02 きっと帰ってくる
ウェンズは「協会」「魔術師全般」への偏見を助長することこそ避けたものの、自分自身への評判には頓着しない。たとえば、傷痕が目立つものであることは判っているし、隠すことが得策であれば隠すが、「怖がられるのが嫌で」だとか「驚かせたら悪いので」だとかいう理由で隠すことはない。それは相手のことだからだ。
こうした思考は、魔術師同士であれば自然な「魔術師の思考」で「魔術師の言葉」だ。そうでない人々には通じ難い。
しかしどうやらこの近衛隊長は魔術師の思考に慣れているようだ、とウェンズは気づいていた。「曖昧だ」「責任逃れではないのか」などと嫌がられそうな彼の「魔術師的な」言葉に、容易についてくる。
エイルの影響とは思えない。エイルはむしろ、魔術師めいたところが薄い。
護衛騎士にして近衛隊長たるこの男は、非常に実直な軍人だ。誤解を怖れずに言えば、愚直ということになるだろう。
だが、殊、エイルに関してだけは魔術的な事柄を魔術師の如く受け入れる。それがウェンズには少し不思議だった。
「ウェンズ殿」
ファドックは魔術師を呼んだ。
「改めて、伺いたい。魔術師としてではなく、彼の友人としての見地から」
「何です」
突然の問いかけに、ウェンズは姿勢を正した。
「どのように思われる。エイルの、此度の対応。突然の辞職と、あなたと連絡を取らぬこと」
「気にかかるのはむしろ、ファドック殿、あなたと連絡を取らぬことでしょう。王女殿下はもちろんのこととして、料理長にまで挨拶をしたという彼が、あなたの前にはあれ以来顔も見せていない」
ウェンズはそう言ってから肩をすくめた。
「そうですね、ある意味では――非常に、らしいと」
魔術師の友人たる魔術師は、そう答えた。
「彼は、何かを怖れている。そしてそれを自分ひとりで解決しようとしています。首飾りの呪いを抱え込んだときと一緒だ。誰にも手を借りぬと、借りられぬと思い込んでいるのだと思います。事実は判らない。私にも、あなたにも手は貸せないのかもしれない。けれどそれは問題じゃない。問題は」
「彼が、そう信じ込んでいること」
ファドックは言い、ウェンズはうなずいた。
「そうです」
しばしの沈黙が降りた。それを破ったのは、ウェンズだ。
「あのとき、彼はどこへ行くと言って去ったのです?」
これまで突き詰めたことはなかった一件をウェンズは問うた。しかしファドックは首を振る。
「判らない」
「何も言わなかったという意味ですか」
「いや」
騎士はまた否定する。
「はっきりと告げた。だが私は知らぬのだ。その明確な場所を」
もうひとつの翡翠があるところ。
エイルはファドックに、南の石、南の守護者との言い方こそすれ、ウェレス、カーディルとの地名を出したことはなかった。それは何も隠していたのではなく、ことさら特定して話をする必要を覚えたことがなかったためである。
それ以外にも、エイルは「終わったこと」をあまり話したがらなかった。ファドックはそれを尊重して余計なことは問わず、一方でゼレットはアーレイドのことを知っていたが、故郷のことであれば話にも上がりやすいというのと、ゼレットがしつこく問うたからである。
ともあれ、西の守護は南のそれを知らず、感じ取ることもなく、エイルの駆けていった先とその後の選択、青年の心と定めの流転を知る術はない。
だが、判らないと言ってそこで終わらせるつもりは、彼にもなかった。
「ウェンズ殿。あなたは、彼の気持ちを慮る必要がなければ、彼に会う手段をお持ちだろう」
「押しかけろ、と?」
ウェンズは少し面白そうに言った。
「そうではない」
ファドックも少し笑った。
「ただ、彼に戻ってくるつもりが見られぬままである場合、どうしても彼に伝えてほしいことがあるのだ」
騎士は笑いを納め、そう続けた。その声にこれまで聞かなかった色があることに気づいた魔術師は、濃い茶の瞳でファドックの黒いそれをじっと見た。
「伝えましょう。必ず」
「頼む。こう言ってくれ。――この城に眠るもののことを忘れるなと。その眠りが安泰であるか確認するために、必ずこいと。行うべきことをお前の責任において、と」
「責任」
ウェンズは繰り返した。殊、ファドックが口にするその一語は、重く聞こえた。
「彼がもっとも気にすること、或いはものがこの城にある。本当を言えば私はそれについて彼が担う責任などはないと考えている。だが」
ファドックは肩をすくめた。
「時には方便も有用だ」
その言葉にウェンズは瞬きをした。
「あの、失礼ですが隊長。それはつまり」
「そうだな。騙し討ちだと言ってもいい」
護衛騎士はそんな言い方をした。
「私は彼が気にかけることを知っており、それに何か危難あるやもしれぬぞと嘘をつくつもりだということだ」
あっさりと答えるファドックにウェンズは苦笑した。
