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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
終章 vol.3/3

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09 七つの姿持ちし

「いっこ、気になってることがあんだよな」

 エイルはゆっくり口を開くと、右手に木の杯を持ったままで指を一本立てた。

「何だ」

 沈黙を保ち続けなかった主に建物は安堵したとしても――声の調子にそれは表れなかった。

「俺さ。年、取んないのかな。クラーナがそうだったみたく」

 オルエンの話から〈塔〉がだいたいの推測をつけることは可能であった。そしてエイルの口にした疑問は、〈塔〉に主の選んだものをほぼ確信させたかもしれなかった。

「それは」

 〈塔〉はゆっくりと言った。

「十年ほどもすれば、判るのではないか」

「他人事だと思って気軽に言ってくれる」

「何と」

 顔をしかめた主に、できることならば〈塔〉も顔をしかめ返しただろう。

「エイルよ、私の思うところを告げよう。もしそうであれば、お前はオルエン並みに長い時間、我が主でいる訳だ」

 建物は淡々と言った。

「そうであれば、私は嬉しいのだが」

「……そりゃ、俺はどう反応したらいいんだ?」

 礼を言うのもおかしい気がして、エイルは呟いた。

「あたしも!」

 ラニタリスが元気よくぱたぱたと羽ばたいた。

「あたしもずっとエイルといるもん! 〈塔〉になんか負けないんだから」

 勝負を競ってどうするのかと思いつつ、エイルは苦笑を浮かべる。

「ずっと一緒」

 言うと鳥は椅子の背から飛び、エイルの隣で子供の姿を取った。

「あたしが長いことおとなでいる間、エイルも一緒。ね?」

 にこっと満足そうに言うラニタリスに、エイルは瞬きをしながら思い出していた。

 いつだったかの、〈塔〉の言葉。

『魔物の寿命は、二百年から三百年』

『言っておくが、最低でもだぞ』

「……あんま、ぞっとしない……」

「あっ、ひどーい」

「いや、お前がどうとかじゃなくて」

 言い訳をしながら青年は、しかし笑った。

「まあ、こんなの馬鹿みたいな杞憂(ゲルダ)かもしんないしな。十年もすりゃ、笑い話」

 どちらが笑い話となるものか。年を取らぬかと案じたこと、それとも、そのような影響などないと期待したこと?

「まあ、いいや」

 青年はそれでも、笑った。

「クラーナの後輩にしてオルエンの弟子じゃ、仕方ないかもなあ」

 不意に、子供が青年にしがみつく。

「何だよ?」

「こうすると安心するんだもん」

 幼子がやるようにそうして彼を見上げ、笑んだその顔は、しかし彼がこれまで見たなかでいちばんおとなびて、見えた。エイルは一(リア)、そこに十七、八の娘の姿を見たような気がして、瞬きをする。

 もちろん、それは気のせいだ。

 ラニタリスは、まだ十歳にならぬ程度の、子供の姿である。

「何か、悪かったなあ、しばらくかまってやらなくて」

 見えたものをただの気のせいと片づけて――予見、などと考えることはやめておいた――青年は言う。ラニタリスは鼻を鳴らした。

「コドモじゃないのよ、エイルがひとりでいたいときは、あたしだって〈塔〉だって静かにしてらるる(・・・)んだから」

「していられる(・・・・)

 どうにも間違って覚えているようだ、とエイルは正した。

「それにしてもしばらくの間、どうしてたんだ? 砂漠の散歩ばっかじゃ飽きるだろ」

「アキナイよ。風が吹くと見た目がすごく変わっちゃうの、面白いし」

 ラニタリスはエイルから手を放した。

「砂漠だけ飛んでた訳でもないよ」

「またランティムにでも?」

「行ったよ」

 あっけらかんと子供は言った。

「それから、エディスンとかも」

「エディスン? 何でまた」

 思いがけない地名にエイルは首を傾げた。

「見てきたの。面白かった」

「そうか? 大きい街だけど、空から見ても別に面白いことないだろ」

「面白かったよ。また行く。楽しみ」

 そう言って笑った子供は、あくまでも無邪気に見えた。

 だがこれは魔物だ。エイルはそれを知っている。

 もし――。

 オルエンは、もしエイルがあの日、死する魔物と出会わなければどうなったか、起きなかった未来の可能性を語った。

 西に出回ったら。砂漠の民たちの間に争いが起きたら。

 だが老魔術師は言わなかった。

 生まれた子供が邪に育ち、首飾りの不思議な力を自由にしていたら――。

 エディスン。

 かの街には〈風読み〉の司がいる。ティルド少年は〈風神祭〉の日にそうとは知らぬまま、ラニタリスに、いや〈風謡いの首飾り〉に向けて「その力を眠らせろ」と指示してきたことがあった。

