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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
終章 vol.2/3

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321/340

01 彼に何が

 新人の登城は、アーレイド宮廷の(シルイ)たちに新鮮な話題を提供した。

 と言ってもヒサラ・ウェンズ術師には何の身分もなく、相変わらず傷を隠さなかったから――エイルと初めて会った頃に比べると生々しさは薄れていたが、見落としようがない程度には目立つ――いかに「謎めいた出現をした若者」であっても姫君たちの「噂」以上の標的になることはないようだ。

 ただ彼は、ナーザル少年よりも明らかに「ちゃんとした魔術師」であるとの印象があった。魔力は年齢から計れないものだが、魔術師以外の者がそう思えぬのは仕方のないことだ。

 ナーザルからウェンズがシュアラ王女の魔術護衛の任を引き継いで何か問題があるとしたら、それはむしろちゃんとした魔術師であること――やはり「魔術師などは忌まわしい」との偏見はある――と、若い男であるということだった。魔術で王女によからぬことを企むのではないかとの声も上がったのである。本末転倒であるが。

 だがそうした問題と言えない問題については、ファドック・ソレス近衛隊長がうまく押さえ、話をまとめてしまった。

 シュアラの護衛騎士(コーレス)たるファドックが王女の近くに怪しい人間を寄せるはずなどないことは〈真夏の太陽(リィキア)〉よりも確かなことだった。つまりこの騎士の認可は、どんな魔術よりも、王やシュアラの夫も含め、城の人々を安心させたと言える。

 そうなると、魔術師というものに縁のなかった雀たちも興味を持ち、あれはいったいどういう男なのだろうと噂をした。

 もちろんエイルも魔術師であった訳だが、エイルは黒ローブなど着て登城したことはないし、「魔術師」というものが持つおどろおどろしさにも神秘性(・・・)にも欠けた。一方で、術師の正装たるローブをまとい、余計なお喋りをしないウェンズはいかにも(・・・・)という感じである。

 はじめは怖れられた傷痕も、少し時間をおけばいつの間にか、秘められた過去を持つ青年という設定を造り上げる小道具となり、どうにかしてウェンズと話をしてみようとする女も増えだした。

 レイジュが立てられたのは結局のところ、噂と言うよりも陰口に近かった。かの侍女がファドックを追いかけていることは周知の事実だが、それに加えてエイル、更にウェンズにまで手を出す気か、というのである。

 直接レイジュを知る者は、彼女がファドックを追いかけた先にたまたまエイルがいたこと、かつ、奇妙かつ絶妙なるバランス――互いがシュアラやファドックに「妬かないようにする」のではなく、本気で妬かないという、稀少な関係――がふたりを結びつけたことを理解している。エイルと紛う方なき恋人同士であった間でさえ、かの侍女は「ファドック一筋」とさえ言えたことも。

 よって、ファドックを追い、エイルを弄び、ウェンズに手を出す、などというまるで悪女のような風評は、憤られるよりも笑い飛ばされることが多かった。それはあまりにもレイジュに似合わないからだ。

 ともあれ、こうしてウェンズ青年は、アーレイドのお喋り鳥(キャルー)たちの標的になっていたのである。

「ソレス隊長」

「これは、ウェンズ術師」

 レイジュの指摘通り、ウェンズとファドックは行き合えば必ず挨拶をし、言葉を交わした。

 結婚して一子をもうけたファドックは、夢見がちな乙女からは人気を失していたが、なかには一途に思い続ける者もいた。また誠実な近衛隊長に惹かれる新人も珍しくなかったから、結局は変わらぬ人気であったと言える。つまり、新たに注目の的であるウェンズとファドックというふたりが立っていると、当人たちの自覚とは裏腹に注視を浴びることも多かった。

