12 それ以下だ
「それで、エイルを呼ぶのですか」
「今日の業務が片づいたらそうしようと思っている」
真剣だった伯爵の顔がほころんだ。不思議だ、とソーンは思う。エイルが嫌がっていることは知っているけれど、嬉しそうなゼレットを見ることは――そう悪い気分でもない。
「ソーン」
「はい?」
「取るなよ」
「……取りません」
どうしてそうなるのだろう、と思いながらソーン青年は真面目に返した。
「エイルは、俺よりお前と話している方が楽しいと思っている節がある。若い方がいいのだと言われれば俺にはどうしようもないが、そういう訳ではないと言うのだから」
「あの」
ソーンはどうにかゼレットを遮って言った。
「エイルにその趣味はないんだから仕方ないんじゃないですか。その、俺にもないですが」
「あってもかまわんぞ。子を為してもらいたい以上は男だけでは困るが、好むならどちらも嗜めばいい」
平然と言われたソーンは目の前がくらくらするような思いだった。「嗜む」などとはやはり、生真面目な彼の感覚にはないのだ。
「そう言えば、気になる娘などはおらんのか、ソーン。結婚を考えてもいい年だろう」
「け、結婚ですか」
がらりと変わった話に青年は目を白黒させた。
「ただし、ミレインは駄目だ」
「そ、そんなつもりはありませんっ」
「何。年上だからか。女は若ければいいと言うものでもないぞ」
エイルならば「どっちなんですかっ」とでも叫ぶところだが、可哀相なソーン青年は返答に詰まるばかりである。
「おらんのか。いかんな。では近々、ウェレスへ出向こう。ずっと業務のことばかりを教えておったが、お前にはほかにも教えてやらないといかんことがあるようだ」
「け」
「け?」
「……何でもありません」
「けっこうです」ときっぱり断れないあたりが、どうにもまだ「一兵士」と「伯爵」であった。
「心配は要らん。お前はなかなかよい顔をしておるし、伯爵夫人の地位を目当てに寄ってくる姫君の十人や二十人」
そんなに要りません、という当然の台詞もソーンは言えない。だいたい、彼にとっては恋愛は遊戯ではない。ひとりとつき合うならば、ほかは不要だと考えている。――もっとも一般的には、それが一般的であったが。
不意に執務室の扉が叩かれた。ゼレットは片眉を上げる。
「何だ」
「閣下」
戸を開けて現れたのはタルカス執務官だった。
「どうした。ああ、カティーラが仔猫を産んだか」
「それはまだです。もうすぐみたいですが」
タルカス青年は少し笑って手を振った。
「もう少し、困った話題ですよ」
「何だ」
困ることなど何もない、とばかりにゼレットは手招くようにする。
「それがですね」
タルカスはその場に留まったまま、頭をかいた。
「連中、痺れを切らしたみたいなんです」
「何?」
「魔術師協会ですよ。ひとり、派遣されてきました」
「何」
ゼレットは口髭を歪めた。
「帰れと言え。今日は都合が悪いと」
「約束もしていないだろうと告げたんですが、それならばそれで閣下の口から約束を取り付けると言って聞きません。いつぞやの強情な占い師を思い出しますよ」
タルカスは厄除けの仕草をしながら言った。
「どうしましょう。絶対に追い払えと仰るなら、呪われる覚悟でやってきますが」
「ふむ」
ゼレットは卓上に置いた護符を見た。
「ふむ」
もう一度言って、伯爵は立ち上がった。護符を手にし――しばし考えたあとでつかつかとタルカスに歩み寄るとそれを押しつける。
「大事なものだ。しっかり持っていろ」
「はあ」
「『はあ』ではない。しっかり持っていろ」
「判りましたよ。じゃ、お会いになるんですか」
「話はしっかり通しておく。必要だと思えばお前を呼ぶ故、それを持って入ってくるように」
「何だか知りませんが、判りました」
執務官の青年は了承した。それにうなずいて、ゼレットはソーンを手招く。
「行くぞ」
