07 魔術師らしく
「な」
まるで「明日は天気がよさそうです」とでもいった調子だったので、エイルは一瞬聞き違ったのかと思ったが――〈心の声〉を聞き間違うことなど有り得ない。
「賊? 襲撃だって? 何で、誰が」
呆然と言ってからはっとなった。
「シュアラはっ!」
『落ち着いて。突然のことで城壁の内部には侵入を許したものの、少人数でしたから城内に入り込まれることなく、兵が押さえたということです』
「でも、そんな、何で」
エイルはとても落ち着けなかった。いくら何もなかったとしても、それならよかった、では済まされない。たとえば、あなたの家に泥棒が入りましたが何も盗られませんでした、と言われたとして、「それならいいか」とは思えないだろう。
「何か」
エイルはきゅっと唇を結んだ。──落ち着け。
「でも何かあったんですね、導師。そうでなけりゃ……わざわざ俺にそんな話するはず、ない」
『シュアラ殿下はご無事です。言いましたように、王宮の内部に侵入者は足を踏み入れられなかったのですから、当然ですが』
「じゃ」
青年は心臓がとくりと鳴るのを感じる。
「ファドック様……は」
街と城を守るのは軍団兵で、近衛兵は本来、王家や要人を守るものだ。だがファドックもまた、座しているべき立場を越えて自ら動こうとする性質の持ち主だ。
もちろんシュアラに危機が迫ればそちらを優先するだろうが、話からすれば王宮は安全だったのだろう。そうしたときにファドックがどうするか。また、シュアラがどうするか。
きっと彼は向かうだろう。躊躇したとしても、シュアラが背を押すだろう。
エイルは実際のところをほぼ正しく推測した。
『そのことですが、奇妙なのです』
ダウは少し困惑したような声を出した。
『賊の狙いが具体的には何であれ、城にある金や宝石の類であると、そう考えるのが普通です。それにしてはあまりに無計画、かつ、少人数でしたが、誰もそれを疑わなかった。しかし、エイル術師』
落ち着いて、とダウはまた言った。
『彼らの狙いは、ソレス近衛隊長だったようなのです』
「ど」
エイルの心臓は、先よりも大きく音を立てる。
「どういう、意味ですかっ!」
『彼が姿を見せると、残っていた賊たちはいっせいに彼に向かったと。戦場であれば、指揮官を狙うという戦術も有り得ますが、あれは戦ではなかった。訓練された多人数の兵士たちと、ろくでもない無法者たちではまともな戦いになるはずもなく、指示をする首領めいた人間も見当たらなかったと言うのに、まるではっきりとした命令を受けたように、目前で斬り結んでいた兵士から離れ、ソレス殿に向かって剣を振りかぶり、矢を射かけたと』
「矢を」
すっと血の気が引くのを感じる。
一対一で剣を交えれば、ファドックが賊などに後れを取るはずがない。だが、弓矢のような飛び道具で狙われれば。
戦いの場に向かうとなれば普段の衣装よりもしっかりした防具を身につけはしただろうが、戦時のようなしっかりした鎧など、支度はあったのだろうか?
『魔術が絡んでいた可能性も危惧されています』
「ファドック様は!」
エイルは叫ぶようにした。
「まさか、怪我とか」
或いはそれ以上の――ことを考えまいとエイルはぶんぶんと首を振る。
「無事! ですよね!?」
『ええ』
ダウはあっさりと言った。エイルはへなへなと力が抜けるのを感じる。
「そういうことは先に言ってくださいっ」
悲鳴のように言うと、ダウは謝罪した。
『けれど、彼に何かあれば、あなたには判るでしょう』
言わなくても通じているはずだ、と言うようだった。
「――それは」
エイルは首を振った。
「……いまは判らないと、思います」
『そうですか』
短く言ったダウが何をどう思うのか、エイルには判然としなかった。
『ただ、エイル術師、このことをあなたに伝えてくれとの依頼はソレス殿からきています。直接に話をしたいことがあると』
「ファドック様が、俺に?」
エイルは目をしばたたいた。
「何だろ」
『都合のよいときに、しかしできる限り早めに、というようなことでした』
「へえ」
意外だ、と思う。
「判りました、導師。有難うございます」
そう言ったエイルは、既にアーレイドへと向かうことを決めていた。話の詳細が何であれ賊の話は気にかかるし、そもそもファドックが急を要すると考えるならば重要だ。
いったい何であろう、と思うと同時に――判るような気持ちも、浮かんでいた。
「そうだ」
エイルははっとなる。
「魔術が絡んでたってのは、いったい」
相当に重要な点だったが、ファドックのことに気を取られた。改めてエイルはそれを問う。
『詳しくはナーザル術師にお尋ねなさい』
「ナーザル?」
先だって受付で言葉を交わした少年術師を思い出し、エイルは首をかしげた。
「何で、あいつが?」
『王城からの要請を受け、術師をひとり派遣しました。それが、彼です』
「何で、また」
エイルは驚いた。魔力と年齢が比例しないことをエイルは知っているが、非魔術師はそう思わない。城からの要請となれば、見た目にも「それらしい」術師を派遣する方が無難だろうに、と思ったのだ。
『スライ殿の提案です』
ダウはそう言った。
『今回の依頼は城の総意ではない。宮廷付きの術師がほしいというのではなく、王女殿下の、言うなれば魔除けがほしいのだと』
確かにその通りである。エイル自身がそう望んだ。スライはそのあたり、上手に汲み取ってくれている。
『そのような任務であれば、気に入らない術師も多い』
魔術師たちは自意識が過剰と言おうか、やたらと誇り高いことがある。協会付きであれば仕事として請け負うにしても、この要請であれば「魔術師なら誰でもいい」即ち自身の能力が大して求められていないと考えて、面白くないと感じることは想像に難くなかった。
『ナーザル術師は年若いせいもありましょうが、まっすぐです。それに、アーレイド城の方々はむしろ少年術師に慣れておいでだ』
エイルは目をしばたたいた。
「……少年術師ってな、俺のこと、だったりするんですか」
『ほかにいましたか?』
「いませんよ」
苦笑をする。久しぶりに少年扱いされて少しくすぐったかっただけだ。
『伝言は、以上です』
ダウの言葉にエイルはうなずき、もう一度礼を言おうとしたところで、また声をかけられた。
『エイル術師』
「何です」
『手は、要りますか』
これにもまた苦笑が出る。「魔術師協会」としては、王城の内部には関わりたくないはずであり、これはダウの気遣いだ。スライにも同様に言われた。だが、断った。エイルはやはり同じようにする。
「意地を張ってるんじゃないですよ」
そのあとで彼はそう言った。つまらぬ意地などで、誰かを危険にさらすことなどはできない。
「ダウ師にしろ、スライ師にしろ、手ぇ貸してくれるって言うのを断るのは」
言いかけたエイルはしかし、何故だろう、と自分自身で説明に困った。
「その」
『かまいませんよ』
だがダウは追及しなかった。
『それがあなたの道だということです。私もスライ殿もたまたま近くであなたの道を見ていますが、言うなればそれはそれだけのこと。交差するようでも、しないことはある』
「すみません」
何となくエイルは謝った。ダウは笑う。珍しい、とエイルは思った。
『だいぶ、らしくなってきたと思いましたが』
「何がです」
エイルはきょとんとした。
『魔術師らしく、です。でもまだ慣れないようですね。けれどもしかしたら、それこそがあなたらしいと言うことなのかもしれません』
兄弟子の言葉は判るような判らないような、どこか面映ゆいような気持ちを青年術師に感じさせた。




