08 真白い小鳥
ゆっくりしていけ、せめて飯でも食っていけ、とゼレットはソーンと同じことをエイルに言ったが、エイルは今度は頑として首を振った。
「それどこじゃなくなったんです。ゼレット様だって、やらなきゃならないことがあるでしょう。エディスンに伝言。相手が魔術師だってんなら俺がやる方が早いかもしれませんけど、万一ってことがある」
青年は防寒着を持ってきてくれた使用人に礼を言ってから続けた。
「宮廷魔術師なんかになれる人なら、俺より魔力が強くて当たり前です。その人が万一『呪いがかかっていようが何だろうが首飾りを寄越せ』と魔力を込めて言ってきたら、俺はたぶん逆らえない。だから、ゼレット様にお願いします」
「お前にお願いなどされれば、何でもやろう」
ゼレットは真顔で言った。どこまで本気か判らないが、少なくとも口に出しては本気だと言うだろう。
「それで、お前はどうするのだ。シーヴのところに帰るのか」
「不満そうに言わんでください」
エイルは眉をひそめる。
「あいつを放っておく訳にはいきません。あくまでも友人としてですからね」
ゼレットがおかしなことを言い出さないうちに、エイルは付け加えた。
「でもまず、〈塔〉に戻ります。本当にエディスンの風具とやらが関わってくるのなら、首飾りはあと回しって訳にもいかなくなる」
「砂漠の魔物」だの、「呪い」だの、この手の話はゼレットの好むところではない。普通ならば興味は持たず、関わろうともしないはずである。
だと言うのに、彼とは縁もゆかりもないエディスンなどに連絡をしようという。やはり、口ではどう言おうと、彼はギーセスという友人と仲がよいのだろうと思った。
エイルは少し羨ましかった。
と言うのは、「陥とす」つもりのない親しい相手に対しては、ゼレットの態度はこうだからだ。親友と言えるほどの相手であるくせに、ただの知人にすぎぬと言い、病を案じているくせに、死んでいたら笑ってやろうと思った、などと言う。
皮肉屋の友が増えるのは嬉しくないが、拒否しているのに言い寄られ続けるのも困るのだ。ゼレットのことを嫌いになって顔を見にこようなどと思わなくなるならいいのだが、そうはならないから本当に困る。
ともあれ、エイルの持つあれとゼレットが聞いてきたそれが同じ〈風謡いの首飾り〉であるならば――違ったら、むしろ驚く――立派な情報だ。伯爵は、エディスンやそこの王子のためではなく、友人のために北の街へ伝言を送る。
宮廷魔術師というのがどういう人物か判らないが、あの呪いは魔術とは違う。高位の魔術師に託しても解けるものではないのだと理解してくれることを願うばかりだ。
「宮廷魔術師」ならば王や貴族たちと近しいはずである。王宮内であの呪いが発動してしまったら、都市ひとつ滅ぼすことになりかねない。それはあまりにも怖ろしい想像だ。
高位の神官ならば呪いを解けるかもしれないが、それを可能とする能力を持つ神官に行き当たるまで、あれに西をふらふらさせる訳にも、やはりいかない。
悪魔の囁きのようなあの音色をどうにかするまで、首飾りは〈塔〉においておくしかない、とエイルは考えていた。
「こら! 待ちなさい!」
不意に、若い娘の焦ったような声が聞こえた。エイルとゼレットが振り返ると、使用人の娘が慌てたようにぱたぱたと走っている。
「どうした、キュレイ」
「ああ、閣下。カティーラを捕まえてください!」
「何」
言われたゼレットが、キュレイの指差した方向を見ると、彼の愛猫である白猫が駆けてくるところだ。
「鼠か何か捕まえたみたいです。遊んでるだけならいいけど、もし食べたら病気になっちゃうかも」
言われてみれば、白猫カティーラは何か小さい動物のようなものをくわえていた。
「それはいかん」
伯爵はかがみこんで白猫に向けて手を出したが、興奮している猫は主の言うことなど聞かず、足はとめたものの獲物をくわえた口から警戒するような唸り声を発する。
「エイル、何とかならんか」
「何とかします」
