06 問題なのは
「いまのままでラニタリスと『仲良く』やることは可能さ」
エイルは肩をすくめた。
「子供の顔をする魔物。生憎と言うのか、演技じゃない。あれが生来だ。あれを目に見えるままに可愛がる。可能だ。同時に、使い魔として、使い続ける。動物みたいに、しつける」
青年の口調には、苦々しいものが混ざった。
「そんなふうにやりたいってんじゃない。でも、〈塔〉。一度つながれた使い魔が解放されるってことは?」
「多くは、主の死を意味する」
「それを訊きたいんじゃないよ」
その主は顔をしかめた。
「野生の生き物なら、野生に帰るんだよな。街でも暮らせるような猫やら鴉やらなら、路地裏に帰るってとこか。でも」
エイルは石の壁を見透かすような視線を送る。拡がる大砂漠。
「魔物は? それも、力を手にした」
「さて」
〈塔〉もまた、砂漠に目を向けたような気がした。――どうやってかはともかく。
「俺さ」
エイルは呟くように言った。
「首飾り以上に、あいつを放っておくことはできないんだ。名を呼び、使い魔としたときからそうだと言えばそうなんだけど、いまじゃ」
あの力。
ねじれた力を持った魔物を気儘に飛び立たせればどうなる?
呪いある首飾りを捨て置くよりも、酷い状況を招くことに、ならないか?
「判んねえ、けど」
青年は頭をぐしゃぐしゃとやった。
「エイル」
「何だよ?」
〈塔〉の声にまた顔を上げた。
「主よ」
「だから何だよ」
「日々、掴んでいるな。日々、段を上がるように」
「へえ」
建物の主は少し笑った。
「お前にも魔術師みたく、『見える』ものがあるって訳だ」
「そのようなところだ」
〈塔〉は普通に返した。
「私はな、エイル。お前の成長がとても楽しみだ」
「へえ」
青年はまた言った。
「何か? まさか子供の成長を見守ってるつもりじゃあるまいな?」
そう言うと今度は〈塔〉が──どうやってか──笑った。
「そのようなところだな」
「あのなっ」
エイルはこれには抗議した。
「俺は魔物のガキを持つのもお断りだけど、石製の親父を持つのもお断りだっ」
「父親か」
ふと〈塔〉の声音が変わった。すとん、と勢いが落ちたかのよう。
「お前は、父を知らないのだったな、エイル」
「ん」
エイルは頭をかいた。こういった話題はたいてい「可哀相に」だとか何だとかつくので、あまり居心地がよくない。当人としては、「父親」というのは全く覚えのない存在であり、いないという寂寥感はないのだ。
もしアニーナがそれを日夜嘆き悲しむようなことをしていたら、息子は「父がいないと言うのは寂しいことなのだ」と覚えて育ったかもしれない。ただ、幸か不幸かアニーナは「お前の父さんはいい男だった」とか「ヴァンタンとあたしが歩いてると誰もが羨ましそうに振り返った」とかいう惚気の類ばかりを口にしたので、エイルにとってヴァンタンという男性は、自分の父だというより母の恋人なのだという感覚すらある。
だから、父の不在をことさらつらく思ったことはない。
だが、まさか〈塔〉が気の毒だとそんなことを言い出すとも思えないな、と考えたエイルは改めて〈塔〉を──見るならここだと決めている一点を──見た。
「それが、何だよ?」
彼は三度言った。
「実はな、エイル」
〈塔〉は神妙な声を出した。
「私は父と子というものに憧れを持っている」
エイルは吹き出しそうになるのをどうにかこらえた。
「笑いたければ好きにしろ」
〈塔〉はそれを感じ取りでもしたか、そんなふうに言った。
「オルエンとお前を見ていると、たまに思うのだ。父と息子とはこのような」
「冗談にしても最悪だっ」
エイルは厄除けの仕草をした。
「だいたい、あんな韜晦爺なんざ、存在自体が迷惑ってもんだ」
あのあと、オルエンはまたも雲隠れである。エイルはオルエン専用罵詈雑言を並べ立てた。――呪いは、抜いた。
ただ、この言いようは癖みたいなものだ。彼は以前ほどには、オルエンを困った爺さんだと思っていない。
「まあ、正直に言うなら、感謝は、して、る」
オルエンがアニーナを守ってくれたことは間違いのない事実だ。彼はそれをよく理解していたので、当人を前にはとても吐けそうにない台詞を呟くようにした。〈塔〉は特に何も言わなかった。
「呪いを解く方法をほかにも探してくれるって、そうも言った」
タジャスでのやり取りを思い出しながらエイル。
「ただ、そのあとで母さんを守ってくれるだかってことになったし、実際それは見事にやってくれたし、我が師匠の素晴らしきご助力はそれに代わったものと思ってた」
でも、とその弟子は続けた。
「もしかしたら、それを実行してくれてるために連絡がないのかも、とも思う」
彼はこれまで、オルエンにどんな期待もしたことがない。しかし、長の不在から戻ってきてよりこっちというもの、師匠はエイルの期待以上のことをやってくれている。それもまた確かだ。
ゼレットに言わせれば、助力を期待させておいて弄ぶということになろうが、オルエンはそんな形で意地悪などしない。と思う。たぶん。
「問題なのはさ」
エイルは首筋をかいた。
「いまや、呪いじゃない」
「ほう」
「イーファーでもない」
「では」
〈塔〉はゆっくりと言った。
「ラニタリス、か」
「半分、当たり」
エイルは面白くもなさそうに拍手した。
「では残りの半分は」
「俺、だよ」
「どう、問題だ」
「もう、『魔術師としてやってくかどうか』じゃない」
エイルは中空に意味のない印を切った。
「『どういう魔術師になるか』」
「ほう」
〈塔〉はまた言った。エイルは沈黙する。
ふと、ダウ導師の真面目な顔が浮かんだ。
師と仰ぐならばスライの方が肩が凝らなくていい、などと思っている青年術師は、いったい何でまた兄弟子のことなど思い出したものか、将来を相談するなら彼がよいと考えたのか、いややっぱりスライの方が、などと考えたところでその理由を知る。
「アーレイドから呼んでいるぞ」
「――ダウ師?」
「そうだ」
〈塔〉の返答に成長途上の魔術師は、成程な、と納得をした。彼はその気配を感じ取ったのである。
「ちょい待ち」
エイルはすうっと息を吸って目を閉じると、遥か西方の故郷にある魔術師協会とその導師に意識を集中した。
(ダウ師? どうしたんすか、突然)
実際、スライではなくダウから連絡があるというのは、いささか意外であった。
『エイル術師』
ダウの静かであまり温かみを感じさせない声が聞こえる。と言っても特に嫌な感じはない。せいぜい「好きとは言えない」というくらいだ。
『あなたに連絡をと』
ダウはそうとだけ告げると本題に入った。
『先程のことです。アーレイド城が賊の襲撃を受けました』




