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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
第7話 決断の代償 第4章

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10 六十年の考察

「何か、あったの?」

「あった、とも言える。これからある、とも」

「魔術師だね」

 クラーナは言ったが、そこに揶揄の調子はない。

「そうとも。私は骨の髄まで魔術師だ」

 オルエンもまた、茶化す様子はなく答えた。

「迷い、模索するエイルの姿を見ていると、まるで違う生き物を見ているような気持ちになる。私は強き魔力を持つよう定められて生まれ、そうなるべく完璧に整えられた環境で、徹底的な教育を受けて育った。魔術師たることに迷ったことなどない。『私』という命は魔術師と同義なのだ、否定など考えたこともない」

「何となく、判るようだよ」

 詩人はうなずいた。

「僕は『生まれながら』という訳じゃないけれど、詩人であるということと僕であるということは同義だ。でも」

「エイルは、違う」

 オルエンは神妙に言い、クラーナは笑った。

「おかしいか?」

「そりゃあね」

 笑ったままでクラーナは答える。

「まるで彼が特別みたい。どちらかって言うと、僕らみたいに感じる方が変り種なのに」

「かもしれん。だが」

 オルエンは真顔のままだった。

「実際、エイルは特(・・・・・)殊な存在だ(・・・・・)。なのに、凡庸な者たちと同じように、悩み、惑う。私には、とても奇妙に見える」

「君は、もっと特殊すぎるね」

 クラーナはどこか寂しそうな表情で言った。

「僕は、歌い続けることにすら迷わないけれど、悩んだり、悔やんだり、腹を立てたり、求めたり、そんな感情は湧く。けれど、君は」

 クラーナは言葉を切った。

「君はまるで神官(アスファ)のようだと、思う」

 それにはオルエンは吹き出した。

「何と! それは生まれてこの方、初めてもらった言葉だ!」

「そう? でも的を外してはいないと思うよ」

 詩人は笑わずに続けた。

「君は、求めない。何も」

 オルエンは笑いを納めて沈黙した。

「一緒に歩いているときには、判らなかったよ。でも、言いたくないけど、君が死んでから(・・・・・)と言うもの、僕は君のことばかり考えていた。いったい、オルエンというのはどんな男だったんだろう。僕が守りきれなかった『魔力を奪われた』魔術師は、いったいどこで生まれ、どんなふうに育ち、何を思い、何を夢見て、何を求めてきたんだろう」

 クラーナは瞳を閉じ、また開いた。

「六十年間、君のことを考えた。僕は、君自身よりも君について考察をしたよ」

「――済まなかったな」

「馬鹿なことは、言わない。僕は知ってる。あれが避け切れぬ運命であったこと。こんな言い方をすると、エイルなんかは気に入らないかもしれないけどね」

 肩をすくめてクラーナは少し笑った。

「僕はさ、詩人だから歌を歌う。というよりは、歌を歌いたいから詩人でいる訳だけど」

「そう言えば、しばらくお前の歌を聞いていないな」

 ぽつりとオルエンは言った。

「また、聞きたいものだ」

 クラーナは目をしばたたいた。

「それは、嬉しいけど、意外だね」

「六十年間の考察では判らなかったか? 私はお前の歌を好いておる」

「――有難う」

 エイルであればどう言ったか知れぬが、クラーナは素直に礼を言った。

「ともあれ、それなんだ」

「どれだ」

「僕は、歌う。でも、歌うだけじゃない。聞いてもらいたい。楽しんでもらいたい。喜んでもらいたい。よい歌い手だと思われたい。歌うだけでも満足だという自分と、褒め称えられたいという自分がいるのさ」

「誰にでもあることだな」

「そうだろう。そう思う。君以外はね」

 クラーナはじっとオルエンを見る。

「君は、何も求めない。他者にも、自身にも。隠者(スアル)のようだとも思うけれど、こうして世に出てきて人に関わる以上、やっぱり――神官のようだと、感じる」

「過去には、求めた」

 老魔術師は薄灰色の瞳を閉じた。

「イーレス」

 そっと魔術師が口にしたその名をクラーナは一度だけ聞いたことがあった。

「彼女さえいれば世界すら要らぬと思った日は、私にもあった」

「僕の遠いお婆様じゃないかって、女性(ひと)のこと」

そうだ(アレイス)