猫をおとなしくさせるような呪文があっただろうか、とエイルが考えながらカティーラに視線を送ると、猫と目があった。
すると突然、真っ黒だった猫の瞳孔がきゅっと小さくなる。カティーラは暴れ馬のように走ることはせず、ごく普通の足取りでエイルに近寄ってきた。
「おお、やるな、エイル」
「……いや、まだ何もしてないんですけど」
エイルが戸惑いながら言ううちに猫は彼の足元に寄り、すりっと身体をひとよせして、エイルの足元に獲物を落とした。
「ふむ。カティーラは滅多に鼠を追ったりせんのだが」
「そうですよね。普段そうしない家猫がそうするのは、子猫に狩りを教えるためだって聞きますよ」
「俺は子猫かっ」
エイルはキュレイに抗議の声を上げながらかがみ込んでカティーラの背を撫でる。猫は満足そうに伸びをすると青年のそばを離れ、唸ったことなど忘れたように主の方へと寄った。
「何ですかね、いったい。……っと」
カティーラが落とした「獲物」に視線を向けたエイルは少し驚いた。視線を向ける前は、珍しい白鼠だと思った。だがそうではない。
「小鳥だ」
「鳥? あら、可哀相に」
鼠なら可哀相でなくて鳥なら可哀相というのも生命の平等感に欠けるが、一般的にはそのような感覚だろう。
「生きてる」
「怪我をしとるか?」
「……いいえ」
エイルはそっと真白い小鳥を手にして、言った。掌にすっぽりと納まるような、小さな鳥だ。種類は判らない。エイルは鳥に詳しくないし、ゼレットもキュレイも同様のようだった。
「少なくとも血は出てない。骨とかは判らないです。ぱちぱち瞬きしてますよ、びっくりして硬直してる、みたいな感じならいいんですけど」
「白い鳥か。あまり見んな。どこから迷い込んだのやら」
「カーディル城で飼いますか」
「猫と鳥を一緒に飼う訳にもいかんだろう」
「まあ、そうですね」
エイルは柔らかい羽毛の感触を楽しみながらそう言った。
「でも、冬空に放すのも可哀相だなあ」
「では、お前が飼ったらどうだ」
「砂漠じゃもっと可哀相ですよ」
どうしようか、とエイルが小鳥を優しくひと撫ですると、ばたばたと羽が羽ばたいた。
「おっと」
猫に捕まった衝撃から回復したのか、とエイルがじっと見ようとすると小鳥は彼の掌から飛び立つ。
しまった、と思う間もない。
小鳥は青年の手から飛び立って――青年の、肩にとまった。
「……はっ?」
「あら」
「おお」
ゼレットはにやりとした。
「惚れられたな、エイル」
「んな阿呆な」
彼は自身の肩を見やりながら言った。鳥は尾羽を揺らしながら、肩の乗り心地を確かめるようにすると、納得したのか、羽づくろいをはじめた。
「俺は止まり木じゃないんだけどな」
「エイルに飼ってほしいのよ」
キュレイが楽しそうに言った。んな阿呆な、とエイルはまた言った。
「これだけ人に慣れてるなら、町の誰かが飼ってたんじゃありませんかね。いまごろ、どっかの子供が泣いてるかもしれない」
「それは言えるな」
「じゃあ、町憲兵さんに言っておくわ。そんなことがあればきっと子供が詰め所に行って『うちの鳥を探して』なんて無茶なお願いをしにくるでしょうから」
「そうだな、頼む、キュレイ」
主人の言葉に、使用人は判りましたと笑うと館内に詰めている町憲兵を捜しに行った。
「で、俺はどうしましょう」
「飼い主が見つかるまで、手懐けておけ」
「俺は、帰ろうと」
その「命令」にエイルは反論しかけたが、ゼレットは片手を上げてそれを制した。
「またその鳥がカティーラに捕まったら可哀相だろう」
こう言われてはぐうの音も出ない。不思議と猫は鳥を傷つけなかったが、次はどうか判らない。たかが鳥とは言え、エイルが見放したためにカティーラの遊び道具になって死んでしまったら、ちょっと寝覚めが悪い。
「仕方ない、判りましたよ。じゃあ、どっか小さな部屋を貸してください。こいつが飛んでっちゃわないように、そこにふたりで籠もってますから」
「ふむ」
ゼレットは顎に手を当てた。
「ふたりきりか。それは、妬けるな」
エイルは脱力した。




