10 おとなしくしてろよ
「俺のことは気にするな。祭りの間は、商人も追えん。エディスンでもカーディルでも行ってこい」
「そうか」
エイルは少し考えるようにした。
「本当に、おとなしくしてるか?」
「誓おうか?」
「出鱈目な誓いなんざ要らないぞ」
「失敬だな、砂神への誓いは神聖だぞ」
「神聖が聞いて呆れるよ。そうだな」
エイルはじっくり、考えた。
「一日だ。一日で戻る。絶対に」
「無茶はしない」
「誓え」
「どっちだ」
シーヴは苦笑したが、エイルが真剣なのが判ったか、真顔になって片手を上げた。
「誓う」
「砂漠を離れても、力を持つものにかけて」
「しつこいな。あれは冗談だ。滅多なことじゃ干渉はしないだろうが、ここでだって砂神は力を持つ」
「冗談で誓いを破るな」
「それだけ、例の件への文句が大きいのだと思え」
「借りは多額の利子を付けて返してやってるだろうがっ」
ああ言えばこう言う、とエイルは思うが、シーヴの方でもそう思っているのかもしれない。
「よし、俺はソーンに話を聞いてくる。ことと次第によっちゃエディスンにも行くけど、たぶん、そうはならないだろう。何かあったらすぐ呼べよ」
「何があると言うんだ。だいたい、呼べばくるのか。我が翡翠の」
「殴る」
「すまん」
今度はシーヴは素直に謝ったが、謝れば誓いを破っていいと言うものでもない。これは明らかに、シーヴには本気でそれを誓う気がなかった、ということになる。
「誓い」というものは神聖で、シーヴはそうしたことを重視しているはずだった。となると――あのときシーヴはちゃんと誓わなかった、おそらく正しい仕草をしなかったのだ。エイルはそう気づいた。
実際、エイルにはその差は判らなかった。悔しい。今度は、砂漠の民の習慣についてもちゃんと勉強しよう、などと青年魔術師は妙な決意をした。
「正直に言えば確かに、俺には呼ばれて跳んでいけるような、そんな能力はない。でも、そうだな。あれ持ってるか。俺が渡した、短剣」
「ああ」
「貸せ」
シーヴは少し首を傾げたが、何も言わずに手早くそれを鞘ごと外してエイルに手渡した。エイルは、周辺の客が誰も彼らに注意を払っていないことを確認すると、目を閉じて上等な短剣の上に手をかざした。
口のなかで小さく呪文を詠唱し、思い切り顔をしかめる。こういうことを杖なしでやると、頭痛がするのだ。かといって杖を出すのは目立つし、それを人前でやるくらいなら酷い頭痛の方がましだと思っている。
「何だ。守りの術でもかけてくれたのか」
「俺の術よりは、魔除けの翡翠を渡した方がいいと思うけどね。ああそうだ、それがいい。それも渡しておく」
「要らんよ。たかだか一日で何があるって言うんだ」
「何かあるかもしれないだろ。いいから受け取れ」
エイルはそう言うと短剣と、オルエンからもらった翡翠の円盤を腰の小袋ごとシーヴに押しつけた。オルエンが聞けばまた「気前のいいことだ」とでも言うだろうか。どうでもいいが。
「短剣にかけたのは、居所を明確にする術みたいなもんだ。一瞬で跳んでいくのは無理だけど、どうしてもお前がどこかに行かなけりゃならなくなっても、追えるように。ものは何でもいいんだけど、それはかつて俺のもので、いまはお前のものだからちょうどいい。まあ、もともとはファドック様のもんだけどさ」
「へえ」
シーヴは唇を歪めた。
「騎士殿からもらったのか。そんなこったろうとは、思ってたが」
「何だよ、文句あんのか」
「ないさ、エイラ嬢にならともかく」
「本当に殴るぞ」
「ただの一般論だ」
「一般論に個人名を使うなっ」
全くもって、〈神官と若娘の議論〉である。立つ場所が違えば、どれだけ言葉を重ねても、永遠に解決しない。
この状況で「セリ」などという言葉は使いたくなかったので、エイルは決してその言葉を口にはしなかったが、いくらなんでも恨みが深すぎる、とは思った。
「とにかく、何度も言うように俺の方は急ぎじゃないけど、確かに祭りの間は何も判りそうにない」
エイルは考えをまとめるようにしてそう言った。
「カーディルに行ってくる。いいか、このピラータでおとなしくしてろよ」
再三そう言うと、シーヴは神妙な顔つきでまた誓いの仕草をした。エイルはその仕草に不自然な点がないかと、何か企んでいるのではないかとばかりに、穴の空くほど友人を見つめたが、幸か不幸か不審は覚えなかった。
どうにも引っかかるのは、やはりそれがエイルには真偽の判らぬ砂漠の民の仕草であると言うことだったが。




