07 損失ですのに
「何をほのめかしたいかは、判りますよ」
ウェンズは淡々と言った。
「あなたはこう言いたいのでしょう。――あなたを手助けているのは、フェルデラ協会長だと」
「おお」
アロダは大げさに驚いた顔をした。
「見事です。大当たりだ。やっぱり、賢いですね。やはり、あなたが死んだらエディスンの損失だ」
ぽつり、と雨の一滴が地面に落ちた。ぽつぽつぽつと雨粒は大地を目指し、地面はその訪れをじわりじわりと抱擁していく。
「それは、つまり」
ウェンズはゆっくりと言った。
「私を殺すつもりだと、そうできると、仰っているのですか」
「おや」
アロダは片眉を上げる。
「できないと、お思いで?」
雨は見る間に勢いを増した。夜の街路を行く街びとたちは雨宿りの場所を求めて奔走する。ふたりの魔術師はそれぞれ術を張り、雨神の襲撃を避けていた。
「あなたが実際にどんな術師であるのかは気になっていました、アロダ・スーラン殿」
言うとウェンズは先手を取った。と言っても、このような街のただなかで他者を傷つける術は使えない。青年は流れるような仕草で長杖を手にし、やる気ならば応じると示した。
「私が導師になろうとしなかったのは、自分が人を教えるのに向かないと思ったからですがね、まあたまにはいいでしょう」
アロダはようやく立ち上がると、まだ新しく見える木杖をすっと取り出した。
「訓練をつけてあげましょうか、ヒサラ・ウェンズ」
ざああ、と雨音がする。ウェンズは目を細め、相手の動向を観察した。少しでも動きがあれば、どんな術であっても対抗できるように。
「……なんて」
睨み合いがはじまってから十秒は経ったろうか。先に杖を下ろしたのはアロダだった。
「こんなとこでやり合ったら、さすがにばれます。協会長だって、あなたを死なせたくはないはずですし」
「いつの間にか、協会長と懇意になったと」
「私が面白がってくっついてた魔族のこと、ご存知でしょう。我らが協会長はあれと同じにおいがしますね。いえ、混血であるという意味だけではなく」
「面白いと、仰る」
「ええ。仰いましたよ、協会長が」
ウェンズの脳裏には友人の師匠である魔術師の言葉が浮かんでいた。
『フェルデラには気をつけろ』
『警戒をしておけ』
その言葉がなければウェンズは、アロダが口先を弄して彼を戸惑わせ、協会長に対する疑惑の種でも植えつけようとしていると、そんなふうに考えたことだろう。
だがウェンズは気づいた。
オルエンという名の術師が示唆したこと。
フェルデラに二心あると言うのではない。彼がウェンズを謀ろうと思っている訳ではない。
だが協会長が首飾りに興味を持っていることは本当だ。
オルエンは、ウェンズをしてフェルデラの目だと言った。そのウェンズが友人のためにそれを避けようと思えば、協会長がウェンズではなくアロダを使うことは、十二分に有り得る。
「言っておきますが、協会長があなたに愛想をつかしたと言うんじゃありませんから、心配はしなくていいですよ」
「そのような心配はしておりません」
「ですね。念のために申し上げただけです。誤解がなくてよかったよかった」
アロダはしゅるっと杖をしまい込むと両手を上げた。
「忠告をするんでした。いけません、忘れるところでしたよ」
そう言うと中年術師は、いくらかわざとらしく手を打ち合わせた。
「あのエイル術師とはあまりつき合わない方がいい」
「それは」
ウェンズは少し驚いた。
「思いがけない忠告です。てっきり、協会長の興を買いたければ彼から首飾りを奪え、とでもくるものと」
「まさか。もしそんなことを言ったって、あなたが聞くはずないじゃないですか。私ゃ、無駄なことはしませんよ」
「では何故そのような? 自信をお持ちのようですから、私と彼が揃ったところであなたの問題にはならないでしょうに」
「おや、私が保身を図ってあなた方の友情を無に帰そうとしていると思われたら哀しいですね。あなたの方ではどうあっても、私ゃけっこう、あなたが好きなんですよ」
「あまり嬉しくないようです」
「それは残念。でも、忠告は覚えておいてください。彼に近づくと引きずられますよ、とね」
そう言ってアロダはウェンズの様子を窺うようにした。
本来であれば、術師が術師に影響を及ぼすと言う状況は当然、上位が下位に対して、ということになる。そしてウェンズの魔力は、エイルのそれよりも数段上だ。
おそらくアロダは、ウェンズが反論するか疑問を投げかけてくるか、素直にそうこなければ沈黙を保つか、と思っていただろう。
しかしウェンズは、こう言った。
「判っています」
「おや」
アロダは意外そうに片眉を上げた。
「彼はとても特異な術師だ。ローデン閣下のように星読みの力を持たずとも、接していれば感じます。アロダ殿、それがあなたのご忠告であるというのならば、残念ながら何の役にも立たないようですよ。私は、それを受け入れているのですから」
「おやおや」
対する中年術師は目をぱちぱちとさせた。
「何てことだ。じゃあ、いいんですか。彼と関わったためにあなたの道が捻れ、歪んで、故郷たるエディスンから引き離されるようなことになったとしても?」
「それは予言ですか。あなたにそのような技がおありとは存じませんでした」
「意地悪い言い方しないでくださいよ、予言なんかじゃないと判っているくせに。そうですよ、私が言うのは〈困らし悪魔〉の悪戯言葉以上のものじゃない。私は、よーくそれを知ってますが」
アロダは当たり前のことを言って続けた。
「じゃ、いいんですか、本当にそうなってもかまわないと、そう思ってるんですか」
「彼と関わったために道が歪むと? それならば、その歪んだ道こそが私のものです。それが理と言うもの」
ウェンズは言った。アロダは嘆息する。
「惜しいです」
太めの魔術師は首を振った。
「あなたがエディスンを去ったら――損失ですのに」
「いまのは」
ここで初めて、ウェンズは少し笑った。
「繰り返し言われたなかでいちばん、真実みが感じられましたよ。御礼でも申し上げておきましょう」
そう言うとウェンズは会釈をして踵を返した。
アロダの望みは、首飾りそのものではない。
彼の言葉を全て信じ込む訳にもいかないが、首飾りよりも呪術師や半人外が興深いのだという、その回答にはどこか得心を覚えることができた。
ならば、アロダを押さえることはさほど重要ではない。裏から様々な煽りはするだろうが、それは「想定できる最悪の事態」の範疇になるだろう。
ウェンズは、その代わりとなるような、砂漠に住むアーレイドの友人のためにできることを考えた。
そこで、青年はふとアロダの言を思い出す。
エイルと関わったために、エディスンを去る。
かの地を離れようと考えたことはなかったが――その日は近いように、青年魔術師には感じられた。




