09 君は、何者?
「ああ、ご足労をおかけしまして、協会長」
アロダは安堵したような息を洩らす。
「注意はしてたんですけどねえ、こんなに簡単に捕まるとは正直、思いませんで」
「気にしなくていい、君の失態じゃないからね。エイル君に不思議な力の流れがあることは判っていたけれど、こんなふうに発揮されるものとは、私とて」
優しい瞳が眼鏡の奥で興味深げにきらめいた。
「まさかってか、やっぱ、なのかな」
フェルデラに気をつけろ――オルエンの言葉が蘇る。
「絡んでるのか。イーファーとも?」
「イーファー?」
「コリードですよ、お話ししたでしょう」
「ああ、呪術師君か」
「やっぱり」
エイルの薄茶の目がぎゅっと細められた。協会長は首を横に振る。
「おっと、勘違いはしないでほしいな。アロダ術師から話を聞いただけ。私は呪術には興味はないよ。黒いものを伴ったとしても、あれは通常の魔術、その一派にすぎない。私が気になるのは君の首飾りと、それから君自身だ、エイル君」
にっこりと笑った顔にエイルは気圧された。
アロダは、エイルよりもずっと高位。フェルデラは遙かにその上を行く。
このふたりを相手取るのは、いかな助力があっても、厳しいかもしれない。
いや――もしかしたら、そのような懸念は全く要らないだろうか?
青年は杖を握り直した。
「慌てない」
フェルデラが言うと、意志とは裏腹に再び杖が下げられた。エイルは小さく呪いの言葉を吐く。
「悪い言葉も、使わない。君はそんな礼儀知らずではなかっただろう?」
「そんなもの、いまは不要だからな」
エイルは杖に意識を集中した。いや、その持ち手を飾っている白き翡翠に。
(――力を)
すい、と腕が軽くなる。エイルは三度、それをかまえることに成功した。
「いまのは?」
フェルデラが瞬きをした。
「先にも見ましたが、魔術とはどこか違いますね」
アロダも同じようにする。
「何でも、いいだろ」
エイルはわずかに眉根を寄せた。これは「そのとき」以来、彼が初めて見せた感情の片鱗だった。
「これが、俺の」
どちらにともなく、短杖を向ける。
「選んだ、ものなんだ」
「興味深い」
言葉の通り、実に興味深そうにフェルデラは言う。
「エイル術師。君は、何者?」
「さあね」
と言うのが彼の答えだった。
「それは、俺に決められることじゃない」
「君に決められない?――では」
エディスン魔術師協会長の目がきらりと光った。
「誰が決める?」
「あんたの知ったことじゃない」
すげなく、エイルは言った。
「運命とでもお星様とでも好きに考えとけよ」
星、の一語にフェルデラは目を細くした。
「ああ、惜しいね。いまの君をエイファムに観てもらいたい。彼ならば、いまの君の星をどう読むだろう?」
「怖いこと言わんでください、ギディラス。ここにローデン閣下がいたら、私ゃ今度こそ殺されますよ」
アロダは大げさに身を震わせた。
「そんな簡単に殺させはしないよ、心配しなくても」
「簡単じゃなければ殺させるんですか」
「場合によっては」
エイルが口を挟んだ。
「俺が、な」
青年魔術師はアロダを睨みつけ、太めの魔術師は肩をすくめる。
「強気に出たもんですね。さっきから、意外だ。話から想像していた若者と違いますよ」
「私が知っている彼とも違うね。彼を変えるだけの何かがあったようだ。先の奇妙な力と言い、侮るようではいけないね、アロダ術師」
「侮りゃしませんよ。私ゃ人生、いつだって真剣勝負です」
「じゃあ、その真剣な気持ちで誓ってもらう」
エイルは順番に、自分より上位の術師ふたりを見た。
「二度と、アーレイドに関わるな」
「へえ」
面白そうにフェルデラは笑んだ。
「君に、ではないんだね」
「俺に関わりたければ、好きにしろ。でも首飾りは渡さないし、不思議な力の話もご免だ」
「残念だ」
協会長は言った。
「私は、無理強いは好まない」
その台詞にエイルは目を細くした。
「脅迫なら、無駄だと言っておく」
「まさか」
あくまでも穏やかに、フェルデラは首を振った。
「誤解があるといけない。私は、言っただろう、首飾りに興味があるのだと。最初からそう言っているはずだよ、君が話にきてくれたら嬉しいと」
「そうだったな」
エイルは協会長がそう言ったことを覚えていた。
「でも、信じられないことのたとえだろ。――〈魔物の誠実〉ってのは」
「これは、これは」
フェルデラは笑った。
「知っていたのかい? ヒサラ術師が話した? それとも君自身で見て取ったのかな。どちらにしても少し意外だね。前者ならば、〈蘇り君〉は君についたことになる。後者ならば」
「それほどの術師とは思わなかった?」
「いいや」
皮肉を込めてエイルが言えば、フェルデラは首を振る。
「判っていて喧嘩を売るほど、君は後ろ盾に自信を持っていることになる」
「結局」
エイルは唇を歪めた。
「つまりは、俺のことは大した術師じゃないと思ってるって訳だな」
「そうなるかな? 気分を害したのなら謝ろう」
「けっこうだね。事実だ。魔力じゃ、あんたに毛先ほども敵わない。でも、そうだな。ウェンズは何て言ったっけ。そうだ――ほかなる力」
明るい薄茶の瞳に暗い炎が宿ったようだった。
「それを用いれば、あんたとだって対等に戦れる」
「面白い」
フェルデラはかすかにうなずいた。
「実に興味深い。けれど、私は戦う気はないよ、エイル君。アロダ術師も同様だ。そんなことをして、稀少な存在を損ないたくないからね」
「俺のことかい? 数奇なる運命? 奇妙な、星巡りを持つ?」
その声は低くなる。
「そんなもんが――そんなもんが、大事なひとたちを傷つけることになった! 偶然を引き寄せる定め? ふざけんな、俺は望まなかった。望まなかった、こんなことは、一度も!」
ずっと静かだったエイルの声が突如、激しさを帯びた。ふたりの魔術師は驚いた顔をする。
望まなかった。一度も。
一度も――?
本当に、ただの一度も、望まなかったと?
無力な自分に歯がみし、どうか力をと、そのためならば何でもすると思ったことが、一度たりともなかったと言うのか?
――なかった。
あの瞬間まで。
「誓え」
彼は無理矢理に声を抑えると、低くそう言った。
「アーレイドには関わらないと。二度と、手を出さないと。俺に興味があるなら、俺のところにこい。もし、また誰かを脅かすような真似をすれば」
「私は、そのようなことはしていない。今後もしないだろう」
フェルデラは片手を上げてエイルの言を制した。
「アロダ術師?」
「仕方ない。認めましょう。しましたよ、私はね。怒らないでくださいよ、ギディラス。あなたが首飾りに興味を持つように、私はコリードの呪力に興味があるんです。彼につき合うのはそのためですよ。機嫌取っとけばいいことがあると思いましてね」
「私の機嫌を損ねることは?」
「ものすごく怖いです」
「なら、ここはエイル術師の機嫌を取ろう」
半人外の協会長はにっこりと言った。




