10 六十年の考察
「何か、あったの?」
「あった、とも言える。これからある、とも」
「魔術師だね」
クラーナは言ったが、そこに揶揄の調子はない。
「そうとも。私は骨の髄まで魔術師だ」
オルエンもまた、茶化す様子はなく答えた。
「迷い、模索するエイルの姿を見ていると、まるで違う生き物を見ているような気持ちになる。私は強き魔力を持つよう定められて生まれ、そうなるべく完璧に整えられた環境で、徹底的な教育を受けて育った。魔術師たることに迷ったことなどない。『私』という命は魔術師と同義なのだ、否定など考えたこともない」
「何となく、判るようだよ」
詩人はうなずいた。
「僕は『生まれながら』という訳じゃないけれど、詩人であるということと僕であるということは同義だ。でも」
「エイルは、違う」
オルエンは神妙に言い、クラーナは笑った。
「おかしいか?」
「そりゃあね」
笑ったままでクラーナは答える。
「まるで彼が特別みたい。どちらかって言うと、僕らみたいに感じる方が変り種なのに」
「かもしれん。だが」
オルエンは真顔のままだった。
「実際、エイルは特殊な存在だ。なのに、凡庸な者たちと同じように、悩み、惑う。私には、とても奇妙に見える」
「君は、もっと特殊すぎるね」
クラーナはどこか寂しそうな表情で言った。
「僕は、歌い続けることにすら迷わないけれど、悩んだり、悔やんだり、腹を立てたり、求めたり、そんな感情は湧く。けれど、君は」
クラーナは言葉を切った。
「君はまるで神官のようだと、思う」
それにはオルエンは吹き出した。
「何と! それは生まれてこの方、初めてもらった言葉だ!」
「そう? でも的を外してはいないと思うよ」
詩人は笑わずに続けた。
「君は、求めない。何も」
オルエンは笑いを納めて沈黙した。
「一緒に歩いているときには、判らなかったよ。でも、言いたくないけど、君が死んでからと言うもの、僕は君のことばかり考えていた。いったい、オルエンというのはどんな男だったんだろう。僕が守りきれなかった『魔力を奪われた』魔術師は、いったいどこで生まれ、どんなふうに育ち、何を思い、何を夢見て、何を求めてきたんだろう」
クラーナは瞳を閉じ、また開いた。
「六十年間、君のことを考えた。僕は、君自身よりも君について考察をしたよ」
「――済まなかったな」
「馬鹿なことは、言わない。僕は知ってる。あれが避け切れぬ運命であったこと。こんな言い方をすると、エイルなんかは気に入らないかもしれないけどね」
肩をすくめてクラーナは少し笑った。
「僕はさ、詩人だから歌を歌う。というよりは、歌を歌いたいから詩人でいる訳だけど」
「そう言えば、しばらくお前の歌を聞いていないな」
ぽつりとオルエンは言った。
「また、聞きたいものだ」
クラーナは目をしばたたいた。
「それは、嬉しいけど、意外だね」
「六十年間の考察では判らなかったか? 私はお前の歌を好いておる」
「――有難う」
エイルであればどう言ったか知れぬが、クラーナは素直に礼を言った。
「ともあれ、それなんだ」
「どれだ」
「僕は、歌う。でも、歌うだけじゃない。聞いてもらいたい。楽しんでもらいたい。喜んでもらいたい。よい歌い手だと思われたい。歌うだけでも満足だという自分と、褒め称えられたいという自分がいるのさ」
「誰にでもあることだな」
「そうだろう。そう思う。君以外はね」
クラーナはじっとオルエンを見る。
「君は、何も求めない。他者にも、自身にも。隠者のようだとも思うけれど、こうして世に出てきて人に関わる以上、やっぱり――神官のようだと、感じる」
「過去には、求めた」
老魔術師は薄灰色の瞳を閉じた。
「イーレス」
そっと魔術師が口にしたその名をクラーナは一度だけ聞いたことがあった。
「彼女さえいれば世界すら要らぬと思った日は、私にもあった」
「僕の遠いお婆様じゃないかって、女性のこと」
「そうだ」
オルエンは遠くを見るような目つきをした。
