06 天罰が下ると知れ
教えられた館は、町の奥の方にあった。
屋敷だの館だのという言い方が似合いそうなその建物は、質素な印象のある町全体から見るといささか不似合いだった。聞くところによると、以前は町の富豪の持ち物であったらしい。富豪が死んだ折り、神官たちにその場を遺したのだと言う。
神殿は喜捨として金品を受け取りはするが、建物や土地というのは聞いたことがない。だがそれは「大都市」の「八大神殿」の常識であるからして、小さな町の神官たちがその贈り物を受け取ったからと言って即「怪しい」とか「奇妙だ」ということにはならない。
実際問題として、金や勢力がなければ神殿を建てることなどできず、神界冥界の主神以外を崇める神官は立派な神殿を持ちたくても難しいのである。広い屋敷という遺産を神から与えられたものだと解釈して移り住んでも、強欲だとは言いづらい。
(あんまり、神サマのことには詳しくないけど)
館を横目で見ながら、エイルは考えた。
(確か、神界の従神の伝説で、旅人を凍死から救った神様の話があったな)
(その神様にでも仕えてんのかね?)
「火の力」とは少し異なる気もするが、信仰などというのはどこから出てきてどういう形になるものやら判らない。
館を眺める見知らぬふたりの旅人を不思議そうに見る町びとも少なくなかったが、誰何されるようなことはなかった。ただ、何だろうかというように見送られるだけである。──そこに彼らを案じる視線はあったか、否か。少なくともエイルは気づかなかった。
立派な屋敷によく似合う立派な正門には、こういう場所によく似合う門番の姿はなかった。神殿という形をとっておらずとも、聖なる場所には無骨な兵の見張りなど必要ないのかもしれない。
と言っても、いきなりその館を直接訪れることは避けることにした。組織の長に会わせろと言って簡単に会わせてもらえるものではないだろう。
彼らはその前を通り越して噂の教会に向かう。どんな相手であるのか、その「神父代理」で雰囲気を見ることもできるはずだ。
一、二年前に神官たちがやってくるまで寂れていたという教会は、成程、ずいぶんと古びていた。補修はどうやら、雨漏りを直すとか破れていた硝子を換えるとかいった最低限のことしかやっていないようだ。
というのは、敷地内の雑草は冬枯れの季節でも酷いものだし、外壁もぼろぼろだからである。
神父が何かしら修繕をやろうとすれば、信者ではなくとも町びとたちは積極的に手を貸しそうなものだから、神父に、或いは司祭にその気がないと考えることができた。
「でも、それって矛盾してるよな」
エイルは意見を言った。
「富豪の家に住み着いてんなら、ここを根城にするつもりだろ。家ばっか立派で教会は放置ってのはどうなんだよ」
「さあな」
砂漠の友人は肩をすくめた。
「それも『リグリス様』に訊けよ」
教会の奥から姿を現した神父、いや、神官は三十から四十歳ほどの男で、酒場の給仕女が言った通り、とてもではないが「優しい」感じはしなかった。大都市には事務的な神官もいないことはないが、概して聖職者というものはたとえ儀礼的であってもにこやかにするものだ。
だから、旅人ふたりをいかにも見定めるようにじろじろ見ながら「何か用ですか」などと冷たい視線を向けてきた神官に、彼らは思わず顔を見合わせることになった。
「司祭殿と話をしたいんだが」
シーヴが単刀直入に言うと、神官は眉をひそめた。
「司祭は忙しく、町の者とも話をする時間はありません。ましてや、旅の者とは」
「へえ」
いささかわざとらしく、シーヴは驚いた顔をする。
「いったい、どんなお仕事で忙しいのやら」
こんな田舎町で――という含みに、神官は少しむっとしたようだった。
「重要なご用件だと言われるのでしたら、私が伺いますが」
「あんたじゃ話にならないな」
シーヴは一蹴した。
「クエティスの件で話があると伝えてみるといい。もしかしたらあんたの予測とは違う判断を下すかもしれないからな」
「クエティス?……ああ」
知っていると言うように神官は鼻を鳴らした。
「あの男が、何か。いえ、何であろうとセランの興味を引くとは思えませんな。お引き取りを」
「セラン」
シーヴは唇を歪めた。「セラン」は最高級の敬称で、一般には王族や高位の貴族に対して使われる。使用人を使う立場にあれば、多少の勘違いをしてそう呼ばせたり、或いは召し使いの方で気を回してそのように呼ぶこともある。「ご主人様」というところだ。
だが、いかに司祭と一神官と言えども、その呼びかけはあまり――言うなれば、健全ではなかった。