「嘘だと、私に知らせてしまっていいのですか」
「何。協力者にはあらかじめ話を通しておかねば、無駄な齟齬を呼ぶだろう」
「成程。私を共犯者に仕立てるおつもりと」
「そのようなところだな」
「いいでしょう。ご協力いたします。実を申し上げれば、魔術で話をする際に嘘をつくことは難しいので、この場合は私も真実を知らぬ方が簡単でした。ですが、そこはうまいことごまかしましょう」
ウェンズは笑ってそう言ったあと、その笑みを消した。
「それほど、危惧されているのですね」
「否定はしない」
ファドックはうなずいた。
「彼がこうして――儀礼的な挨拶をして城勤めを辞し、アーレイドを去るのは二度目だ」
思い返すように騎士は言った。
「あのときは彼も私もまだ何も知ることなく、手探りで道を進んだ。いまでも、全て把握したとは言えぬ。だが知ったこともある。彼もまた同じだろう」
「知ったことはあり、それでも全てを把握してはいない」
ウェンズはあとを引き取って繰り返した。
「魔術師ではないあなたが危惧する理由が判ったように思います。あなたはもちろん予知をした訳ではなく、あのような態度は彼らしくないと、お思いでいらっしゃる」
そう言ってからウェンズは続けた。
「けれど、言いましたように、私は彼らしい気がすると思いますよ」
どこか困ったような笑顔が浮かぶ。
「巻き込むまいと、ひとりで抱えてしまっている。これまでの彼は、少々泡を食っても抱えたものを落とすことはなかったし、故郷を気にかけたり、ちょっとした皮肉を言うような余裕もあった。しかし此度は、それがない」
「それだ」
ファドックはまたうなずく。
「彼は余裕をなくしている」
ウェンズは、ひとりで抱え込もうとする様子がエイルらしいと考え、ファドックはその余裕のなさに危惧を覚えていた。
「事情は判らない。だが窮地にいると自身で考え、その思いに身を固くしているかのようだ」
言うと騎士は瞳を少し曇らせて続けた。
「かつて――私がそうであったとき、救ってくれたのはエイルであったのに」
ウェンズはその詳細を知らなかったが、問うことは避けた。何であれ、その出来事はこの実直な人物を深く抉ったままであることに気づいたからだ。
「すぐにでも、言葉を送りますか」
その代わりに魔術師はそう言った。ファドックは考えるようにする。
「時機については、お任せする。だが、いましばらくは待ちたい」
エイル自身が、戻ってくることを。口にされなかった言葉をウェンズは理解した。
「不安を煽って呼び出すのは最終手段――奥の手と言うことですね」
魔術師は少し笑い、騎士も似た笑みを返した。
「そうだ。それまでは彼の意志、その力を信じよう」
「彼の、意志」
ウェンズは繰り返し、その意味の重さを計るように少し黙ってから、うなずいた。
「判りました。エイルをよく知るあなたがそう仰るなら、私も私なりに、彼の意志を引き出す方法を考えます」
「お任せする」
ファドックはまた言ってうなずいた。
この若い魔術師が果たしてどのような方法を考え出すものかファドックには判らなかった。だが、信じ、任せてよいと思わせるだけの力を持っていることには気づきだしていた。
それは無論、魔力という意味ではない。魔術師でない男には、ウェンズの魔力の強さなどは理解の範囲外だし、魔術師としての優劣を考えるのでもない。
この青年にあるのは判断力、決断力、そして、エイルが友と認めるだけの好ましい人間性。
そういうものを持つ若者としてファドックはウェンズを見るようになっており、信用すると言われた若い魔術師は感謝の仕草をした。
「あなたは、信じているのですね。エイルのことを」
「彼は、私を強いと言う。だが私のそれは見せかけだ」
ファドックは東を見るようにした。
「真の強さというのは、彼のような人間の内に存在する。私は、そう思う」
「強いふりをして、それを周囲に信じさせられる人というのは、充分強いと思いますよ」
ウェンズはそんな言葉を返してから、同じように東を見た。
「エイルに孤独は似合わない。きっと帰ってくるでしょう。あなた方のもとへ」
「そうであるとよいな」
ファドックは同意してから視線をウェンズに戻した。
「だが、そうして一歩退くのは何故だ。あなたは、彼の友人なのだろう」
「退く? 私が何か、退きましたか?」
ウェンズが不思議そうに問い返すと、ファドックは笑った。
「われわれのもとへ、でよいだろう、と言ったんだ」
その言葉にウェンズも笑み、また感謝の仕草をした。
彼らは知らない。エイル青年が決めたこと、そしてその身に受けた運命。
彼らにできることはないのだと言うこと。
だがエイルもまた知らない。
たとえ何もできずとも、彼のためにいつでも差し伸べられる手があること。
そうして手を差し伸べることが無意味であるとしても、ただ、彼の帰還を待つ存在があること。




