01 カーディル
〈塔〉の力を借りて移動をすれば楽ではあったが、全く疲れない訳でもなかった。
また、〈塔〉はエイルを引き寄せたり飛ばしたりはできるが、あちらからこちらへと言うこともできない。
よって、エイルが一瞬で中心部付近から南方の地に行きたかったら、いったん〈塔〉に戻ってから南方へ向かうことになり、こういう連続の移動は健康な若者の身にもちょっとばかりきつい。
エイルはしかし、わずかに覚えた疲労を無視して、道を歩いた。
カーディルというの名の南の町は、想像した通りに雪に包まれていた。
少しばかり例年より暖かくても降るものは降るというところだろう。
特に厚い防寒着に替えることをしなかったのは、失敗だった。油断というところだ。カーディル城へたどり着けば充分に暖かいが、町の門から屋内まで、たかだか十分の道のりを歩けば、身体はすっかり冷えてしまう。
「何者だ」
城、と言ってもそう大したものではない。せいぜいが屋敷や館という感じである。ともあれ、彼がその門のところへ寄っていくと、門番が誰何した。いるのは専門の兵士ではなく、町の町憲兵の制服を着ている。領主の館にしては、これまたなかなか地味だ。
「こんちは、町憲兵さん。トルトかい?」
青年が寒さに身を縮ませながら挨拶をすると、町憲兵は警戒を解いた。
「何だ、エイルじゃないか。しばらくぶりだな」
「寒い内は、こっちまではなかなかきたくなくてね」
エイルが顔をしかめてそう言うとトルトという名の町憲兵は笑った。
「そいつは道理だな。残念だが、寒いなかやってきても、閣下はいまお留守だぞ」
「留守? どっかの酒場ででも飲んでんの?」
「いや、カーディルにいらっしゃらないんだ。ウェレスまで出かけられたついでに、北方のご友人に会いに行かれたらしい」
「北方?」
「タジャスと言ってな、ウェレス領の北端だ」
町憲兵の返答にエイルは笑った。
「こっちは、ウェレスの南端に近いじゃないか。ついでにしちゃ長旅だね」
「長年のご友人で、気が向くと突然ご訪問されるみたいだな。あの閣下だからいつも皮肉混じりだが、どうやらかなりご親しいようだ」
「へえ、そう。でも別に留守でもかまわないよ。俺はソーンに会いにきたんだ」
「ソーン様ならいらっしゃる。まあ、いてもいなくても、入って暖まったらいい」
「そっちは冷えてんだろうに、たいへんだね」
エイルは感謝の仕草をしながら気の毒そうに町憲兵を見た。
「閣下は鷹揚で、寒い間は警護なんぞしなくていいと仰るんだが、こちらとしてはそうもいかない」
「実際、要らないんじゃないの。賊だって、いまどきは寒くて縮こまってるさ」
「かもしれんがな」
トルトは笑いながら門を開けた。エイルはそれに手を振って玄関へと歩く。
夏場は玄関前にも誰かが立っているが、今日はいない。これは、外の門番だけ置くという、言うなればカーディル伯爵と町憲兵隊の折衷案なのだろう。
エイルは大きな扉を叩いて、なかにいるであろう町憲兵か使用人が気づいてくれるのを待った。凍えるほど待つこともなく、それはゆっくりと開けられる。
「エイルじゃないか」
姿を見せたのは三十前後の青年で、一見したところでは生真面目そうだが、にやっと笑うと悪戯小僧っぽいところがあった。
「おっと、タルカス。どうしたの、執務官が門番代わり?」
「たまたま通りかかったんだ。よくきたな、入れよ」
言いながらタルカスは大きく扉を開けた。この青年はカーディル伯爵の執務を手伝う人間のひとりで、エイルと仲がよい。
「はあ、寒かった」
エイルは城内に入り込むと安堵の息をついた。タルカスは笑う。
「寒いなかをわざわざきても、生憎と閣下はお留守だぞ」
「門のとこでトルトから聞いた」
エイルは薄めの防寒着を脱ぎながら言った。寒い土地の建物というのはよく設計されていて、内部には全く冷気が入らないのだ。
「ソーンはいるんだろ? 俺が用があるのは、そっち」
「へえ、閣下が泣くな」
「知るか」
エイルはげんなりとして言った。
