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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
終章 vol.1/3

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08 面白いと思いますな

 概して魔術師同士というのはあまり雑談をしない。

 それどころか、協会内で知人と行き合ったところで、会釈のような無言の挨拶すらしないことも普通だ。

 それは「魔術師には魔術師が判る」からで、廊下の向こうから知った術師が歩いてくれば、否が応にもそれは知れる。気づかないことは有り得ない。そこで用があれば声をかけるが、わざわざ挨拶の言葉を交わして互いの存在を確認する必要性などない。――というのが魔術師たちの理屈である。

 もちろんと言おうか、魔術師でない人間たちにはいまひとつ納得のいかない話だ。同じことを魔力のない知人相手にやれば――この場合は魔力で感じ取るのではなく、視認ということになるが――やれ礼儀を知らないだの、やれお高くとまっているなどと思われることになる。

 そのような誤解が生じないように気遣う術師もいたが、大半は誤解をされても放っておく傾向があった。

 こうして魔術師とそうでない人々の間には垣根ができていくが、幸か不幸か、やはり大半はそれを気にしなかった。

「スライ師」

 ともあれ、そのとき、アーレイド魔術師協会の長い廊下で背後からスライを呼んだ者は、つまり導師に挨拶をしようとしたのではなく、話をするために呼びかけたということになった。

「少しお時間をいただけませんか」

 平坦な声が、戦士のような容貌をした魔術師を振り向かせた。

「俺はかまいませんが。珍しいですな、ダウ殿」

 スライが言うと、ダウは能面のような顔をわずかに曇らせた。

「本来ならば、私が口を挟む問題ではないのですけれど」

「判りますよ」

 スライは顎をかいた。

「ただ、あの悪戯坊ずは、どうにも危なっかしいですからな」

 ふたりの導師にいま共通の話題と言えば、それはひとりの青年魔術師のことだった。

「ダウ殿が『ほらほらそっちじゃない、茨にまみれてそれ以上血を流す前にこちらへ戻ってきなさい』とやりたくなる気持ちは、判ります」

 スライがさらっと言えば、あまり感情を見せぬダウもわずかに苦笑めいたものを浮かべた。

「スライ師も気にかけておいでですか」

「まあ、連絡を寄越さないのが平穏無事の証であればいいんですがね、友人の呼びかけにも無視を決め込むようじゃ、いささか気になる」

「エディスンの彼ですね」

 ダウはその「友人」が誰であるか気づいた。

「ではエイル術師は、ウェンズ術師とも連絡を取っていない」

「そのようですな」

 スライはうなずいて続ける。

「だが俺はですな、あいつに『そっちは違う、こっちにこい』と、そう言った形で手を差し伸べてやるつもりはないんですよ」

「では」

 ダウは静かに言った。

「どのような形で、手を差し伸べられるのです?」

 スライが「手を差し伸べる」こと自体を否定していないことに気づいて、ダウはそう問うた。スライは頭をかく。

「あれはリック師最後の弟子にしちゃ相当の見込み薄(・・・・)ですがね」

 その言い様にダウは片眉を上げた。

「協会の規範たる魔術師になるには、でしょう」

「無論」

 ダウの指摘にスライはうなずく。

「あれは、ダウ殿。俺にとって、いやあなたにも、それにヴァンダール協会長にとっても、理解の外にあるものを持っとるようだ。魔術の理では計れぬ、あのけったい(・・・・)な成長」

 スライは唇を歪め、ダウは視線を落とした。

「彼はどれほど……類を見ない術師になるのか」

「ダウ殿」

 スライは片眉を上げた。

「それは、危惧ですか」

「あなたは案じないのですか、スライ師」

 次期協会長とも言われる導師が、しかしやはりあまり感情を見せない声でそう言えば、スライの方はまるで悪そうににやりとした。

「俺はですね。面白いと思いますな」

「そうですか」

 無責任とも取れる発言をダウは咎めることはしなかった。

「だから、あなたを選んだのかもしれませんね」

「ダウ師」

 スライはすっと目を細めた。

「導師は、誰が俺を選んだのだと、仰る」

「運命。星。定めの道。或いは彼の師匠とでも、はたまた」

 ダウは両手を合わせるようにした。それは祈りの仕草にも似ていただろうか。

「何とも真っ当に、彼自身が選んだとでも」

 その「魔術師の言い方」にスライはまたにやりとした。

「もしやダウ師は、弟弟子を指導されたいとお思いだったか」

「少しは」

 ダウは認めた。

「けれど彼は私を苦手としていますし、私の指導のもとでは、『面白い』魔術師が育つとも思えませんね」

 その言葉を聞いたスライは降参するように両手を挙げた。ダウは揶揄するつもりではないのだと首を振り、それから頭を下げた。

「我が弟弟子をよろしくお願いします、スライ導師」

「やめてくださいよ、そんなことをされるのは好みじゃない」

 戦士のような魔術師は、いかにも魔術師めいた容貌の細い男の肩を叩くと、その顔を上げさせた。

「俺は面白がってあいつを見ていこうと思ってまして。あんまい酷いと思えば口出しをするが、総じては放っておくつもりです」

「それは、また」

 ダウは目をしばたたいた。

「だがダウ殿も、そうだろう。手を出さないと決めたら出さない、あなたはけっこう頑固者だ。案じながら、放っておくおつもりでしょう」

 そう言うとスライは声を出して笑った。ダウもわずかに笑んで、認めるようにうなずく。

「あいつは、翡翠(ヴィエル)と相性のいい稀な術師だ。大丈夫、あれは究極の、翡翠(アーレイド)の子ですよ」

 何気ないスライの言葉に、二年前の事情を知るダウの瞳にはわずかに揺らぎが走った。スライはそれに気づいたのか気づかぬのか、変わらぬ調子で続ける。

「案じるのもいいですが、本気で気に病むことなんてないですよ、ダウ師。あれは、翡翠の街に帰ってきます」

 必ずね、と言うとスライは笑って手を振り、踵を返した。

 翡翠の街に翡翠の子が帰ってくる。

 それは何とも安心できる考えだった。

 ダウはスライの背中に賛同を表す仕草をすると、危なっかしい弟弟子の住む東方を見やり、それからいつものように自身の部屋へと向かった。


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