 オルエンは遠くを見るような目つきをした。

「私はイーレスを愛していた」

 エイルが聞けば、何か聞き違ったかと首をひねっただろう。クラーナはそうする代わりに、じっとオルエンを見た。

「かの女王は、それでお前の相方に私を選んだのだろうか。皮肉だ。探すことを諦めかけた頃に、答えを目前に寄越す」

「僕が『答え』かどうかは、判らないだろ」

 クラーナは静かに言った。

「それに、ずいぶんと遠い。ロマンスを打ち砕くようで悪いけれど、もし僕が彼女の血を引いていたとしても、その血は相当に薄まってるんじゃないの」

「だろうな」

 オルエンはにやりとした。

「だが、私は見つけたと思った。それだけでよい」

「ふうん」

 クラーナはじろじろと魔術師を見た。

「正直、君の恋愛事情というのには、とても興味が湧くね」

「生憎だが、歌になりそうな話ではない」

「創作の足しにしようって言うんじゃないよ」

 クラーナは手を振った。

「僕が言うのはね、オルエン。君の恋というのがなかなか想像しづらい、ということ」

 言われたオルエンは片眉を上げた。

「失敬な。私とて血肉を持つ人間だぞ」

「血も涙もないとは言ってないだろ。僕が言うのはね」

 詩人は先と同じように繰り返してから、次に違うことを言った。

「君は皮肉屋で、何でもかんでも茶化して、世に飽いたようなことを言って、周囲を突き放すような言動ばかりするその向こうで」

 珍しくも、今度はクラーナがにやりとした。

「とても、情にもろい」

「何と」

 オルエンは目を見開いた。

「知ってるよ。君がどんなにエイルを気遣ってるか。僕らの歪めた歯車が、彼の運命を変えてしまった。いや、それこそが彼の運命であるのかもしれない。それは判らない。でも君は」

 気遣ってる、と詩人は言った。

「気に病んでると言ってもいい。判っている。その身体を使ってまでこの世に留まる必要は、君にはなかった。僕が『答え』だと君が思った、その時点で君は留まる意義をなくしている。なのに、留まる。エイルのため」

「何と」

 オルエンはまた言った。

「なかなかのものだな。――六十年の考察というのは」

「だろう?」

 詩人は自慢げに顎を反らした。

「何を案じているの」

 静かな詩人の声に、魔術師は息を吐いた。

「変わってゆく。私は星読みはせぬが、確かだった星辰が歪んでいくのは判る。何故だ? お前ではなかった。その先代でも。エイルだ。彼なのだ。それは、何故なのだ? レンとの関わり。それに、私。そのためなのか、それとも全てはそのための布石に過ぎぬのか?」

「――判らないよ、君が何を言っているのか」

 クラーナは首を振った。オルエンも同様にする。

「私にも判らない」

 沈黙が降りた。

 風の音が聞こえる。鳥の声がする。薔薇の優雅な香りが漂った。

「言っておく。エイルのことは確かに心配の種だ。だがそれだけではない」

 不意にオルエンはクラーナの目を捕らえた。

「イーレスの子たる、お前のことも」

「確証はないんだろ」

「私がそう思う、というだけでいいのだと言っているだろう」

「勝手だね」

「いつものことだ」

 ふん、とオルエンは笑った。

「ラギータ薔薇庭園(リティアエル)。トルーヴ。何のことはない、答えはあった」

「何の話? いったい、ここは何なんだい?」

「私が砂漠で放浪する間、トルーヴは彼女を連れて旅に出た。私が何も言わずに去ったために見捨てられたと思ったか、はたまたトルーヴに惹かれたか、それとも最初から私のことなど何とも思っていなかったのか、いまとなっては判らないが」

 思いがけない恋愛事情にクラーナの目は少し面白そうな色を帯びたが――それはすぐに秘められた。話は、こう続いたからだ。

「ようやく判ったこともある。トルーヴもまた、イーレスを失った。彼が呪いを首飾りに遺したのは、そのためだ」

「何だって」

 クラーナははたとなった。

「それじゃ、タジャスを訪れたふたりの魔術師。――死んだ、ひとりと言うのは」

「イーレス」

 オルエンは瞳を閉じ、息を吐いてからそれを開いた。


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