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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
第7話 決断の代償 第3章

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11 リ・ガンたりしもの

 ――少し前のこと。

 どうしてそれを思い立ち、いつカーディル伯爵とその息子のもとを離れたのか、自分でもよく判らなかった。

 どうやったのかも判らない。

 そのとき気づけば彼は、カーディル城の一室、鍵を持たぬ者が入れるはずもない場所にいた。王城に比べればとてもささやかなものだが、それでも宝物庫、金庫とされるものの前で、オルエンが防護の術をかけた木の箱を手にしていたのだ。

 翡翠(ヴィエル)

 シーヴを守ることに力を貸した、緑の魔玉。

 かつてこの城の主たる〈守護者〉を死の瀬戸際でとどめた碧玉がもう一度、その力を発揮することは――ないかと。

(どうか……頼む!)

 よい細工が施された箱のなかで、原石は穏やかな光を放っていた。

(どうか、救ってくれ。お門違いだってのは判ってる、ゼレット様こそがヴィエルを守る役割にあるんであって、あんた(・・・)は違う)

(それでも、頼む。駄目なんだ、もう、このままじゃ)

 翡翠は、何も答えなかった。

 二年前にエイルを呼び続けた石は、まるでただの石で、まさしく〈石の如くに〉沈黙を保った。

「助けてくれ! 頼む、このままじゃあの人は死んじまう! 何か言えよ、言わなくたっていい、力を貸してくれ、この前みたく!」

 答えない。石は、石だ。――当然のことだった。

「何でだよ、おかしいじゃねえか。この前は、頼み込まなくたって助けてくれたじゃねえか。あれがお前とアーレイドの奴じゃなかったなんて、言わせねえぞ」

 彼は呼びかけた。答えは、ない。

「何でだよ」

 エイルは納得できないように言った。

「イーファーを追い払うなんて、お前にゃ何の関係もないことに力貸しといて、お前の守り手が危ういときにはだんまりなのかよ!」

 応えは、ない。

 石は、石だ。

 彼がどれだけ呼んでも、何かを答えることなど、なかった。

 ちら(・・)とも、何かを感じたような気配を見せることさえ。

 当然のことだった。

 石は、石なのだ。

「何で……だよ」

 無力感に襲われた。

 最後の希望が、絶たれた。

 冥界の導き手ラファランはもう、そこまで伯爵を迎えにきている。いや、こうしてエイルが無駄なことをしている間に、もしかしたら。

 戻ろう、と彼は思った。

 無駄だった。無駄な期待だった。

 不思議な力はもう彼を助けない。彼には何もできない。

 ランティムの、名前も知らなかった一兵士であろうと。運命の絆で彼と繋がった、カーディルの伯爵であろうと。

 望むようには、助けない。

(何を望んだんだろう)

(馬鹿な、ことをした)

(戻ろう)

(ゼレット様は、まだ――)

 ぎゅっと唇を噛んだ。まだ生き(・・・・)ているだ(・・・・)ろうか(・・・)、などとは、考えたくなかった。

『――望むのか』

 そのとき、はじめは――自身の思いの、声に出されぬ悲痛な叫びの、反射のようなものだと思った。

『一度、手を貸した。何の代価も求めることなく。それを再びと、斯様に望むのか。リ・ガンたりしものよ』

 だがそれは、彼の心に響いた虚ろな木霊ではなかった。それは、間違いようもない、力ある声だった。

「――翡翠の、女王」

 青年は、口を半端に開けた。

 それ(・・)の名をエイルは知らない。名があるのかさえ。ただこの存在をそう呼んだのはシーヴであり、オルエンであった。

「聞こえたのか、俺の声」

 彼はすがるように言った。

「聞いててくれたんなら、それじゃ」

 失いかけた希望が、闇のなかの灯のように眩しく瞳に映った。

 これ(・・)が何であるのかは判らない。

 人外という語で括ったとて、ラニタリスのような魔物とも違う。〈女王〉に肉体はないだろう。言うとすれば上位精霊――名の伝わらぬ九番目の神のような――なのかもしれない。オルエンなればそのような考察と観察を進めたかもしれないが、エイルにはそのような興味も、余裕もなかった。

「それじゃ、助けてくれんだな。あんたの翡翠の守り手、ゼレット様を」

「否」

 答えは短く、早かった。エイルは愕然とする。

「私はお前を戒めにやってきたのみ。リ・ガンたりしものよ、お前は翡翠と関わりを断つことを選び、ただ人の道を望んだ。手にした力では打破できぬと嘆いて、ほかなる力に泣きつく。一度(ひとたび)は聞いた。お前の意志の強さと、かの小鳥の機転に敬意を表して。だが」

 それまでだ、と存在は告げた。エイルは堅固たる大地と踏み出した足の先が薄氷であると知った。

「じゃあ」

 青年は歯ぎしりをした。

「見捨てるのか!? あんたが定めた〈守護者〉だろ!」

「もはや彼は、守護ではない」

 それが女王の返答だった。

「彼は、彼自身の意思で、その言葉で、血統に任を譲り渡した」

「――ソーン」

 伯爵位と同時に、ゼレットはそれをソーンに譲ったのか。

「それ故、彼はもはや、守護ではない」

「だ、だからって!」

 エイルは声を張り上げた。

「ゼレット様が守護者だったことに変わりはない! 二年前、何度も危ない目に遭って、それでも俺を手伝ったくれた! あんたをだ! なのにそれを見捨てて、死んじまえって言うのかよっ」


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