06 それでも、いいかな
「行けるよ、確かにね」
エイルはうなずいた。
「かかる時間が問題なんじゃない。判ってるくせにそんな言い方、よせよ」
「俺が何を判ってるって? さっきは『知らないのに』というようなことを言っただろう。ころころと一方的に結論を出すな」
若者ふたりはしばし睨み合うようにした。先に降参したのはシーヴである。
「王宮勤めを辞めて魔術師業などとは母上に喜ばれないだろうと、そんなところか」
「まあ、な」
エイルは肩をすくめる。違うな、とシーヴは思った。
「違うな」
そして彼は思ったことを言う。
「巻き込みたくない、か」
半分以上、当てずっぽうだった。シーヴは、エイルの母に迫った危険を知らぬ。だが、想像はできた。シーヴ自身に起きたような出来事がほかの誰かに起きていれば、エイルがどう思うものか。
「やっぱ、判ってる、じゃんか」
エイルは呟いた。
「そう。俺は母さんを巻き込みたくない。シュアラも。ファドック様も――ゼレット様も。それに、お前も」
「俺は除外しろ」
素早くシーヴは言った。
「たまには、巻き込め」
その言葉にエイルは片眉を上げる。
「今度こそ死にたいのか?」
「死なん。死ななかっただろう」
「それは単に、結果だろうがよ!」
エイルは呆れたような叫び声を出した。
「あのなっ、俺はなっ、お前を守って戦うなんてのはもう二度と」
「何?」
シーヴが聞き咎めると、エイルははっとしたようだった。
「いつ、お前が俺を守って戦ったと?」
シーヴ自身は守るの何のと口にしてエイルを困らせる癖があったが、逆にはない。一度だけそう言われたことはあったが――それは事実、それが「彼女」の定めであった間のことだ。
「その、それは、もののたとえだよ」
あまりにその場しのぎの雑な言い方にシーヴは思わず笑った。反応の素直な友人が、いまのは巧くなかった、と慌てたのが判る。
「だから、二年前のことで」
「へえ」
彼は唇を歪めた。
「そんなに守ってもらえていたとは。隠されし事実だな」
その言い方にエイルは困った顔をした。
「いいかエイル。俺はお前に守ってもらうつもりなんざ、ない」
「知ってるよ。でも、『つもり』がなくたってそういう結果になることだってあるもんさ。たとえだよ。もう、いいだろ」
友人がこの話題を終わらせたがっていることは明らかだったが、シーヴとしてはどうにも気になった。守られたと?――救われたと? いつ?
「……あのとき」
彼は呟いた。
「きていたのか、やはり」
嵐の夜。暗く寒い場所に沈み込む彼を引っ張り上げた手。彼を呼んだ声。
「な」
エイルは目をしばたたく。
「何の話だよ。俺は、ここにはもうこないと言って、それからいまが最初だ、きたのはよ」
「矛盾だな。さっきお前は、アルセントから話を聞いたと口走ったばかりだ」
ぴしっとシーヴが指摘すると、エイルはうなった。
「……帰る」
「逃げる気かっ」
させるか、と彼は思った。
「まだ話は終わってないぞっ」
「終わったっ」
エイルはじりじりと後退しながら言った。
「俺はっ、全部消えたかと心配したことが消えてなんかなかったことを知ったっ」
「何だって?」
「お前は、窓を開けた」
エイルは、そんなことを言った。
「そうでなけりゃ、俺はとうにここを立ち去って、今度こそもう二度とランティムの土を踏まなかったんじゃないかと思う。だけど、お前は開けた」
躊躇うようにしてから、エイルは続けた。
「本当は、切り離した方がいい絆だ。そう思う。でも、嫌なんだ。俺、そんなつもりなかったけど、賭けたんだと思う。ここは、どうか?――って」
彼は視線を落とし、だがすぐにそれを上げる。
「賭けに勝ったんだか負けたんだか判らないけどさ、でもお前はここにいて、そして……窓を開けた」
エイルはまた言った。
「判らんが」
シーヴは正直に言った。
「切り離した方がいいだって? 冗談も度が過ぎると洒落にならんぞ」
「冗談なら……いいと思うさ」
エイルはまたも視線を落とし、今度はそれは上がらない。シーヴは唇をかんだ。そこにある空気は、不意に重くなったようだった。
しっかりしろ、とシーヴは自身を叱咤する。気圧されてどうする、と。
何だか判らぬ、友人の荷の重さ。それを手助けるべき自分が、その荷に気後れしてどうする、と。
「エイル」
彼は友の名を強く呼んだ。その目線は、ゆっくりと上がる。それを認めてから、シーヴは口を開いた。
「俺は、馬鹿をやって死にかけて、そして戻ってきた」
少し間をおいて、シーヴは続けた。
「お前は?」
「俺は……?」
「戻ってこないのかと、言ってる」
友がどこに行ったのか。いや、どこにいるのか。シーヴはそんな疑念を抱いていた。
エイルは確かに、ここにいる。だが同時に、ここにいながら、ここではないどこかに心を――その半分くらいを置いたままでいるような気がした。
そこから戻ってこないのかと。
彼は、友にそう問うた。
東の風が吹く。
乾いたそれは、温く肌を撫でた。
「どうかな」
エイルは言った。
「俺の決められることじゃない」
「馬鹿言うな。お前以外の誰が決める」
「――女王」
「何?」
その呟きは小さくて、シーヴの耳には届かなかった。
「俺はさ、シーヴ。もしかしたらお前以上に自由を失った。負担を軽減したくて話をしたくなるのは、むしろ俺になるのかもしれない」
「何を言って……」
「それでも、さ」
シーヴの不審の声をエイルは遮って続けた。
「それでも、いいかな」
「判らんが」
彼はまた言った。
「駄目な訳があるか」
きっぱりと砂漠の若者は言った。
「こい。何度でも。それで、今日ごまかした話をいずれ聞かせろ。アルセントを問いつめさせたくなければな」
「……考えとく」
困ったような笑みは、しかし今度は安堵の色を伴ったように見えた。
「有難う」
エイルは静かに言った。
「俺、さ。その、たぶん、ちょっと、負けてた」
少し息を吐いて、エイルは続ける。
「でももう、負けない。負けらんないと思う。思えるようになった、ってのかな」
茶色の瞳が、黒いそれに合う。そこに、淀みはない。
「運命とかってやつにも、それから」
そして青年はにやりとした。
「お前にも、な」
その笑みに、シーヴこそが安堵を覚えた。
――エイルだ。帰ってきたと。そんなふうに感じた。