「まあ、そろそろ戻ってこられるだろう。北方を訪れてるにしてもちょっと時間がかかってるが、ガルファーから緊急の連絡もないから、高貴な姫君に手を出してついに捕まったとかどっかの亭主に斬られたとか言うんでもなさそうだ」
タルカスの解説にエイルは少し笑った。
「どうやら相変わらずのようで」
「全くさ、少しは変わってくれてもいいがね」
言いながらタルカスは、こちらだと言うようにエイルを手招く。
「いまどきは冬至祭だろ。領主様がいなくていいのかよ」
歩きながらエイルはそんなことを問うた。初めてこのカーディルを訪れたのは二年前の冬になるが、フィロンドの時季にはかからなかった。ここではどんな祭りがあるのか知らないものの、たいていは領主が祭りの開催を告げるなど催事を仕切るものだ。
「この辺りじゃ、派手なことはしない」
できないんだな、と青年執務官は言った。
フィロンドというのは、雪の三姉妹キャラーラ・ルーが暴れ回らないように祈りを捧げる祭りで、発祥をたどれば冬が厳しい南方と言うことになるだろう。
だが、それは各人が家庭のなかで、夕餉の祈りに加えるといった程度のささやかなもので、大々的な「祭り」などはない。
「それどころじゃないのさ、豪雪の被害対策に忙しくてね。ろくに降雪もないところでフィロンドが栄えるなんてのは、皮肉だな」
そう言ってタルカスは、領主たる伯爵がいなくても別に関係ないのだと示した。
「まあ、ウェレスの祭りはけっこう賑やかだがな、あそこはもう少し北だし」
彼は王城都市のことに触れて肩をすくめた。
「閣下のことだから、ギーセス様への見舞いのついでにウェレスの冬至祭を満喫してくるかもしれん」
つまりはどこかのご婦人と楽しんでくるということだろう、エイルは苦笑いをした。
「つまり、お戻りは相当遅くなってもおかしくない」
「俺はソーンに会いにきたんだってば」
エイルはまた主張した。
話しながらタルカスが彼を案内したのは、ちょっとした応接室のような部屋だった。
「ここで待ってろよ。すぐに茶を運ばせる。それからソーン様だな。お呼びしてくるよ」
「有難う、助かる」
少しすると顔見知りの使用人が温かいカラン茶を運んできて、エイルはしばし歓談した。
エイルはちょっとしたいきさつがあってこの城で働いていたことがある。そう長い期間でもなく、その際は、実にいろいろとあったものだが、友人と言える相手も幾人かできていた。
そんな知った顔たちとどうということのない話をしていると、そう経たないうちに、目当ての相手が姿を見せた。使用人は礼をして、入れ替わるように部屋を去る。エイルは去る者とやってきた者の両方にまとめて手を振った。
「久しぶり、ソーン」
「よくきたな、エイル。残念だが、閣下はお留守だぞ」
「どうしてどいつもこいつも。俺がゼレット様の顔見るためにここにくると思ってる訳か?」
エイルは思い切り、顔をしかめた。
「違うのか?」
「まあ、だいたいは違わないけど。そんなこと言ったら、あの人はわざと曲解するだろ」
「だな」
ソーンと呼ばれた若者は苦い顔をした。
それは二十代前半ほどの青年で、すらりとした身体をしていたが、剣士として鍛えた筋肉を持っていることは服を着ていても明らかだった。
濃い茶色の髪は短くきちっと切られており、無駄のない動きやしゃんとした姿勢はどこかの正規兵を思わせる。
エイルがソーンにはじめて会ったのは一年ほど前のことであった。
同年代の彼らは話も合って、何度か顔を合わせるうちにかなり親しくなっていた。館の主であるゼレット伯爵よりもソーンと話をしている時間が長いこともあり、ゼレットは不満がった。
カーディル城の主はエイルにやたらとちょっかいを出すが、エイルがどれだけ嫌そうな顔をしても、みんな他人事だと思って笑う。ソーンだけが一緒になって苦い顔をしてくれるので、エイルとしては味方を得た気持ちになっていた。
もっとも、その件についてソーンが伯爵に注進したり異議を申し立てたりすることはないのだが、ソーンはゼレットを苦手としているところがあるから致し方ない。エイルはソーンの抗議を特に頼みにはせず、ゼレットの苦情を単に無視していた。




