーヴをごまかすことはできないかもしれないが、今後の方策を話し合うことも可能だろう。巧く説得できれば、すぐさまシーヴをランティムに帰すことは至難でも、もう少しあの付近で商人たちについて調べると――中心部までは行かないと――言わせることもできるかもしれない。
彼はそんなふうに計画を立てた。
だがエイルは忘れている。自分が奇妙な渦のなかにいることを。
そういうときに立てた計画などというのは往々にして、簡単に崩れてしまうものである。




