09 会える内に会って話を
その館を前に、吟遊詩人は半ば呆然としていた。
「これは」
彼は何か詩的な表現をしようと考えたが、諦めて首を振った。
「すごいね」
「そうだな」
連れの戦士は同意の台詞を口にしたが、詩人ほど感嘆しているようには見えなかった。
満開の薔薇。
まるでその暗い朱色で世界を染め上げようとするかのような。
サンスリーンの町なかにあるラギータ家の薔薇庭園を柵越しに眺めながら、クラーナは感心した。
「美しく造り上げられた庭はいくつも見てきたけれど、これは見せるために造られたものとは違うね。けれど目を奪われ、何だか心も惹きつけられるようだ。何だろう。薔薇には魔力みたいなものがあるのかな?」
「知らんよ」
興味がないと言わんばかりに、ガルシランは答えた。
「それにしても」
クラーナは眉をひそめた。
「何でまた、こんな場所を指定したんだろう?」
呟くように詩人は続けたが、ガルシランは、さあな、とすげなかった。
「愛しい女と会おうとでも言うなら、いい場所のようだが」
「嫌なこと、言わないでくれるかな」
ガルシランの知らない事情を思い出したクラーナはわずかに眉をひそめたが、それはもうどうでもいいことだとばかりに表情を戻した。
「時間は」
「そろそろだね」
クラーナは天を行く太陽を見やって答えた。
「じゃ、ごゆっくり」
そう言うとガルシランはひらひらと手を振った。
「ちょっと。どこ行くんだよ」
「聞かれたくない話も、あんだろ」
「僕には隠すことなんかないよ」
クラーナは言ったが、ガルシランは肩をすくめる。
「じゃあこう言おう。事情の判らない物語につき合うのは退屈だとね」
「成程」
詩人はうなずいた。クラーナなどはどんな話でも面白がって聞く性格だが、世の中には自分と関わりのない話を聞くことを苦行のように思う者もいる。ガルシランはどちらかと言えば後者だ。
「了解。それじゃ半刻後には宿に戻るよ」
「急がなくていい。積もる話があるんじゃないのか」
「僕としては、ない」
きっぱりとクラーナは答えた。
「話があると持ちかけたのは僕だけれど、わざわざ場所と時間を向こうが指定してくるとは思わなかったよ。いきなりふらりと現れて、僕の腹を立てさせて消え去るのが落ちだろうと思ってたんだけど、これは、向こうにこそ『積もる話』があるんだな」
「何だか知らんが」
戦士は笑った。
「それだけ相手のことがよく判るつき合いなんだろうが。会える人間には会える内に会って話をしておくのがいちばんだ」
親しい者たちを失った戦士の言葉は、気軽に見せても、重みがあった。
「俺に気ぃ回すことなんかないからな、そっちは雇い主なんだから」
「その依頼も」
クラーナはそっと言った。
「終わるかもね」
「何?」
「僕は、彼らの絡むややこしい話が終わったら話があるって言ったんだ。まだ終わったとは思えない。なのにオルエンが僕を呼び出すなんて、タジャスを訪れた『ふたりの魔術師』に何か関わる話なんじゃないかと、そんな気がするんだ」
「お前の長の友人が、それを掴んだと?」
「有り得るね、十二分に」
「ま、探してたもんが見つかるならけっこうなことだ」
戦士は祝福の仕草などした。
「お役ご免なら、早めに知らせてくれ」
「そんなに、僕をお払い箱にしたい訳かい」
「逆だろう」
ガルシランは苦笑した。
「そうするのは雇い主の方で、雇われ人にできるのは契約違反くらいさ」
「それじゃ、契約違反をしたい訳」
「いや」
戦士は首を振った。
「俺は、自分の勘は信頼してる」
「と言うと?」
クラーナは首をひねる。ガルシランがどうしても離れたいというのならば、彼に引き止める法はないと思っていたのだ。
「翡翠がお前の魔除けなら、お前は俺の翡翠じゃないかと思ってるのさ」
そのたとえにクラーナは複雑そうな顔をした。
「いくつか苦情があるよ」
詩人が言うと戦士は片眉を上げた。
「聞こうじゃないか」
「ひとつ」
クラーナは指を一本立てる。
「宝玉にたとえるなんて、女の子を口説くんじゃないんだから」
ガルシランは謝罪の仕草をした。
「ふたつ。僕は翡翠という石にあんまりいい思い出がない」
「へえ」
少し意外そうに戦士は目を見開く。
「例の腕輪は、喜んで預かってたように見えたがね」
「喜んでいたように見えたなら、君の目は腐ってるよ」
きっぱりと言ってから詩人は、でも、と続けた。
「翡翠に悪い印象を持つ度合いではエイルの方が上かもね。彼以外からだったら、僕はたとえ恋人からの贈り物だとしても翡翠の飾りなんか受け取らないかもしれない。そう、翡翠は、僕と彼の繋がり。そうした点で言うのなら、大事なものでもある」
言うとクラーナはじっとガルシランを見る。
「しみじみと思うね。ガル、君が生き延びてきたのは剣の腕によるものだけじゃない。腐ってるなんて言ったけどとんでもない。本当はとてもよく見える目を持ってる。それはときに、意識を越えたものを見通す。魔力なんてなくても。そんなものを手にしてしまった人は立ち止まってしまうことが多いものだけれど、君は、とても強い手足を持ってる」
「ふん」
ガルシランは唇を歪めた。
「出たな、腐れ魔術師」
「それだ」
クラーナは二本立てていた指を一本に戻すと、ガルシランを指した。
「三つ目の苦情。僕に神秘を探すのはいい加減によしてくれ」
当のクラーナ以外は誰もが「その調子では占い師と思われて当然だ」と考えたとしても、本人にだけは全くその気がない。詩人の癖と奇怪な日々の経験がほどよく混合された物言いは、本物の占者以上の神秘性と説得力を持ったのだが、クラーナ自身に言わせれば傍迷惑な嫌疑だった。
ともあれ、そんなやり取りのあと、ガルシランはその「魔除け」を美麗な庭園の脇に残して薔薇の館に背を向けた。
それを見送るとクラーナは見事なラギータ薔薇薗を大きく首を動かして見回し、伸びをしてゆっくりと深呼吸をし、それから――厄よけの印を形を替えて三度ばかり、馬鹿丁寧に切った。
「失敬な」
というのが第一声だった。
「お前もエイルも、私を何だと思っとる」
「災厄の塊」
そう答えて振り返ったクラーナは、そこに白金髪の美青年を認めて、不思議そうな表情を浮かべた。
「久しぶりだね、王子様」
老魔術師は珍しく、困ったように口の端を上げた。
「六十年ぶりに比べれば、一年ぶりなど昨日のことのようだな」
にやりとして魔術師が言えば、詩人は睨みつけるようにする。
「君がそれを言うの」
「すまん」
エイルが聞けば「悪いもんでも食ったか」ということになるが、クラーナは当然のごとくうなずいてその謝罪を受け入れた。
「君とは関わりたくない、と言ったのは本当だし、二度と顔を見せないでほしいと言ったのも、別に意地悪じゃない」
「もっともだろうな。だが気を変えた。エイルのためか」
「半分は、そうだね」
吟遊詩人はうなずいた。
「エイルはどうしてるの。何か問題に行き当たってたり、しないのかい」
発せられて当然の、口火を切るための問い。それにオルエンが沈黙したので、クラーナは目をしばたたいた。




