05 甘い香り
「あれがイーファーの最初の殺人ね。彼がそれに何を覚えたのかは判らないわ。少なくとも、後悔ではなかったようだけれど」
「魔術師の身内に魔術師がいるというのがどういうものか、あなた方にはお判りにならんでしょう」
アロダは少し顔をしかめた。
「成長途上の術師は、他者の影響を受けやすい。協会はそれを知り、上手に指導していく訳です。導師と呼ばれる資格を持つには、何も魔力が強ければいいってもんじゃない。駆け出したちを力の捻れから守れる能力がなくては」
「力の、捻れ」
女は繰り返した。
「イーファーは父と夫の近くで、どんな影響を受けたと言うの?」
「さて。それは知りませんよ。私ゃイーファーじゃないんですから。ただ」
アロダはそこで言葉を切って、首を振ると続けた。
「ともに暮らす内のひとりがいなくなって、術を使うことが楽にはなったでしょうね。そうして、もうひとりもいなくなったらどうか、と思うことは不思議じゃありません。まあ、やるかどうかは別問題ですけど」
「そうよ」
女は言った。
「知っているのでしょうね、あなたは。そう、彼は義理の兄を殺したあと、実の父を殺した。そして、笑った。自分には力があると」
「簡単なんですよ。いえ、魔術で他人を殺すことじゃありません。〈黒の左手〉にとっ捕まるのはね」
それを興深く観察していた魔術師は、実に簡単だ、と神妙な顔つきで繰り返した。
「見事な呪術師だった、というのは褒め言葉になるんだかならないんだか判りませんがね、少なくとも見事な呪技を持ってましたよ、彼は。惜しいと言っていいのかどうかは、やっぱりよく判りませんけども」
「惜しい。そうね、どうかしら。ラギータ家が魔術師を望む家系などでなければ、あの子は暗い技などに染まらず、普通の術師として生きて、若い内に死ぬようなことにはならなかったかしら」
「意味のないたとえです」
魔術師はすげなく言った。
「彼は魔術師を望むラギータ家に生まれ、呪術師の道を選び、若い内に死んだ」
「そうね」
リティアナローダは同意の言葉を口にして、黙った。アロダはこめかみの辺りをかく。
「相済みませんです。私ゃ、お気の毒ですという立場なのに、つい手厳しいことを」
「いいのよ」
女主は笑った。
「言ったでしょう。ほっとしたと。これで」
すっとリティアナローダは娘が先に出て行った扉の方へ目をやった。
「あの子の家督相続を邪魔する者はいない」
「……これは、なかなか」
アロダは目をしばたたいた。
「いやいや、言わないでおきましょう」
「言ってもいいのよ」
女は笑う。
「『歪んでいる』とか……『趣味が悪い』とかでも」
「滅相もない」
魔術師はひらひらと手を振った。
「ねえ、アロダさん」
リティアナローダは魔術師に視線を戻した。
「あの子はラファランの導きを受けたかしら? それとも、闇のラファランに、いちばん暗いところへ連れていかれたかしら」
「どうでしょうね」
魔術師は肩をすくめる。
「それは、生者には判らないことです」
「可哀相なイーファー。それに、ケミアンも」
ラギータ家の長女は祈りの仕草をした。
「誰も――彼らの死を哀しんでいない」
「そんなことも、ないですよ」
アロダは言った。
「哀しむとい言うんじゃないですがね、ずっと気に留める男ならひとりいますよ。……何とも、変わった術師です」
「誰ですって?」
「何でもありませんよ」
アロダはひらひらと手を振った。
「さて、冥界、それとも獄界の使者の代わりは果たしましたし、私はもう帰ります。彼らがいなくなった以上、もうこの家にくることもないでしょうが」
「あら」
リティアナローダは首を傾げた。
「何故?――リティリーザを娶ってラギータ家と縁を持つつもりはないの?」
「そ、そりゃ犯罪です」
珍しくも本気で慌てたように、アロダは言った。
「それでも魔術師が欲しいと仰るなら、もっと年若いのを紹介いたしますよ。生憎と、お嬢さんのお気に入りは遠くで忙しくなってしまいましたけどね」
「そう。残念ね」
彼女の呟きがアロダの拒絶を残念としたものか、はたまたウェンズにも見込みがないことをそう言ったのかは判然としなかった。両方であったのかもしれない。
「私ゃ、思うんですけどね」
嘆息して、アロダは言った。
「魔術師を夫として魔術師を生めなんて遺言に、あなた方は従う必要はないんじゃないですか。どうしてまた、こだわるんです」
「何故かしら」
リティアナローダは判らないと言うように首を振った。
「もしかしたら望んでいるのかしらね。魔術のような奇跡が、ラギータ家に栄光を取り戻すこと」
「私に言わせりゃ、呪いの一種ですよ」
アロダは鼻を鳴らした。
「こういう言い方も皮肉ですけどね、コリードならそれを解けたかもしれませんな」
いつしか薔薇の輪は捻れ、棘ある腕を絡ませあっている。
この家の者たちはそれを知りながら、それをほどくつもりがない。
「それとも」
リティアナローダは呟いた。
「失われた首飾りなら、解けるかもしれないわね」
「……欲しいんですか」
慎重にアロダは問うた。
「いいえ」
女主はまた首を振る。
「もう、たくさん。首飾りも、魔術師も」
それは女の本音であるようだったが、だと言うのに娘の婿にやはり魔術師を求めるというのは、やはり歪んでいた。
薔薇の屋敷は古く、散りゆく薔薇が醸し出す腐臭のような甘い香りから逃れることはできないかのようだった。
いつか首飾りがここへ帰り、その呪いを癒すことがあるのかは――女当主にはもとより、〈星読み〉の力を持たぬアロダにも判らぬことだった。




