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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
第7話 決断の代償 第4章

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08 爛れた口実でさえ

「呪術なんか知るかっ」

 彼は叫んだ。

「いいか、俺がラニを呼んで、そいでそいつは俺のとこにいたんだ。いいや、いまでも変わらない!」

「吠えるがいい」

 イーファーは、笑った。

「私と我が使い魔の力に倒れる前に、思う存分、な」

 その言葉にかっと、なった。

 我が、使い魔?

(ふざけるな)

「てめえの、もんじゃねえっ」

 理など、知らない。エイルは、何も知らない。その彼にできる、ことは。

 何かを考えた訳でもなかった。

 ただ、青年の瞳は一(リア)、真緑に燃えた。振った杖の先から目に見えぬ奔流がほとばしり出る。

 駄目だ。渡さない。

「渡さない。ラニも、首飾りも」

俺のものだ(・・・・・)!)

 それは、所有欲の薄さで首飾りの呪いから逃れた青年の、はっきりとした支配の意志だった。

 目に見えぬ力の流れが、濃い緑色をしていると感じるのは、どこか奇妙なことだ。それに触れながらエイルは、イーファーが突然の力に防護の術を張ろうとするのを見た。それがしっかりと成されたことを見た。そして、それが何の役にも立たなかったことを。

 そう(・・)しようと考えた訳ではない。

 いや、それ以外のことなど考えていなかった、だろうか?

 それをお前(・・・・・)のものにせよ(・・・・・・)

 青年にはそのとき、全てがのろのろとして見えた。

 ほかでもない、エイル自身から生まれ出でた力は、白き翡翠を飾り輪に持つ短い杖の先から一直線にそこをめがけた。

 呪術師の、胸部。

 力は、イーファラード・ラギータの心臓をめがけて走り、(たが)うことなくそれを撃った。

 その瞬間、イーファーは奇妙な表情を浮かべた。

 もしそれが何らかの魔術であったならば、撃たれたイーファーには衝撃が与えられるはずだ。まともに受けたのだとであれ、防護壁で弾き返したのであれ、その標的には最弱でも拳ほどの球が投げつけられたような、そんな感覚が伝わるはずなのだ。

 だがイーファーには何も感じられなかった。

 ただ、何かが自身を通り抜けた、そのような感覚だけが男を訪れた。

 そして、それが、自らをコリードと呼ばせた呪術師が感じた、最期のものだった。

 ほんの一(リア)。それとも、その半分。

 たったいままで子供を支配しようと企んでいた術師の身体は、糸の切れた操り人形のようにぐにゃりと崩れ落ちた。

 その次の瞬間には、もはやイーファーの全身、そのどこにも生命の灯火は残っていなかった。

 エイルは杖を突き出した姿勢のまま、十(トーア)以上その場に固まっていた。

 何が起きたのだろう。

 〈風鎌〉をクエティスに向けて放ったとき、彼には殺意があった。

 だがこれは、判らなかった。

 殺してやる、という強く暗い思いはあった。それは確かだ。仮に、その感情がやがて彼を苦い思いで苛むとしても、その思いがあったことは間違いない。

 それでもいまのこれは、意図的に編んだ魔術とは違う。

 まるで反射的に。

 頬にとまった羽虫(グー)を払うように。

 ただ、彼のものを守るために。

 ――守る。

 それはこれまでに青年が覚えたものとも、違った。

 庇護欲、保護欲のため、友情のため、親愛の情のため、それらのために大事なものを守りたいと思うのと、それは違ったのだ。

 彼は、自分のものを他者に手渡したくないために、それを狙った相手を殺した。

 復讐という爛れた口実でさえない。

 エイルはそれに気づいていた。

「――エイル」

 小さく発せられた声に、青年はびくりとした。ようやく、杖を下ろす。

「……ラニ」

 子供は動かなくなったイーファーと、その原因となったエイルを見比べるようにしてから、じっとエイルを見上げた。

「ラニ」

 これは魔物だ。子供ではない。

 だが、情け容赦のない殺害を行った瞬間を目の当たりにされた、その事実が青年の声を掠れさせた。見られたく、なかったのに。

 何か言おうか?

 しかし何を?

 殺すつもりではなかったなどと、そんな中身のない言い訳を?

 ラニタリスはエイルを見、そして――ぱあっと笑った。

「有難う、エイル、助けてくれた」

 違う。

 青年の内に浮かんだのはその思いだった。

 感謝されることではない。エイルは、ラニタリスを首飾り同様、所有物のように考えたのだ。そんなふうに考えることなど、決してないと思っていたのに。

「何で、首振るの?」

 子供は無邪気に言った。

「助けてくれたんだよ。あいつに捕まったらあたし、どんなふうにリヨウされるか、わかんなかった」

「――俺だって」

 エイルは喉に何かが詰まったような、気分の悪い感覚を覚えながら呟いた。

「俺だって、今後はどうするか、判んないだろ」

「そんなこと、ないよ」

 ラニタリスはぱたぱたとエイルのもとに近寄ると、ぎゅっとその腰にしがみついた。

「サダメられた主だもん。あたし、ずっとエイルのとこにいるからね」

「やめろよ」

 エイルはそっと子供の肩を押した。

「こんなふうにするな、こんなことされると」

 安心して、しまいそうだ。

 こうするべきだったのだと、これでよかったのだと、納得をしてしまいそうだ。

「エイル?」

 子供の姿をした魔物は首を傾げた。

「ねえ、どうしたの? どこも怪我して、ないよね? どっか痛いの?」

 どうして泣くの――と、まるで子供の顔をして、ラニタリスは言った。

 エイルはそれに答えぬまま、静かに涙を流した。

 かつて女が思わぬ死を迎えた部屋。

 首飾りが呪いを受けた部屋。

 〈ドーレンの輪っか〉が作られ、そしてほどかれた部屋。

 それは、彼と彼のものを脅かす憎き敵である男が死んだ、いや彼がそれを殺した部屋ともなった。

 青年はそこで、自分が越えてしまった通過点を見ていた。

 滲んだ光景は、あの夢のような草原にどこか似て、エイルの胸を突いた。

 強い手段に出たことを後悔しているというのではない。クエティスのときに、もう覚悟は決めていた。

 ただ、越えてしまったと、思う。

 彼の立場を知れば、怒って当然だと、死んだ男たちは殺されるだけのことをしたのだと、誰もが言うかもしれない。

 だがそうではない。そういうことではない。

 自身や親しい者の命を守るためでもなく。復讐という昏い理由すらなく。自らの利のために殺したこと。

 彼は負うのだ。その死を。ランティムの若き兵士の死を負ったのと同じように。いや、それよりも大きく。

 こうしなければ、今後また大事な誰かが危機に晒されただろう。逃れるにはこれしかなかった。それを言い訳とも思わない。

 ただ、彼は越えた。越えてしまったのだ。越えることなどないと思っていた、その境界線を。

「エイル」

 泣かないでと、子供は言った。

 言われた青年は、気づかぬうちに子供を抱き締めるようにしながら、嗚咽を続けた。


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