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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
終章 vol.2/3

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08 予言はせぬ

「ラニタリスもいる。賑やかさでは、お前ができて以来の日々になっておるだろうに」

「だが」

 〈塔〉は反駁した。

「エイルは暗い思いを抱いている。彼はそれに潰されそうだ。私ともろくに言葉を交わさない。『ただいま』だの『行ってくる』だのと言う、これまでほとんど無意識で口にしていたような言葉さえ、発さない」

 その声には、いままでエイルが、そしてオルエンすら聞いたことのない強い危惧があった。

「いまこそ、エイルにはぬしの導きが要るのではないのか」

「彼は乗り越える」

 オルエンは簡単に答えた。

「私は不要だ。新たに、よい師匠もできた」

「スライ殿のことか」

そう(アレイス)。彼は、エイルを在るままに導ける男だ」

「ぬしは」

「引退だ」

 オルエンは鼻を鳴らす。

「本気なのか」

「何だ」

 オルエンは片頬を歪めた。

「私が去ると言ったことは受け入れるようなのに、エイルの師を退くというのは納得がいかんのか」

「どうやらそのようだ」

 〈塔〉は他人事、または他塔事のように言った。

「ぬしは、彼を教え導きたいと思っている。少なくとも私はそう感じるようだ」

「何と」

 オルエンは肩をすくめた。

「私はそこまでお前を慧眼に作ったかな。それとも成長したか?」

 そう言ってから魔術師はうなずいた。

「認めよう。術を編むコツというような当たり前のことから――身に余る力をどう制御するか。人外に近づきすぎるなという警告も、いまとなっては足りていたとも思えん。魔鳥についてのみならず、ほかの魔族や上位精霊の類まで、理の違うそれらに呑まれるなと」

 彼は首を振った。

「教えるべきだったことの数々を教え損なったとも思っておる。ゼレット殿にはあのようなことを言ったが、私とて、手を引いてやりたくはあったとも」

 肩をすくめて老魔術師は言った。

「だが、本気だ。もはや私は不要で、彼にはほかによい師がおり、そして彼は自分で乗り越える」

 はっきり繰り返された言葉に〈塔〉はそれ以上口を挟まなかった。

「杖の残りの代金は、卒業祝い(・・・・)にチャラにしてやると言っておけ」

 不意ににやりとして師匠は言った。

「本当に、もう行くのか」

 〈塔〉は同じようなことを繰り返した。

「エイルを起こさず、何も言わずによいのか」

「お前から伝えておけ」

「彼はきっと信じぬぞ」

「では最後の命令だ。巧くやれ」

 〈塔〉の造り手は笑って命じた。

「さらばだ、〈塔〉よ。お前は、我が作品のなかではいちばんの出来で、いちばん優秀な息子(・・)だぞ」

「そうか。息子か」

 〈塔〉は──どうやってか──笑った。その笑いはどこか満足そうだった。

「私は今後、スラッセンにはまだ赴くこともあろう」

 かつて〈砂漠の守り手〉とされた男はそう言った。

「だが、ここにはもう足を踏み入れぬ」

その(・・)足では、か?」

 少し探るような〈塔〉の声にオルエンは片眉を上げた。

「疑り深いな。それはエイルの性質か」

「かもしれぬ」

 〈塔〉は重々しく答え、前の主は笑った。

「少なくとも『この足』がやってこないことだけは確かだ。そして、私がほかの身体を得ることがあるかと言えば、判らぬ。これは」

 言いながらオルエンは自身の身体を指した。

「予想以上によく耐えている。だが、行ってあと一年が限界だろう。そうなれば、私はおそらく、本当に黄泉路につく」

おそらく(・・・・)

そうだ(アレイス)

 〈塔〉の繰り返しにオルエンはまた笑った。

「予言はせぬ」

 そうつけ加えると老魔術師はまた弟子に視線を移した。

「実際のところ、女王がどのようにエイルを使うつもりであるかは全く判らん。クラーナのときのように、戻すことを義務付けられた狂った歯車などはない。次代のリ・ガンも、その親すらまだ生まれておらんやもしれん。ならば彼女はどうしたいのか。ただ、エイルを保有したいのか? 何の、ために」

 オルエンは唸った。

「防波堤、なのやもしれんな」

「それはどういう意味だ?」

「『防波堤』の意味か?」

 その問い返しに〈塔〉は――どうやってか――鼻を鳴らした。

「荒波を防ぐ壁であるという意味ならば判っている。私は生憎と『海』のことは知らないが」

 残念そうに〈塔〉は言い、オルエンは肩をすくめた。

「判っておるではないか。その通り(アレイス)。波を防ぐもの、危機から守るものだ。実際に高波がくるかどうかは問題ではなく、その備えとして必要であるもの」

 そう言ってからオルエンは首を振った。

「判らぬな。人間のことですら判らぬのだ。あのような、高位精神体のことなぞ」

「〈名なき運命の女神〉」

 静かに〈塔〉が口をはさんだ。

「私はその女王を知らぬ。だが、聞けば彼女はまるでそれのようだ。エイルの。そして、おぬしの」

「私の? 私は関係がない。あるとすれば――クラーナか」

 オルエンはすっと考え込むようにしたが、苛ついたように手を振った。

「ええい、いまさら時間が足りぬなどと思うことになるとはな! 私に残された時間は一年、あって一年だ、そしてこのことにかかりきりにもなれん。何という負債を手にしたことか」

「全て、負うこともなかろう」

 どこか気の毒そうに〈塔〉は言った。

「何故におぬしもエイルも、ひとりで全て背負おうとするものか。私に貸せる手はなく、荷を負う背もない。だが、おぬしらを見ていると、いたたまれなくなる」

「私も含まれるか」

 オルエンは皮肉めいた笑みを取り戻して言った。

そうだ(アレイス)

 建物は、その〈創造主〉にあっさりと答えた。

「ぬしとのつきあいは長いのだからな、ぬし流に言えば、感じ取るものがあると言うことだ」

 澄ました調子で言う〈塔〉にオルエンはにやりとした。

 それが、最後だった。

 もう、そのあとでオルエンは何か別れの言葉を発することはしなかった。

 そのまま、遙か昔に大砂漠(ロン・ディバルン)に〈赤い砂〉を求め、石の建造物を造り上げたレンの魔術師は、印ひとつ切らず、呪ひとこと唱えずに、彼が長きを過ごした場所からそのまま姿を消した。

 〈塔〉が何かを思ったとしても、建物は独り言を口にすることはしなかった。〈塔〉はやはりそのまま黙って――眠り続ける主を守った。


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