「私もですか?」
「そうだ。お前は、聞いておいた方がいいかもしれん」
その声に意外なもの――真剣な色を聞き取って、ソーンとタルカスは思わず顔を見合わせた。
カーディル城には応接室が二種類ある。
端的に言えば、位ある客人を伯爵自らがもてなすためのものと、そうではない客を執務官があしらうためのものだ。
正式な魔術師協会の使者であれば前者が相応しかったが、押しかけだと言うことでタルカスは後者を選んだらしかった。「魔術師」などは誰でも怖ろしがるものだというのに、タルカス青年はそれを怖れないほど剛毅だ、と言うよりは、かつて魔術師に殺されかけた経験が偏見を助長しているのかもしれなかったが。
ゼレットは無造作にその扉を開け、ソーンが続いた。なかで待っていた魔術師はすっと立ち上がった。通常ならばここで伯爵にして領主である男への一礼でも入るところだが、魔術師はそれをしなかった。
「お前が、強情者の術師か」
開口一番で伯爵が言えば、魔術師はじっと伯爵を見返した。
「――魔力は、ないな」
「何?」
礼を伴わない高めの声に迎えられ、ゼレットは顔をしかめた。
「ただの人間か。だが繋がっている。あの奇妙な力と。お前は何者だ、ゼレット・カーディル伯爵」
「お前が言った通りの者だ。カーディル伯爵。それ以外に何が必要だ」
ゼレットは無礼だなどと術師を咎めることはせず、淡々と言った。背後ではソーンが目をしばたたいている。
「『何者だ』は俺の言うべき台詞のようだな。お前は協会の使いとは思えぬ」
「何だって」
「その通り」
驚いたようにソーンは言ったが、冷たい目をした若い魔術師はじっとゼレットを見たままで簡単に答えた。
「この町を特定するのにはそうかからなかったが、ここの協会は愚鈍だ。私が教えてやった不可思議な波動を特定するのに幾日もかかった。ようやく突き止めたかと思えば悠長に書状など」
「協会」という組織を馬鹿にするように、魔術師は唇を歪めた。
「まるでこの城に関わりたがらぬかのようだな。おかげで、確信できたが。奇妙な力を発したモノはここにある、と」
「はっ」
ゼレットは鼻で笑った。
「魔術師協会を騙す魔術師か。そのようなところであろうと思った。お前からはいけ好かない臭いがぷんぷんする。自分を中心に世界が回ると思い、従わぬ者の存在を認めぬ類の、果てしない勘違いをする貴族に似ている。いや、もっと悪い。それ以下だ」
「なかなかの慧眼だ」
魔術師は雑言を気にかけなかった。
「ではそのよく見える目で私を見て、しっかりと判断をしろ。私の望まぬ返答をすればどうなるか考えるといい」
「ソーン」
ゼレットは背後の青年に声をかけた。
「下がれ」
「しかし」
「俺はこの坊やとふたりで話さねばならんようだ。お前は、下がって」
「させぬ」
それが魔術師の返答だった。
「お前は何かしらの力と繋がっており、そこの男はそうではない。それ故、身を案じて下がらせようと言うのだろう。だが、させぬ。弱みを持つ人間を引きずり倒すのは簡単だからな」
「――ほう」
ゼレットは相手を睨んだ。
「繋がる。何かの力と。何の話だ、などと言っても無駄なようだから言うのはよしておこう。その代わり、問うぞ。何のためだ」
「勘違いをするな、伯爵」
イーファー――それは無論、イーファラード・ラギータであった――は首を振った。
「私はその奇妙な力が欲しいのではない。砂漠の術師に、目にものを見せてやりたいだけ」
「砂漠の」
それがエイルのことであることは、ゼレットには容易に伝わった。
「させぬ」
今度は伯爵がそう言った。
「何が目的であろうと、彼の害になることはさせぬぞ」
「言うは易し」
ひゅっとイーファーが手を振るとそこに長杖が現れた。対するゼレットも剣を抜こうとして、舌打ちをした。通常の業務についていたのである。そのようなものは身につけていない。




