12 お前は、この姿で
「ねえ、オルエン」
クラーナは魔術師を呼び、オルエンは片眉を上げる。
「いったいエイルに何があったのか、君ははっきりと言う気がないようだけれど」
咎めるような台詞は、しかし追及の響きを帯びなかった。
「知っていながら、彼にその道を歩ませるのは何故?」
クラーナは詰問に聞こえぬように気遣い、オルエンはそれを聞いて取ってわずかに息を吐いた。
「『知っていた』とは言えぬ。『知った』のだ、と言うことしかな。だが『知ろうとしなかった』ということに繋がることは否定できん。責めたいのならば、遠慮は要らぬぞ」
「違うよ」
詩人は首を振る。
「君はエイルを助けるために、彼と関わりを持ち続けた。それは、認めたよね」
「認めた」
魔術師はうなずいた。
「一度、私はゼレット殿に尋ねた。エイルの進む道にある小石を全て片づけてやろうと思うのか、と」
「へえ」
クラーナは少し面白そうな顔をした。
「ゼレット閣下なら、そんな面倒な真似はしないでエイルを抱えて運ぶとか答えそうだね」
詩人は見事に正解を言い当てた。
「六十年の考察をしなくても済むように、充分なほど慧眼を育てたようだな」
オルエンは少し笑って言ったあと、その笑みを消した。
「私は、エイルが小石に蹴つまずかぬようにと手を引くのではない。転ばぬ方法、転んでも起き上がる方法、転んで負った傷を治す方法、それらを伝えるつもりでいた。伝えられたことがどれほどあったかは判らん。何も伝えられていないやもしれん。だが私は、彼の守り手ではない。彼はそのような存在を必要とはしない」
「成程、ね」
クラーナは呟いた。
「僕は、ガルに言ったよ。僕はエイルの友人だから、彼を心配する。親や――師匠のように厳しくする必要はないんだ、と」
「非情だと思うか。まあ、仕方のないことだが」
「まさか」
両手を拡げてクラーナは肩をすくめた。
「さっき、言ったろう。君は情にもろいんだとね。本当は手を引いてやりたくてたまらないくせに、自分を律した。君が道をきれいにし、先の茨を取り去ってしまっては、エイルのためにならないと。いつまでもそうして、雛鳥を守る親鳥のように彼を世話する訳にはいかないのだと」
クラーナは認めるようにうなずき、続けた。
「困難を救おうと思うのが友人ならば、成長をと望むのが師匠」
「成長」
オルエンは繰り返した。
「飛ぶような成長だ。まるで、彼の使い魔が空を行く速度。エイルはその高さに目を回しかけているが、いずれ知る。得た翼が何のためであるのか」
「いったい」
クラーナはゆっくりと言った。
「彼に何が?」
「それをお前に告げるのは私の役ではないな」
「エイルに訊け、と」
「話したくなれば彼が言うだろう」
「判ったよ」
降参のしるしにクラーナは両手を上げた。
「僕は、待とう。それが正しき歯車であることを願って」
「それは、私も願いたいところだ」
青年の師匠はそうとだけ言った。
「エイルに託したい役割は、ほかにもある」
「何だって?」
「あれをここに返したいと思ったとしても、私の決めることではない」
思い出したようにオルエンが続けたのは、その件だった。クラーナは薔薇園を見る。
「決めるのはエイルだと?」
「そうなる」
オルエンはうなずいた。そうかもね、と詩人もうなずいた。
「そこで、お前にひとつ頼んでおきたいのだ、クラーナ」
「何だって?」
警戒を取り戻して、詩人は繰り返すと眉をひそめた。
「面倒な話はご免だよ。だいたい、そうだ、僕は怒っているんだった」
「何だと?」
今度はオルエンがそう返した。
「君、僕に何したのさ」
「何だと?」
魔術師はまた言って、意味が判らないというように眉をひそめたが、詩人は退かなかった。
「いいかい、僕が誰かさんのおかげで放浪を余儀なくされた六十年、偶然の出会いだの再会だのなんて、三回くらいあったかどうかさ。六十年でだよ。それが何だって? わずか半年にも満たない間に、劇的な出会いが徒党組んでやってきた」
クラーナはオルエンを睨みつけた。
「君は僕から全ての魔力を引き揚げたと言い、エイルも見て取れないようだから『魔力』と言われるものはないんだろうけど、それでもまだ何かを残しているだろう」
「そのような影響があったか」
オルエンは目をしばたたいた。
「影響だって? やっぱり、心当たりがあるんだね」
じとん、と睨まれたままの魔術師は両手を拡げた。
「意図的に何かをした訳ではない。だが」
オルエンは考えるようにした。
「慣れぬことはせぬ方がよいのだな。私なりの祝福が拙かったか」
「祝福だって?」
またもクラーナは繰り返した。
「何をどう、祝福してくれた訳」
「意図的ではないが。波瀾の道を持つ者と、近づけた可能性はあるな」
「どこが、祝福なのかな?」
詩人の唇には不穏な笑みが浮かんだ。続く台詞の予想がついたためだ。