「伝言くらい、いいだろう。減るもんでもなし。それとも、あんたの『セラン』はそんなに怖いのかい」
「失敬な」
神官は不満そうな顔をしたが、それが「司祭というのは怖い人物なのか」に対するのか「あんたは司祭を怖れるのか」に対するのかは、判断しづらいところだった。
「何を望むのか知りませんが、我らにとって重要なことならば判っています。あの男の話は、そうではない」
「言い切るもんだな」
「ええ、言い切れますから」
シーヴはじっと神官を見たが、そこに迷いはないようだった。どうしたものか、と砂漠の青年は考えるようだった。はったりをかますことは彼の得意だが、材料が少なすぎるというところだ。
「それじゃ」
すっとエイルは進み出た。
「こういうのはどうだい。クエティスがまだしていない話を持ってきた、とね」
シーヴは何を言い出す気だと片眉を上げたが、神官も同様だった。
「――魔術師」
「おっと」
エイルは軽く目を見開いた。
「自慢じゃないが、黒いローブを着ていないときにそう見られたことはないね。あんたはお仲間じゃなさそうだが」
「お仲間」の部分を嫌そうに言った。別に演技でも何でもない。魔術師仲間など、彼はほしくないのだ。
「俺の力を見て取るってことは、似て非なる、ってあたりかな。まあ言わせてもらうと、あんたはあんまり神官っぽくは、ない」
そのほのめかしに神官の目は細められた。
「どういう意味か、術師」
「その呼ばれ方、嫌なんだけどなあ」
かと言って名乗るのも何となく嫌である。エイルは肩をすくめた。
「意味も何も。自分じゃ判ってんだろ。俺は神官に知り合いは多くないけど、それでも判るよ。多少はね」
「おい、何の話を――」
「そうだな、魔術。あと、神術。もっと詳しく聞きたいか?」
「いや、いい」
砂漠の青年は唸ると引いた。
「私が、神官ではないと?」
「らしくないって言ってるだけだけどね」
「充分だな、そのような侮辱は我慢ならない。出て行ってもらおうか」
「あれ」
エイルはにやりとした。
「いいのかい、魔術師がこんなところに何しにきた、と思わない訳。埃を払うみたいに追い払って、ご主人様にお叱りを受けるんじゃ」
「黙れ」
神官の顔は不機嫌になってきた。シーヴはエイルの肩に手を置く。おい、うまくないじゃないか――と言うのだろう。
「お前のような若造では、どこかの協会の使いとも思えない。もう一度だけ言っておく、セランはクエティスの話などに興味はない。それから魔術師と対話する趣味もお持ちでない。出て行ってもらおう」
それは「教会を」ではなく「この町を」であることは明らかだった。
「あんたにそんな権利があるのかい」
「権利」
神官は不機嫌な顔のままで繰り返した。
「この町はリグリス様のものだ。旅人などはお呼びでない。それだけのこと」
隣町まで行けばそこはスタラス王の領土だったが、このコルストは確かにどの王の領地でもない。大都市ならばそれを自由都市と呼ぶが、小さな町の場合はそうは呼ばず、ただ「寂れた場所」と思われるだけだ。
しかし、だからと言って無秩序であるというのではなく、村長なり町長なりと呼ばれる人物がそれなりの法を仕切るのが通常である。司祭が――というのは解せない。
「何様だ、リグリスってのは」
シーヴが口を挟んだ。
「領主気取り、それとも王様気取りか。ちゃんちゃらおかしいね。出鱈目な宗派を作って神殿ごっこでも」
それ以上、シーヴは続けられなかった。
神官の目が見まごうことなき怒りに燃え、エイルがばっとシーヴの前に出たからである。
「おい」
戸惑って砂漠の青年が言えば、エイルはうるさいと返す。
「妙な真似すんなよ、神官サン。こんなとこで術のぶつけ合いなんて、『セラン』のお気には召さんだろう?」
成程、とシーヴは思った。彼の言葉は神官の逆鱗に触れ、相手は何か術を行使でもしようとしたのだ。エイルはそれをとめた。
「それはお前たちの知るところではない。ただ出て行けばよい」
エイルは嘆息した。
「俺たちは話を聞きたいだけだ。司祭が何者だろうと関係ない」
「出て行け」
神官の返答はすげなかった。
「これ以上とどまるつもりでいるなら」
その目はいままででいちばん、きつくなった。
「オブローンの天罰が下ると知れ」
それを聞いたエイルは――全身の毛が逆立ったかと思った。
「行こう」
魔術師はさっと振り返ると、友人の肩を押した。そうされたシーヴははっとなったようにエイルを見て、しかしやはり戸惑う。
「何だ、突然。いまのは、いったい」
「じゃあお前も感じたんだな。いいから行こう。ここは」
彼は声をひそめた。
「やばい」




