02 過保護なんじゃないか
どさり、と何かが投げ出された大きな音に吟遊詩人は首をすくめた。
「乱暴だなあ、もうちょっと丁寧に扱ったらどうだい」
「騒音は創作のお邪魔か、詩人殿」
「それくらいで邪魔される程度の集中力しかないなら、誰かと旅をするのはやめた方がいいだろうね」
「詩人ってのはもうちょっと繊細なもんかと思ってたがな」
「人それぞれだよ」
クラーナ、それともリーンは肩をすくめてそう言った。
「僕が言ったのはね、ガル。そんなふうに獲物を投げ出しちゃ、せっかくの皮にも傷がついてしまって高く売れないんじゃないかって現実的な話さ」
「夢のない詩人だ」
ガルシランは笑った。
「金の心配か? 人を雇うと言っておいて、報酬を払えないとは言い出さないだろうな」
「ご安心を。どうしても足りないとなれば、詩人にはとっておきの裏技がある」
クラーナが澄まして言うと、ガルシランはにやりと笑った。
「〈夜の鳥は声さえ美しければよい〉」
それは、卑猥な歌の一説である。
「美人局でもやってやろうか」
「それって」
クラーナは片眉を上げる。
「もしかして、男を相手にさせようとしてる?」
「切羽詰れば、自分の好みなんて言ってられなくなるだろう」
「……何だか南方のとある人と話をしている気分になるけど」
クラーナは苦笑した。
「君にクジナの趣味はなかったよね」
「覚えがないな」
「そりゃ何より。急にその気になられても、お断りしかできないからね」
「俺もだ。──まあ、当分、女は要らんという気もするが」
戦士は呟くように付け加え、視線を遠くへやった。クラーナはそれには何も言わず、隠しに手を入れると翡翠製の腕輪を取り出す。
「『手放すときを見誤るな』か。僕はランドに厳しいこと言ったんだなあ」
「誰だと?」
「ちょっとした知り合いさ。僕としてはこの上ない親切な忠告のつもりだったけど、もらった方は困惑する言葉だったって訳。ほら、ガル」
「おっと」
ぱっと詩人が投げた腕輪を戦士は器用に受け止めた。
「何、遊んでるんだ」
「君は、それに何か特別なものを感じる?」
「特別な?」
戦士は腕輪をためつすがめつした。
「いい石だ。飾り彫りも細かいし、高いだろうとは思うが、それ以上のことは何も」
「そんなもんだろうね」
クラーナは手を差しだした。ガルシランはその上に腕輪を返す。
「君が持ってるのがいいんじゃないかな、と一瞬思ったんだけど、いまのは理性の判断だな。君は『魔除け』を必要とすることはあるかもしれないけど、『その腕輪』を必要とする訳じゃない」
「『魔除け』を必要とする? 俺がか? いつだ」
「僕に予言を期待するのはやめてくれってば」
探るような戦士の目つきに詩人は天を仰いだ。
「一般論だよ。戦士の道を往くなら、そうじゃない者より必要性がありそうだろ」
クラーナはそう言うと腕輪を指の先で器用にくるくると回した。
「エイルが僕にこれを渡したのは、彼が僕を探す目印のため。『魔除け』の意味は薄いはずだけど」
「こなかったなあ、あの坊や」
不意にガルシランはそんなことを言った。クラーナは腕輪をしまいながら首を傾げる。
「こなかったって?」
「剣を習いにさ」
「へえ」
クラーナは片眉を上げた。
「君がそんなふうにエイルのことを気にするとは思わなかったな」
「そうか?」
戦士は首を傾げた。
「何だか、あれくらいの年齢だと弟を思い出してな。少し心配になるようだ」
「成程」
ガルシランの弟サイブロンは一年ほど前に〈蘇り人〉との戦いで死んだと言う。
「何か思いついた訳かい?」
詩人は問うた。
「ほら、エイルからもらった宿題、さ」
「魔術と剣術か?」
ガルシランは肩をすくめた。
「生憎と俺には魔力なんかない。うまい手段は思いつかなかったよ」
「あれ、それじゃ降参」
「そんなところだ」
悪びれずに戦士はうなずく。
「第一、助言を求めにやってきてないんだから、うまく切り抜けたんだろう」
「そうだといいけどね」
クラーナは心から言った。
「呪いをどうしたのかな。君の言ったように『乗りこなす』ことができるとは思えないんだけど」
「ほう、彼にはできないと」
戦士は片眉を上げた。
「意外と、信用してないんだな」
「そうじゃないよ。信用してるからさ」
クラーナはそう答えた。
「エイルは、呪いと言われるものを『利用』なんてしたくないだろうと思うんだ。窮地にあっても、善良でいる」
詩人の言葉に戦士は少し笑った。
「『善』は時に『弱さ』と同義だ」
「僕は、あんまりそう思いたくないね。越えれば物事が簡単になる境界を意志の力で越えない、それはむしろ強さだよ」
「精神を鍛えたところで、現実の力がなければ負けることもある。そして、負けることは死ぬことかもしれない。それでも『善』を守るか?」
「――僕はそうありたい。でも、もし」
詩人は考えるように目を閉じた。
「エイルが、ううん、彼に限らない。大事だと思う誰かそんな分岐点に立ったら」
クラーナは小さく祈るような仕草をして目を開く。
「たとえ闇に落ちる選択をしたとしても、生きていてほしいと思うだろうね」
「そんな大げさなことにはならないさ」
戦士は肩をすくめた。
「そうだと、いいけど」
クラーナは呟くように言った。
「もっとも俺は、あいつにはそれだけの能力があると踏んでるが」
「能力? どんな」
「『呪いを利用する』」
ガルシランの言葉にクラーナはわずかに首を振った。
「できることとやりたいことは違う。僕は、彼はやりたがらないだろうと思う」
「やりたくないことをやりたくないで済ませられるならそれでもいい」
戦士は肩をすくめた。
「まあ、彼が何を選ぶかは彼次第だが、少し過保護なんじゃないか、爺様」
にやりとガルシランは言ったが、クラーナは平然としたものだ。
「別にエイルは僕の孫じゃないよ」
君もね、と加わってガルシランは笑った。
「それに逆だよ、ガル。僕は彼のもちろん祖父でも親でも、師匠でもない。だからこそ、彼に厳しくする必要はないんだ」
クラーナは続ける。
「彼と僕の間には不思議な運命の繋がりがあったけれど、それを別にしても、友人だ。友人が困っているとなったら助けたいし、危ないことをやろうとしているならとめたいと思うものだろ」
「友人は所詮、友人だ」
というのが戦士の返答だった。
「助け合いと聞けば美しいがね、リーン。所詮、人間は自分がいちばん可愛いもんだ。お前は『友人を危惧するよい人間である自分』に酔いたいだけじゃないのか」
「じゃ、僕がエイルを心配するのは僕のためだと」
クラーナは面白そうに言った。
「それが君の人生観って訳だ。いいともさ、ガル、僕は自己満足のためにエイルを心配する。それで君は?」
「何?」
てっきり反論がくるものと思っていた戦士は、思いがけない同意と質問についていき損なう。
「何か考えてるだろう」
詩人は指摘した。
「剣術と魔術に関することじゃない。呪いに関することで、エイルへの助言を考えついたんだな」