「歌の題材には、よかっただろう」
「魔術の絡んだ偶然なんて歌にならないよ!」
珍しくも声を荒らげてクラーナは言った。
「そうか。そういうものか」
オルエンは唸った。
「不快な思いをさせたのなら、謝ろう」
素直な言葉に今度はクラーナが唸った。
「少なくとも不快では、なかったよ。再会は嬉しいものだし。ちょっとばかり、おかしいと思っただけさ」
「お前は、ただの詩人として生きたいと言った。私はそれを叶えてやりたかった。なかなかうまくいかぬものだ」
「それを聞くと安心するよ」
クラーナは嘆息した。
「君だって、万能じゃない」
「当然だ」
オルエンは唇を歪めた。
「だが」
ふと、魔術師は視線をどこか――遠くに移した。
「万能で在れたらよいと思うことも、ある」
「何か」
その口調に苦いものを聞き取って、クラーナは同じ方向を見やった。
「あったの、かい」
エイルの道行きには手を出さないと師匠は言っている。では、この危惧はそれ以外の何かである。詩人はそっと尋ねた。
「あったとも言える」
「『これからあるとも』」
「そうだ」
オルエンはどこかを見たままで言った。
「話を逸らしてしまったみたいだね」
クラーナは「魔術師の言葉」を追及はせずに、話を戻すことにした。
「頼みって何だい」
「聞いてくれるのか?」
片眉を上げ、オルエンは視線を戻す。
「とりあえずは、話を聞くよ。頼みを聞くかは、別問題だけど」
「よかろう」
詩人はすげなく言ったが、魔術師はうなずいた。
「首飾りの呪いは解けた。だが、まだエイルはそれを持っている。もしエイルがそれをどこか余所へやってもいいと思うことがあり、もしお前に相談にくるようなことがあれば。そのときは、ここを示してやってくれまいか」
「――どういう意味」
クラーナは目をしばたたいた。
「相談にくれば、は判るよ。先に言えば彼の選択の幅を狭めると言うんだろう。でも、エイルがそれを手放さないかもしれないと考えてる? それは何故? だいたい」
少し間をおいて、クラーナは続けた。
「君が提示しない、理由は」
「前者は、エイルがまだそれを掴みきっていないだけだ」
青年魔術師の師匠は師匠らしく答えた。
「後者については、予測がついているだろう」
「ふたつ、ついてるよ」
詩人は答え、指を一本立てた。
「ひとつは、君の要望じゃひねくれエイルがへそ曲げて、敢えてやらないかもしれないって危惧。もうひとつは」
二本目の指を立てて、しかしクラーナは拳を握り、首を振った。
「いいや、考えつかないね」
「嘘つきだな。それは詩人の性癖か」
「失礼だね」
クラーナは顔をしかめた。
「歌は嘘じゃない。夢さ。喜びも悲しみも、希望も絶望も、みんな夢。僕はそれを歌う。それは嘘じゃない」
「けっこう。だが、考えつかないと言ったのは、嘘だろう」
「嘘じゃない」
肩をすくめて、クラーナは続けた。
「ただの、ごまかしだよ」
「そうか」
オルエンは少し笑った。
「けっこうだ」
「……不思議だな」
不意にクラーナは言った。オルエンは首を傾げる。
「何がだ?」
「こうして言葉を交わせば、間違いない、君だと思うんだけれど」
クラーナはゆっくりと首を振った。
「僕が六十年間考え続けてきた男の顔は、違うんだもの」
「――そうか」
「違和感がある、と言うのかな。君は君だし、君自身は気にしないんだろうし、もしかしたら以前よりも美形だと喜んでいるのかもしれないけれど」
「馬鹿な」
オルエンはきれいな顔をしかめ、クラーナは冗談だと謝罪の仕草をした。
「でもね、僕の知るオルエンは、その姿じゃなかった。僕は……彼のことを忘れてしまいそうだな」
「私は私だ」
魔術師は肩をすくめた。
「お前自身、そう言ったではないか」
「そうだね。判ってるよ。間違いない、君だ。でも……僕が旅をしたのは、彼だった」
「彼、か」
呟くように繰り返すとオルエンは目を閉じた。
「私も忘れてしまいそうだが」
言いながら魔術師はさっと印を切った。クラーナは目を見開く。
白金髪の美青年の姿がゆらりと揺れ、輪郭がおぼつかなくなった。だが次の瞬間には、見ていたものが目眩を起こしただけであるかのように、ぼんやりした感じはなくなった。
だが、そこにいるのは違う男だった。
その髪の色は、きらめきを消し、全くの白髪となった。薄灰だった瞳は濃くなり、少し頬のこけたような、細面をした若者がその場に立っている。
「ああ」
クラーナは笑った。
「懐かしいね。久しぶりだ。ようやく君に会えた気がする。――オルエン」
「合っておるか?」
「記憶のままだよ」
「そうか、では」
白髪の若者の姿をした老魔術師はうなずいた。
「お前は、この姿で私を覚えていてくれ」
「――そうするよ」
風が吹いた。薔薇が揺れた。
劇的な場所だ、と詩人は思った。
再会の場にしても、別れの場にしても。