 そうした視線には気づけば、彼らは廊下で立ち話などをして聞き耳を立てられることは避けた。空いている一室でも利用し、好奇の目と耳を遮断する。

 その行動が却って好奇をかき立てられたとしても、それは自分たちと関わりのないことだ。そう考える気質も、一見したところでは似ていないふたりに共通するものだった。

「傷は、もうよろしいのですか」

 ウェンズはそれを問うた。ファドックはうなずく。

ランスハル先生(セラス・ランスハル)の治療は完璧だからな」

「その完璧な治療をふい(・・)にしたと言って、怒られたのでしたね」

 初老の医師(コルス)が近衛隊長にこんこんと説教する様子を思い出したウェンズは少し笑った。ファドックは肩をすくめるにとどめる。

「そろそろ慣れられたか」

「おかげさまで」

 黒ローブの魔術師は会釈をしてそう答えた。

「エディスンで宮廷に上がったことはありますが、そこで仕えた経験はありませんでしたからね。少しは戸惑うこともございましたが」

「そのような様子は、ちっとも見受けられなかったがな」

 ファドックが面白そうに言えば、今度はウェンズが肩をすくめた。

「魔術師は通常、感情を隠すことが得意なんですよ、隊長」

 そう言ってから彼は、首を振った。

「エイルはそうでもありませんけれど」

 その名に、ファドックの瞳はすっと真面目な色を宿した。

「彼から、連絡は」

「ありません」

 そしてこれまたレイジュの指摘通り、ふたりの話題はひとりの青年魔術師についてのこととなる。

「彼は、本当に王宮職を辞したのですか」

「そのようだ」

 ファドックはうなずくとウェンズを見た。

「術師、彼はあなたにあとを託した、ということか」

「判りません」

 ウェンズは首を振ってから、目をしばたたいた。

「――いま、かなり重大なことを簡単に仰いませんでしたか、隊長」

 魔術師の指摘に近衛隊長は両手を拡げた。

「複雑に言えば、物事が変わるか?」

「いえ、変わりません。ただ、意外に思っただけです」

 そう言うと魔術師は続けた。

「では、隊長はこう考えておいでだ。エイルはアーレイドを離れた、と」

 その言葉に、ファドックは微かにうなずいた。それを見てウェンズはわずかに息を吐く。

「あなたはそれをお認めにならないかと思いました」

「私が認めぬと息巻いたところで、エイルの決意が翻る訳でもない」

 それはどうだろうか、とウェンズは思ったが、黙っていた。

「納得は行かぬが」

 ファドックもまた、同じように息をついた。

「下厨房の料理長にトルスという男がいる。エイルはよく彼を手伝っていたが、正式に雇われていた訳ではない。だが、もう手伝えなくなると挨拶にきたという話だ」

 トルスはいつもの毒舌でエイルを罵倒しようとしたが、何だか悲壮な様子に見えて、手伝えなくても飯を食いにこいなどと口走ってしまったと、言う。

「エイルはどう答えたんです」

「少なくとも応とは言わなかったそうだ」

「そうですか」

 ウェンズは考えるようにうつむいた。ファドックはそれをじっと見てから口を開く。

「いったい彼に何があった」

 護衛騎士はそう問うた。

「術師、あなたは私よりも事情をよく知る。エイルの行動について、何か推測をつけられるのではないのか」

「そうは思いません。私の知る材料は全てあなたにも提供した。ならば、あなたの方が」

 ウェンズはそこで言葉を切った。ほのめかすような言葉に、ファドックは沈黙をする。魔術師は軽く片手を上げた。

「念のために。何かを探ろうとは思っていません。けれど、彼とあなたの間には何かしらの特異な繋がりがある。それが判るというだけです」

 ウェンズは視線をファドックに合わせて続けた。

「エイルがここを託したとしたら、私よりも、あなた」

「そう、思われるか」

 騎士は呟くようにし、魔術師はうなずいた。

「そのような気がいたします」

「託した」

 ファドックは繰り返した。

「殿下のことのみならず、ここ(・・)を」

 今度はファドックがそこで言葉を切った。ウェンズはそれを見ながら、考える。

 ウェンズは、世継ぎを宿しているシュアラの魔術護衛という名目で城に上がっている。クエティスとイーファーがもうおらずとも、アーレイド城が魔術に弱かったことは確かで、王や大臣らが「それは問題だ」と思った、或いは思わせることができた現状では、あの商人や呪術師の話はもう関係ないのだ。

 もっともウェンズは、常にシュアラの隣にいるのではない。彼は防護の結界を張り、それに障るものあらばいつ何時でも彼が跳んで行けるように術を編んでいるのだ。

 実際的なところを言えば、そうしてさえいれば城内に詰めている必要はなかったが、そんな魔術師の理屈などは公には当然通じず、結果としてウェンズは毎日の登城を余儀なくされていた。

 わざわざ登録協会を替えて北からやってきた魔術師は、与えられた任に文句を差し挟むことはない。彼は城に日参し、魔術師を怖れる人々を無闇に脅かさぬように、即ち出すぎず目立たず、役に立てそうなときには控え目に助力を申し出る。それくらいのことをしておけば煙たがられずに済み、役立たずとも思われないだろう、と判断をしていた。


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