「私はイーレスを愛していた」
エイルが聞けば、何か聞き違ったかと首をひねっただろう。クラーナはそうする代わりに、じっとオルエンを見た。
「かの女王は、それでお前の相方に私を選んだのだろうか。皮肉だ。探すことを諦めかけた頃に、答えを目前に寄越す」
「僕が『答え』かどうかは、判らないだろ」
クラーナは静かに言った。
「それに、ずいぶんと遠い。ロマンスを打ち砕くようで悪いけれど、もし僕が彼女の血を引いていたとしても、その血は相当に薄まってるんじゃないの」
「だろうな」
オルエンはにやりとした。
「だが、私は見つけたと思った。それだけでよい」
「ふうん」
クラーナはじろじろと魔術師を見た。
「正直、君の恋愛事情というのには、とても興味が湧くね」
「生憎だが、歌になりそうな話ではない」
「創作の足しにしようって言うんじゃないよ」
クラーナは手を振った。
「僕が言うのはね、オルエン。君の恋というのがなかなか想像しづらい、ということ」
言われたオルエンは片眉を上げた。
「失敬な。私とて血肉を持つ人間だぞ」
「血も涙もないとは言ってないだろ。僕が言うのはね」
詩人は先と同じように繰り返してから、次に違うことを言った。
「君は皮肉屋で、何でもかんでも茶化して、世に飽いたようなことを言って、周囲を突き放すような言動ばかりするその向こうで」
珍しくも、今度はクラーナがにやりとした。
「とても、情にもろい」
「何と」
オルエンは目を見開いた。
「知ってるよ。君がどんなにエイルを気遣ってるか。僕らの歪めた歯車が、彼の運命を変えてしまった。いや、それこそが彼の運命であるのかもしれない。それは判らない。でも君は」
気遣ってる、と詩人は言った。
「気に病んでると言ってもいい。判っている。その身体を使ってまでこの世に留まる必要は、君にはなかった。僕が『答え』だと君が思った、その時点で君は留まる意義をなくしている。なのに、留まる。エイルのため」
「何と」
オルエンはまた言った。
「なかなかのものだな。――六十年の考察というのは」
「だろう?」
詩人は自慢げに顎を反らした。
「何を案じているの」
静かな詩人の声に、魔術師は息を吐いた。
「変わってゆく。私は星読みはせぬが、確かだった星辰が歪んでいくのは判る。何故だ? お前ではなかった。その先代でも。エイルだ。彼なのだ。それは、何故なのだ? レンとの関わり。それに、私。そのためなのか、それとも全てはそのための布石に過ぎぬのか?」
「――判らないよ、君が何を言っているのか」
クラーナは首を振った。オルエンも同様にする。
「私にも判らない」
沈黙が降りた。
風の音が聞こえる。鳥の声がする。薔薇の優雅な香りが漂った。
「言っておく。エイルのことは確かに心配の種だ。だがそれだけではない」
不意にオルエンはクラーナの目を捕らえた。
「イーレスの子たる、お前のことも」
「確証はないんだろ」
「私がそう思う、というだけでいいのだと言っているだろう」
「勝手だね」
「いつものことだ」
ふん、とオルエンは笑った。
「ラギータ薔薇庭園。トルーヴ。何のことはない、答えはあった」
「何の話? いったい、ここは何なんだい?」
「私が砂漠で放浪する間、トルーヴは彼女を連れて旅に出た。私が何も言わずに去ったために見捨てられたと思ったか、はたまたトルーヴに惹かれたか、それとも最初から私のことなど何とも思っていなかったのか、いまとなっては判らないが」
思いがけない恋愛事情にクラーナの目は少し面白そうな色を帯びたが――それはすぐに秘められた。話は、こう続いたからだ。
「ようやく判ったこともある。トルーヴもまた、イーレスを失った。彼が呪いを首飾りに遺したのは、そのためだ」
「何だって」
クラーナははたとなった。
「それじゃ、タジャスを訪れたふたりの魔術師。――死んだ、ひとりと言うのは」
「イーレス」
オルエンは瞳を閉じ、息を吐いてからそれを開いた。




