04 稀なるお方
シーヴはもちろん、エイルも旅というようなものは久しぶりであった。以前、彼らの間に存在していた問題は解消しているから、宿を取るのも話は早い。ただひと部屋取ればいいだけだ。
若く健康な青年たちとしては、一晩も眠れば休息は充分だ。馬に無理をさせれば心配になるが、そう急いだという訳ではないし、シーヴの愛馬ハサスもむしろ久しぶりの遠駆けに喜んでいるようである。
そうして町を出て西へと馬を進めていけば、やがて彼らは東国と呼ばれる場所を離れて行った。
例の旅人、それとも商人の話はその後聞けず、彼らは「フラスへ」という実にはっきりした、それとも曖昧な目的地を抱えながら冬のビナレスを行くことになった。
「冷えてきたな」
「まあ、少しはな」
エイルも寒さに強いとは言わないが、年柄年中暑い土地に暮らし、しかも砂漠の熱に郷愁を覚えるような王子殿下にとっては、冷たい空気にさらされることは心楽しくないようだ。「今年の冬は暖かい」というようなことをエイルが聞いてくると、そんな馬鹿なとでも言うように眉をひそめた。
クエティスについて特に目新しい情報がないとなれば、話題は〈風謡いの首飾り〉となる。
エイルはその話を探ることに緊急性を覚えていなかったので、その話に触れるのはちょっとした息抜きというところだった。風に鳴るという不思議な首飾りの話は詩人たちに歓迎されたものの、ひとりとして「聞いたことがある」という者はいなかった。
コルスト、と言う名の町について聞けたのは、シャムレイの領土を離れて少しした頃だった。
それは、エイルがシーヴに、やはりお前は帰った方がいいんじゃないかと再度言おうとしていた頃でもあった。まるでそうさせまいとするかのような「運命」に、或いはそれを操る神々に向けて、青年魔術師は遠慮ない呪いの文句を吐いたものだ。
出会った旅の地図師が、その町の場所を知っていたのである。
話を聞いた彼らが、フラスよりはコルストの方が断然近いことを知り、冬の厳しくなるなか、街道を離れたその町――というほどの規模もなく、村という感じだ――にたどり着いたのは、それから半月ほど経ってからだ。
コルストは農業と酪農で暮らしを立てる類の、何も珍しいもののない田舎町である。
〈冬至祭〉と呼ばれるものも近く、町びとたちはささやかなるそれの支度に勤しんでいた。
「フィロンドか」
シーヴが呟くようにした。
「そう言えばその季節だな」
エイルは思い出したようにうなずいた。アーレイドにいれば何だかんだで祭りの話題は出るが、砂漠で〈塔〉とはなかなか冬祭りの話にならない。
「去年」
「何だ」
友人が何を言い出すのかとエイルはシーヴを見た。
「そうだ、去年の、フィロンドだ」
「それがどうした。お前には関係なかったろ」
砂漠の影響を強く受けるシャムレイに冬はない。冬がなければ当然ながら冬至祭もない。ランティムを含めるシャムレイの地から離れていないシーヴに「去年の冬至祭」はないはずだ。
「一緒に、アイメアの街の祭りを見ようと言ってたんだったな」
「何」
エイルは目をしばたたく。
「あのときは、あの件が終われば、どんな形であれ、もう旅に出ることはないと思っていたんだ。お前は覚えてないかもしれんが、判っていて……守れないと知っていながら口にした約束のことは、少しばかり気になってた」
突然の言葉に、エイルは少したじろいだ。
「二年前の……八の月か。忘れやしないさ、あの年に起きたことは、全部」
エイルは言うと、少し強い光をその瞳に宿す。
「そのやり取りも覚えてる。でも、約束なんて言うほどのもんでもないだろ。だいたい守れなかったんなら俺だって同じで」
次の年には生きていられないのでは――存在できていないのではないかと危惧した。それなのに、翌年の約束をした。ある意味では、確かに「存在できなく」なってはいたが、こうしてエイルは生きている。だが、守れないかもしれないと思いながら約束に応じたという点では同罪だ。
気にするな、とエイルは言い、口に出したことで安堵でも得たか、シーヴは少し笑った。
「この町はあまりフィロンドに力を入れてないようだな。祭りを見たけりゃ、フラスまで飛ばすか」
「おっきな街の見世物ばかりを見て祭りと言う気かい?」
彼らの話題の、たまたまそのときを聞きかじったらしい店の給仕女が口を挟んだ。
「まあ、確かにコルストじゃ〈雪の三姉妹〉に祈りを捧げる祭りは派手じゃないよ、いまや不要だからね」
「そりゃ、今日は多少、暖かいようだが」
「今日だけじゃないよ旦那。このあたりはね」
「何?」
「このコルストは三姉妹にお願いしなくたって、彼女らに翻弄されないんだよ」
「どういう意味だ?」
女の言葉には事情を知る者だけに通じる含みがあって、それを旅人に尋ねてほしがっていることは明らかだった。シーヴは礼儀正しく問う。と言うよりは、実際に興味を持ったのかもしれなかった。女は得たりとばかりににっこりとする。
「つまりね、この町の司祭様はたいそうな力をお持ちなんだ。寒さを遠ざける火の力を使われる」
「司祭」
旅人たちは顔を見合わせた。
八大神殿で一般的に知られている役職は、神殿長、神官長、神父、辺りだ。神殿長はその名の通り神殿の長、各神殿に神殿長がひとりいる。神官長は神官たちを束ねる責任ある地位。人数の規定はなく、神殿の規模によって数名から十名というところだろう。神父は神殿のない町にある教会を管理する者。通常は一教会にひとりだ。
司祭という地位は珍しいが、大きな神殿であれば神官長たちを更に束ねる役職として使われることがあった。
「こんな小さな町に?」
「火の力? 魔術師って意味じゃ、ないよな」
「大きな街は八大神殿の影響が強くて、なかなか修行ができないとかって話だよ」
女はシーヴにそう答えてからエイルに向かって嫌そうな顔をした。
「もちろん、魔術師なんかじゃないともさ。聖なるお力なんだからね」
言われた魔術師「なんか」は肩をすくめた。
「火の力を持つ神官? 聞いたことないけどな」
「稀なるお方なのさ、リグリス様は」
へえ、と返しながら、エイルは今度オルエンに聞いてみようと思った。
何か陣などを使うことで、町全体を冷気から守るようなことができるものだろうか。何らかの力が町に施術されているには、魔力の気配がないのも不思議だ。自分で調べろ、と言われるかもしれなかったが、オルエンはうまくおだてれば、いくら調べても決して手に入らない知識をさらりと口にしてくることもある。
「まあ、そいつは有難いこったな」
魔術にも神術にも詳しくなければ興味もないシーヴはそんなふうに言った。寒くて凍えるよりは、そうでない方がいいというあたりだろう。
「ついでだ、ご婦人。この聖なる町にくる商人について話を聞きたいんだが」
若い男に丁重な呼びかけをされた女は気をよくしたようで、何だい、とって手近な椅子を引いた。
「クエティスという、四十から五十の男だ。東国の品を商う」
「ああ」
女はうなずいた。
「名前までは知らないけど、砂漠へ商いに行ってるとか言う変わりもんなら確かにくるよ」
本当かどうか知らないけどね、と女は鼻で笑う。
「よくくるのか」
「たまにね。リグリス様にご挨拶していくみたいだよ。あたしらに何か売ってきたりはしないから、商人という感じはしないけれど」




