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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
第1話 砂漠の魔物 第4章

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05 装飾品に関する話

 ゼレット伯爵の執務室にエイルが足を踏み入れたのは久しぶりだったが、部屋はエイルの記憶にある場所と相違なかった。

 伯爵位にある者が治めるにしてはカーディルはいささか小さな町であり、館もこじんまりとしている。ゼレットの先祖が位を得たときに何か事情があったのか、それはエイルには判らないし、ゼレットも知らないということだった。知らないことがあるだろうか、とも思ったが、少なくとも現在の伯爵は無駄に大きい領土では目が行き届かないからこれくらいでちょうどよいと考えているらしい。

 その鷹揚な気質は、警護に専属の兵を持たないことや部屋に派手な飾り物を置かない辺りにも現れている。ゼレット・カーディルが派手なのは男女関係だけなのだ。充分だと、エイルは思うが。

「先にも言ったように、ギーセスのところを訪れたらエディスンの王子殿下がいらっしゃった」

 伯爵は瓏草(カァジ)を手にするとそう話をはじめた。ギーセスというのはウェレス領の北方にあるタジャスの町の男爵らしい。

「少し驚いたが、もっと驚かされたのは、俺がギーセスに持っていった土産話を殿下の方でも必要としていたことだ」

「土産話って何です」

 エイルは当然の疑問を口にしながら、茶杯に口をつけた。それはな、とゼレットは言う。

「〈風謡いの(・・・・)首飾り(・・・)〉と呼ばれる、装飾品に関する話だ」

 結果、青年はカラン茶を吹き出しかける。

「どうした」

「……いや、すみません。続けてください」

 聞けば、それはタジャスの町に伝わる話であったらしい。

 〈風謡いの首飾り〉と呼ばれるものがかつてタジャスの町に存在した。それは風に美しい音色を奏でる不思議な首飾りであったが、あるときから呪いの首飾りと言われるようになった。

「呪い」

 エイルは繰り返した。

「何でも、とある悲劇ののち、その所有権を巡って血で血を洗う争いが起きるようになったらしい」

 ゼレットは厄除けの印を切りながら言い、エイルも違う意味でそれに倣った。

 邪に刺激された所有欲。――これは「あれ」と同じものについての話だ。

「見かねた賢者が、首飾りを大砂漠(ロン・ディバルン)に捨てに行ったと言う。そういう伝説、と言うとギーセスは記録だと抜かすが、とにかくそんな話があるらしい」

「呪いの首飾りが砂漠へ……ですか」

 これだ(レグル)という確信は強まるばかりだった。あまりにも一致しすぎている。

「まあ、それはギーセスの好きな話でな。俺は聞かされていて以前から知っていた。今回タジャスを訪れる際、ガルファーが途中でへばったので」

「誰です」

「おお、そう言えばお前は会っていないな。ウェレスの宮廷に詰めている俺の執務官だ」

「へえ」

 そう言えばタルカスもそんな名前を口にしていた、とエイルは思い出した。

 宮廷における執務官となると、カーディルで仕事をしているより気苦労が多そうだな、とエイルは思った。何しろ、宮廷というのは姫君でいっぱいである。そんなところで、よりによってこのゼレットの業務の手伝いなどしていれば、実際の仕事よりも醜聞の収拾に追われることは想像に難くない。

「途上で適当に休みながら向かった訳だ。そこで、奇妙な噂を聞いた」

「どんな噂ですか」

 尋ねながらエイルは、判るような気がした。

「うむ。歌を謡う砂漠の魔物、という話だ」

 これまた当たり(レグル)――である。

「砂風の強い日に歌を歌う魔妖が砂漠にいるという話、そして、それがある日を境に消えたという、それはそんな話だった」

 どの日が「境」であるか、エイルはよく知っている。だが彼はまだ口を挟まず、ゼレットの話を聞いた。

「ギーセスが喜びそうな話だと思って持っていけば、ヴェルフレスト殿下が興味を示された。殿下は風具と呼ばれるものを探していて、タジャスにあったと言う首飾りがそれではないかと思われていたようだ。そして、砂漠と、風の強い日に聞かれる歌というのに、首飾りの存在を感じ取られたらしい」

 どうやらヴェルフレストというのが、エディスンの王子の名前である。エイルは何となく、心にその名を刻んだ。

「風具って、何です」

「俺もよくは知らん。ギーセスはそう言うのが好きで、よく調べているようだった。ヴェルフレスト殿下の故郷エディスンには〈風読みの冠〉とか言うものがあるらしい」

「知ってます」

 思わずエイルは言った。ゼレットは意外そうに片眉を上げたが、ただ、そうか、と言うと続けた。

「風具と言うのは、風と名の付く不思議な装飾品というところだろう。詳しくは聞かなかったが」

「冠と何か関わりがあるんですかね」

「まあ、そうだろうな」

 ゼレットはどうでもいいという調子だった。

「ギーセスは酔狂にも、タジャスの町でその噂が聞かれないかと調べた。すると、その噂をしているひとりの商人(トラオン)が見つかった」

「商人ですって」

 エイルはどきりとした。まさか、クエティスだろうか。

「見つかったと言っても実際にいた訳ではなく、ツーリーとか言う商人がそんな噂をしていた、という事実に行き当たっただけだが」

「ツーリー」

 クエティスではない。「砂漠の魔物」の噂をする商人はひとりではないのだ。シーヴが知らなかっただけで、実は東国では珍しくない噂話なのだろうか。だとしたら、東国の青年の「問題」とエイルの「宿題」はやはり、大して関わりがないということに――。

