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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
終章 vol.2/3

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06 何を意味するのか

 心の疲弊は身体にも響く。

 「自宅」へ戻った青年魔術師は、〈塔〉の呼びかけにも曖昧な返事をしただけで、台所に行くと水の減らぬ水瓶から清涼な液体をすくって飲み干し、無言で固い椅子に座った。

 疲れたと、思う。

 こんなことはあまりなかった。

 何だか、何も考えられない。考えたくない。

 エイルは知らず、飾りものひとつない卓の上に突っ伏した。

 自然と瞼が閉ざされ、そうなると、睡魔に襲われる。

 生身ではあるのだな――などと奇妙なことをぼんやりと考えながら、エイルはそのまますうっと深い眠りに落ちていった。

「──風邪を引くと案じるのでもないが」

 音もなくその背後に現れたオルエンは肩をすくめると、手にしていたローブをぱさりと開いた。

「これくらいは、言うなれば親心というやつだ」

「エイルが聞けば、罵倒するぞ」

「聞いておらんのだからいいだろう」

 そう言うとオルエンは、上質の軽いそれを眠り込んだ弟子の背に羽織らせた。

「後手だな」

 老魔術師はそう呟くとじっとエイルを見た。

「後手だ」

「いったい、何があったのだ。エイルは何も言わぬ」

「それを私から聞き出そうとは、忠誠心(・・・)に薄いのではないか、〈塔〉よ」

 前の主の言葉に〈塔〉は――どうやってか――鼻を鳴らした。オルエンは片手を上げる。

「聞け。エイルは尋常ならざる道を選択した。お前の助力は、これまで以上に有用となろう。きっかりはっきり目を開けて、主の行く末を見守れ」

「命令か? 前の主」

「助言だ」

 言うとオルエンは上げていた片手を振った。

「さて」

 オルエンはエイルから視線を離すと石の壁を見た。

「ではお別れだ、〈塔〉」

 突然の言葉に、しかし〈塔〉は驚かなかった。

「行くのだな」

そうだ(アレイス)

「もう、戻ってこない」

そうなる(アレイス)。今度は、力ずくでとどめられるのではない、自らの意思だ」

「突然だな、主よ」

 そこでようやく、〈塔〉は言った。オルエンは肩をすくめる。

「何。私は戻ってこなくともよかったのだ。エイルがもう少し、自覚を持っていればな」

 青年の師匠はそう言った。

「だが、サクリエルとセシアラをいつまでも放ってはおけん。シルヴァラッセンのために尽力はしたが──もっとも期待していた北の外れ者(ラゲンド)はエディスンを終の棲家と決めておるし、南の魔女(リーエ)魔の山(ダラ・ザラス)にこもりきり。湖の幻術師(クレード)は噂先行の道化師(バルーガ)に過ぎず、ついでで出会ったハサードスの薬草学者、あの若き弟子は面白かったが、求める存在ではない。〈夜蒼のウラファール〉だけは連れることができたが、あれと組ませたら開花するのではないかと思った若者はアーレイドに取られた」

 オルエンは肩をすくめる。

「私がレンの外でできることはもうない」

「戻るのか。その街に」

「戻る。だがエイルには言うな」

「ぬしは私に命令はできぬ。前の主よ」

 〈塔〉は静かに言った。オルエンはにやりとする。

そうだな(アレイス)。命令ではない、頼みだ」

「なかなかに卑怯だ。そのように言われては、断れぬ」

 どうやってか、嘆息混じりに〈塔〉は言う。

「しかしエイルは、ぬしがその血筋であることを知っているぞ」

「そうだ。だがいまでも関わり、そのために動いているとは思ってもおらぬようだ」

 かつての〈ライン〉は続けた。

「告げずにいたのは、エイルに深く残るアスレンの影のこともある。だが、それだけではない。エイルの道はまた──レンのものと交わるであろう」

予言(ルクリエ)か」

「予言はしない。つもりだが」

 オルエンは肩をすくめた。

「見えるものは仕方がない。そのとき、私はエイルの近くにいるべきではなく、レンと関わることも知られているべきではない。知らせないのは、そのためだ」

「エイルに、何を見る」

「終わったはずのリ・ガンの定め。翡翠と関わる、守りの力」

 オルエンは呟くように言った。

「奇妙だ。クラーナにはそれがない。かの詩人だけではない、私は探したのだ、〈塔〉。先々代のリ・ガン、何代も遡り、その血筋を確認した。だが子孫はもとより、当の彼らにも何か変化があった記録はない。だが、エイルにはある。彼はそれを得た。これが何を意味するのか」

 〈塔〉は何も言わない。主の思索を邪魔せぬかのように。

「まるで待っていたようではないか?――エイルが抜き差しならなくなるまで」

 それが問いではなく、自身の考えをまとめるための呟きであることは〈塔〉には明白で、よって建物はやはり黙っていた。

「有り得ぬ。あのような存在は、ただ人(・・・)などに気を払わぬものだ。過去の関わりはともかく、エイルは彼の望んだ通り『ただのエイル』であったはず。魔力を持ってもな。女王が手駒にしたがるなど、クラーナや私に関わらぬ同様、あるはずがなかった。だが、誤りか? 私は、まるで若い頃のように、思いついたことを真実と取り違え、見るべきものを見なかったのか?」

 オルエンは規則正しく上下する青年の肩に手を伸ばしかけたが、思い直したように引っ込めた。

「選んだのはエイルだ。だが、選択肢を用意したのは女王。増えた選択肢を採っておきながら何故増やしたと文句を言うのは筋違いだと――私はかつて、こやつに言ったが」

 オルエンは首を振る。

「こんなふうに、その語が返ってくるとはな。後手だ。師匠が聞いて呆れる。何故、それを選ぶなと言っておいてやらなんだか」

「ぬしの言葉があったとて、エイルはそれを選んだのでは、ないのか」

 詳細を知らぬままで〈塔〉は言った。それは限りなく真実に近かった。

「……かもしれん」

 オルエンは両拳をゆっくりと握った。

「ラニタリス。サラニタ。――イフル」

 オルエンは言った。

「あれがいる限り、エイルは魔術師の道を捨て切れぬだろう。自覚のないまま、使いこなしている。そして首飾り。いや、魔鳥と首飾り、と言った方がよいか」


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