01 言質を取られたか
近衛兵と宮廷魔術師、というのは近いようで遠い。
ティルドが一軍兵であったときよりは、互いの姿を見かける回数は多くなった。だが、ティルドがローデンと話をする機会などは、王子ヴェルフレストやその護衛と話すのと同じか、もしかしたらそれ以上にないことであった。
よって公爵にして宮廷魔術師である男にわざわざ呼び出されたとき、ティルド少年が初めてそうされたときから続いた波瀾と苦難に満ちた素晴らしい思い出を胸に蘇らせて呪いの言葉を吐き、知る限りの厄除けの仕草を繰り返してから部屋の戸を叩いたのは、無理からぬことである。
「何すか、ローデン様」
世辞にも丁寧だとは言えない口調でティルドは挨拶――当人はそのつもり――をした。
一年前よりはずっと地位ある人々との縁が深くなったティルドだったが、いつぞやのどこぞの少年ほどには礼儀作法など叩き込まれなかったためか、或いはローデンが早々に諦めたためか、彼の対応は初対面の頃と変わらなかった。いや、言葉を交わすようになった分、却って無礼にさえなっていたかもしれない。
「きたか」
だがローデンももともとは城下の一エディスン市民にすぎなかった。いまでこそ城暮らしが長くなり、あれやこれやと儀礼や形式に慣れたものの、若い内は「いずれこのしち面倒で腹の立つ事々をみんな撤廃してやろう」と思っていたくらいだ。言葉の上でティルドの無礼を咎めたとしても本心からではなかったし、この日はそのような外交は省略した。
「話というのはほかでもない」
「どっかに何か取りに行け、はご免っすからね」
それだけははっきりさせねば、とばかりにティルドは宣言した。ローデンは口の端を上げる。
「行けとは言わん。判断をするのはお前だからな、風司」
その呼びかけに少年は天を仰いだ。
「それの話なのかよ!」
「ほかに何だと思った」
ローデンは鼻を鳴らす。
「風具に変化は」
「知らねえよっ」
ティルドは即答した。
「俺は、あれらは眠ったと思ってる。母親じゃあるまいし、悪夢にうなされてないかとか毛布を蹴り飛ばしてないかとか、いちいち見てやる理由はないです」
「では」
宮廷魔術師は呟いた。
「変化はない」
「『知らない』って言ったんすよ」
誤解のないように、ティルドは明言した。ローデンはうなずく。
「判っとる。お前が知らないならば、変化はないのだ」
「まあ、ローデン様がそういう結論出すなら、別にいいっすけど」
彼は返答に困って適当なことを言った。
ティルドとしては風具風司、それらはまとめて労苦の記憶につながる。関わりたくないのだ。ただ、ローデンが何をどう考えようと自由だし、結論が〈嵐なき日々の永続〉ならば上等だとは思った。
「では、お前の周辺は」
「はあ?」
「風具は変わらぬ。では、お前の周囲は」
ローデンは繰り返して問うた。
「それだって別に、変わり映えはないっす」
公爵に呼び出された理由がまさか近況報告のためだとも思えないが、ティルドは一応しっかり考えながら答えた。
「循環任務はいつも通りだし。たまにカリ=スが手合わせしてくれるけど、普段と違うことって言ったらそれくらいかな」
「そうか」
宮廷魔術師はじっと少年近衛兵を見た。
「冠は眠り、城の宝庫に。指輪は殿下のもと。耳飾りは潰え、腕輪は表裏上下なきその形が示すがごとく流転の輪を織り成す。そして首飾りは」
少年はぴくりとした。魔術師はそれに気づいたが、そのまま続けた。
「――首飾りは、いまだ風読みの司の前に姿を現さぬ」
「別に、俺は見たいとも思ってないよ」
ティルドは仏頂面で言った。
「だが、見たがる者もいる」
「別に」
ティルドはまた言った。
「俺は、他人の望みのために首飾りを探しに行く気なんかない」
「私が見たいと言ったか?」
「ローデン様のことじゃありませんよ」
「では」
魔術師はすっと目を細くした。
「アロダだな」
「別に」
またも、少年は言う。その視線は少し泳いだ。
「あいつに何も言われたりなんか、してねえよ」
「私がそう言ったか?」
似たように返されて、少年はしまったと舌打ちをする羽目になる。
「過去に言質を取られたか」
「何だよ、ゲンチって」
「売り言葉に買い言葉で、あの外れものが『約束だ』と取ることができそうな発言をしなかったか、と言っている」
「それは」
生憎と言うのか「判らなければいい」などとは言われず、丁寧な説明をされたティルドは思わず怯んだ。
「その、ちょっとは、したかも」
「正確には何と言った」
「正確には、よく覚えてねえけど」
少年は顔をしかめた。
「その、兄貴を助けるために首飾りを持ってこいとか言われたときの約束が、まだ果たされてないみたいなことは、言ってた」
「何と」
ローデンは天を仰いだ。
「成程な。旅路の最中か。私が禁止をかけるより以前に網を作っておったとは」
「契約がどうとか戯けたこと言ってたけどさ、本当に……そんな口約束に魔力なんか、あるのか?」
少し不安になってティルドは言った。アロダがそれをほのめかしてきたことがあったが、捨て台詞のようなものだと思って無視をしていた。実際、中年魔術師が脅した強制力めいたものが少年に訪れることもなかったのだ。
だが、どうやらローデンが案じているらしい、という事実はティルドが内包していた不安の種に水をまいた。