「それは珍しい(・・・)東国の品を(・・・・・)扱う商人(・・・・)らしくてな、俺も商品を見てみたいと思ったのに行き会えず、残念だ」

 ゼレットの何気ない言葉にエイルはまたむせかけた。

「どうした」

「いや、その」

 東国の品を扱い、砂漠の魔物の話をする商人。

 これは、そんなによくいる存在だろうか?

「とりあえず、俺のことはいいです。それで、続きは」

 エイルが促すと伯爵は計るように青年をじっと見たが、やはり疑問は挟まずにそのまま続けた。

「ギーセスはその商人の足取りを追うことを殿下にお約束し、俺も何か判ればエディスンへ伝言を送ると約束をした。大砂漠(ロン・ディバルン)と言えば、俺にはお前が思い出される。何か話が聞けるのではないかと考えた訳だ。もっとも」

 ゼレットはじろりとエイルを睨んだ。

「俺のところへは滅多にやってこぬが」

「何度もきてるじゃないですか」

 エイルは抗議したが、伯爵は首を振った。

「少ない。毎旬はこい」

「無茶言わんでください」

「無茶だと。どこがだ。砂漠のただなかからアーレイドへ行くという話ではないか。カーディルの方が近い」

「そう言う問題じゃないです」

「ではどういう問題だ。やはり俺より、アーレイドの〈守護者〉の方がよいのか」

「そう言う問題でもないですっ」

 エイルはばん、と卓を叩いた。

「俺はアーレイドに仕事があるし、母親だっています」

「仕事ならここでもやるぞ。王城には及ばないが、お前と母親を養うくらいなら」

「あのですね、母さんは母さんでちゃんと仕事を持ってます。俺に養われたりしません」

「何と。ご立派だな。だがアーレイドでなければできない仕事でなければ、カーディルでもよいだろう。何ならこの館に住んでいただいてもよい。お前の母なら美人だろう」

「無茶苦茶言って人の母親に手ぇ出そうとしないでください。まあ、いくらゼレット様だって、母さんを陥とせやしないと思いますけどね」

「何。そう言われるとやる気が出るではないか。是非とも会わせろ」

「いい加減にしてください、そういう話じゃなかったはずなんですがっ」

「そうだな。お前がもっと頻繁に俺を訪れればよいだけの話だ」

 何故だかそういう結論になった。エイルは肩を落とす。

「話、戻しますよ」

「逸らしたつもりなどないが」

「なくても、逸れてます」

「そうだったか?」

 伯爵は肩をすくめた。つき合いきれない、とエイルは咳払いをして逸れた話を終わらせる。

「つまり、ゼレット様。エディスンの王子殿下が〈風謡いの(・・・・)首飾り(・・・)〉というものを探していて、それはどうやらタジャスの地にあったものらしい。そしてそれはかつて砂漠に捨てられて忘れられていたが、首飾りを身につけた、歌を謡う魔物の噂が立ち、もしやそれなのではないかと思ってその殿下が探していると、そういうことですか」

「そんなところらしい」

 ゼレットはうなずいた。

「そして殿下は、その魔物の噂を流した商人(トラオン)も探していると」

「そんなところらしい」

 伯爵がまた言うと、エイルは何とも困ってしまった。

 万一にもオルエンが全部見越してエイルにこの修行を押しつけたのだとしたら、やっぱり何か呪いの技を磨いて「師匠」に投げつけてやらなくては気が済まない。

 と言うのも、こうなるとオルエンは〈風読みの冠〉を探す兄弟の旅立ちの朝にエイルを連れ出して〈風謡いの首飾り〉のもとへと運んだことになるからだ。

 何も知らないなどと言っていたが――信用できるものか!

 それにしても、「風」と装飾品という組み合わせに似た感覚を覚え、調べてみる必要があるとは思っていたものの、まさか北方のエディスンではなく南方のカーディルでゼレットからその話を聞かされるとは思いも寄らないし、砂漠の民ラスルの長が口にした〈風謡い〉という言葉を本当に首飾りの名称として聞かされるとは驚きだった。

 ラスルの長は何かを知っていたのだろうか、とエイルは一(リア)思ったが、彼らは知っていることを隠すような人々ではないから、おそらくあの不思議な力で何かを感じ取ったのだろうと思い直した。そうでなくても、風に吹かれて音を鳴らす首飾りをそう表現するのは、そんなに奇抜なことでもない。


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