 ならば、ティルドにはできるのか。魔鳥に属する不思議な首飾りの力を眠らせること。そうすれば、首飾りは鳴らなくなるのか。

 呪いが消え、「風具」とやらの力がなくなれば、それはただの美しい装飾品。

 あのとき、ラニタリスは力を眠らせることを拒絶した。「あたしの」だと言って。だが子供は認めている、ラニタリスのものはエイルのものであると。

 そうあれば、彼には命じることができるはずだ。ティルドに逆らわず、その力を失わせるようにと。

 エイルはじっとラニタリスを見た。子供はやはり無邪気に、エイルに微笑み返す。

「サラニタ。イフル」

 子供は、ぴくりとした。

「……いいや、やっぱ、ラニタリス、だよな」

 エイルが呟くように言えば、ラニタリスは安心したように見えた。

あれ(・・)、どうすっかな」

「あれ?」

「首飾りだよ」

 エイルは、それを収めてある箱が置かれる部屋の方に視線を向けた。

「鳴らないようにさせることもできるんじゃないかとは思うんだが」

「どうやって?」

「さあ。俺がやる訳じゃないから」

「そんなの、駄目」

 不満そうにラニタリスは言った。

やる(・・)んなら、エイルがやって。そうじゃなきゃ、イヤ」

 子供は何の理屈にもならない台詞を吐いた。エイルは瞬きをし、それから苦笑をする。

「主の責任ってか?」

「そそ」

 得たりとばかりに子供はにこっとした。

「まあ、それも一理ってとこか」

 彼自身でなければ駄目だ。

 風司の王に頼るのではなく、主たるエイルの意志でラニタリスにその力を使わせないこと、または使わせる(・・・・)ことができなくては。

「まあ、呪いのなくなったいま、あの音色は安眠にゃ便利だしなあ」

 魔鳥の主はそんなふうに言った。魔物は大いにうなずく。

「でしょ、でしょ?」

「ただし!」

 エイルは指を一本立てた。

「俺以外には、使うなよ。鳴らしていいのは、許可したときだけ。もちろん、俺に対しても」

「はあーい!」

 子供は伸び上がらんばかりに手を上げて返事をした。

 エイルは、知らない。いまや三つの名を持った砂漠の娘がエディスンで誰と会い、どんな言葉を交わしてきたのか。

 ラニタリスはそれをエイルに告げぬだろう。エイルを騙そうというのではない。ティルドを誘惑するに似た、あれを行ったのはラニタリス(・・・・・)ではなく(・・・・)サラニタで(・・・・・)あるからだ(・・・・・)

 子供を神秘の花イフルと呼び、隠されていた魔物の力を顕現させた呪術師は死した。だがイーファーは、魔鳥に術をかけた訳ではない。よって、目覚めたものが消えることはない。

 エイルは知らない。

 これは魔物だと自らに幾度も戒め、決して忘れないにしても。

 知らないのだ。彼を慕うラニタリス以外の姿を。

 七つの花弁持ちし砂漠の花。七つの姿持ちし砂神の娘。

 いつかは、知るだろう。「イフル」の名がどれほど強きものであったかを。

 しかしいまは、エイルがそこに見るのは、蒲公英(ラニタリス)。魔物も、演じてなどはいない。ただ、在るように在ろうとするだけ。

「あとは……保管しとくかどうかだよな」

 ラニタリスだけを見る青年は、呟くようにそう言った。

「どっか、やっちゃうの?」

「どうやら、ここに置いとこうと置いとくまいと、お前はあれを好きに取り出せるんだろ」

 それは、少なくともアーレイドの友人ユファスにはない特質のようだったから、「風司」に共通するものとも思えない。だが少なくともラニタリスは自由にしているようだった。

「たぶん」

 子供は曖昧に答える。

「呪いはなくなったみたいだけど、どっかにやる訳にもいかないか」

「もしかして、売って生活費の足しにするつもりだったとか?」

「あのなあ」

 子供らしくない物言いにエイルは眉をひそめた。

「そりゃ、確かに俺はいま、給金のない暮らしだけどな。魔術薬の販売許可証は持ってるし、生活に困るってことはないだろうよ」

 シーヴには協会で仕事をするようなことを口にしたものの、以前よりも協会は出向きたくない場所になっている。それとも、以前のように、かもしれないが。

「俺は手放せないけど、伝言は、送るかな」

「どこに?」

「首飾りがあったとこ」

 彼は呟くようにした。

「何とかっておうちに?」

「ラギータ家のことか?……いいや」

 青年は首を振る。

「あの家には、俺は寄れないよ。関係する人間をふたりも殺した」

 言って弔いの仕草をし、苦笑した。

「自分でやっといて、これ(・・)もないけどなあ」

 やる人間によってはそれはたいそうな皮肉、冷徹な仕草となったが、シーヴが見れば思っただろう。――それでも戻ってきている、と。

 躊躇い、迷い、矛盾、後悔。

 それらはエイルという青年が持つ特質でもあった。長所とは言えず、当人には悩みの種であっても、必ずしも欠点とはならぬもの。

「俺としちゃ正直、俺はあの家にいい思い出もない」

 エイルは先の話に戻した。

「ラギータ家とは違う『あったとこ』だ」

 エイルはそちらの方にだいたいの予測をつけて顔を向けた。

「俺はタジャスの男爵と会ってないけどさ、首飾りの伝承を気にしているらしい。呪いが解けたってな話は、伝えたいなと思ったんだ」


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