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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
第6話 嵐の兆し 第4章

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04 すごく深い眠りに

『何がありましたか』

 ウェンズは簡潔に問い、エイルも簡潔に説明した。自身が見た、夢のこと。

『それは大問題です』

 「ただの夢でしょう」などと魔術師は決して言わなかった。

『すぐに手だてを講じます。ただ』

 きっぱりと言ったあとで、ウェンズの声に翳りが生じた。

『彼は、網をすり抜けるのがとても巧い。ローデン閣下やフェルデラ協会長の規制をかわしているのなら、彼の行為はエディスンを何ら害さないということになる。となると、彼らの協力は得がたい』

(それは――そうかもな)

 エイルは顔をしかめて応じた。エディスンのふたりの術師は、揃って言ったのだ。王家や協会は首飾りに興味を持たないが、末端がそれについて何らかの野望を持っても対処はしない、と。

『ですがローデン閣下にはお話をしてみます。宮廷魔術師としては動く必要がなくとも、一術師としてならば聞いていただける可能性も』

(そうか、頼むぜ)

『もし、ローデン閣下にお聞きいただけなかったとしても』

 そう言ったウェンズの声に奇妙な色が混じった。それが何であるのか、エイルは判断に迷う。

『――私が、彼を制します。ご安心を』

(ウェンズ、あんた)

 エイルは思いついたように言った。

(そいつに何か、恨みでも?)

『恨みはありません』

 次の声は、いつも通りのウェンズだった。苦笑混じりだ。

『私は、彼がどのような術師であるのか、気になっていたんです。前回、私にそれを知る機会は訪れなかった。此度はよい機会です』

(興味深いって訳かい?)

 ウェンズがたびたび口にする言葉を思い出してエイルが言えば、エディスンの若者は笑って同意する。

『その辺りですね』

(あんたの興味と俺の頼みが一致するなら、助かるこったけどさ)

 ふと、エイルは不思議な感覚を覚えた。

(無茶は、すんなよ)

 彼の内に浮かんだ、それは危惧だったろうか。

『まさか、いきなり魔術対決をするようなことはありませんが』

 ウェンズは笑ったままで答えた。

『そうして案じてくださったことには感謝いたしますよ、エイル』

 エディスンの若者はそこで声を切り、エイルは何となく落ち着かなかった。ウェンズは、エイルの心配を笑わなかった。気安く「大丈夫ですよ」などと言うことはなく、礼まで述べた。そもそも、最初から自分が対するのではなく、〈星読み〉の術師の力を借りられなければ、という話だった。

 となれば(くだん)の相手はウェンズに匹敵、或いは格上の術師であることが推測される。

『エイルっ』

 間髪を入れずに飛んできた声に、エイルはそれ以上ウェンズのことを考えられなかった。

(どうだ、ラニっ)

『あのね、いつもの部屋にいないの、シーヴ』

(――何?)

『シツムシツっていうやつ? いまくらいならシーヴ、まだお仕事してこの部屋にいるか、そうじゃなければシンシツにいるはずなのに、どっちにもいないのよ』

(それって、どういう)

 エイルははたとなった。

 いつもの場所にいない。

 それはラニタリスが、シーヴがいつもどこにいるか知っている、という説明でもある。

(お前、ランティムに行ってたのか)

『え? うん』

 小鳥は全く悪びれなかった。

『だって、エイルはもう行かないって言ったけど、あたしに行くなとは言ってないよね?』

 もしここでラニタリスの口調に「してやったり」とでもいうような――シーヴがやるような――調子が混ざれば、エイルは叱責のひとつもしただろう。だが、小鳥はごく普通に、まるで「今日も大砂漠(ロン・ディバルン)は暑い」とでもいうように、当たり前のことを当たり前に言ってきただけだった。

 確かに、エイルは何も禁止をしていない。

 だが考えようによっては、ラニタリスはエイルの言葉の網を(・・・・・)すり抜けた(・・・・・)ということにも、なる。

(――その話は、あとにしよう)

 青年は身体に瞬時走った戦慄を無視した。

(様子は。何か、変わったことは)

『あのね』

 ラニタリスは、見たものを送ってきた。

『何人かのひとたちが、ソウジ、してた』

(掃除)

 もちろん、使用人が伯爵の執務室を掃除するために入ること自体は珍しくない。むしろ日常的に行われることだろう。

 だがエイルはどきりとした。

 東国に見られる籐製の敷物の上、使用人がどうにか拭き取ろうと懸命な努力を続けているのは――大きな、赤黒い、沁み。

(シーヴは!)

 エイルは怒鳴るように声を送った。

(どこだ、探せ!)

『窓から見えるとこにはいないの』

 小鳥は困ったように言った。

『でも、いるよ。このお城のなかに』

いる(・・)

 エイルは生唾を飲み込んだ。

生きて(・・・)……いる(・・)んだな?)

『やだなあ、当たり前じゃない』

 主の怖れを知らぬ使い魔はあっけらかんと言った。

 だがそれに安堵の息をつく間はない。ラニタリスはこう続けたからだ。

『でも、ずいぶん調子悪いみたい? すごく深い眠りに、ついてるもん』

 更に言葉は続いた。

『エイルがこの前行きかけたすごく寒い場所に、すごく近づいてるよ』

「な」

 エイルが行きかけた寒い場所。それは、イーファーの呪術によって引きずり込まれかけた――死の世界。

「〈塔〉っ、ランティムまででなくていい、できる限り近くまで、送れ!」

 エイルは先にとめた手を今度は躊躇わせることなく、見晴らしの小部屋に続く扉へと向けると勢いよくそれを開く。

「そのようなことをすれば、場を乱した術師に気づかれるぞ」

「それが何だ! 俺が生きてることは勘付かれたし、隠そうと思ったこともない」

 クエティスが、エイルは死んでいると考えているはずだなどとは、正直、思っていなかったくらいである。

「お前が泡を食って飛び出すのは、向こうの計画通りやもしれぬと言うのだ。そのためにシーヴを傷つけたのだろう」

 エイルとウェンズの言葉を聞いていた〈塔〉はそう言った。

「なのにそのまま、飛び込むのか」

「じゃ、おとなしく冷静に隙を窺えとでも言うのか? あいつが、俺の贈った短剣で、刺されたってのに!」

 蘇る、悪夢の光景。

 かの魔術師が印を切ると、シーヴは自身の方に向けた短剣と睨み合うかのような、奇妙な体勢になった。

 その右手は、先には魔術で重量を与えられたそれを持ち上げるために震えたが、その次には左手が添えられ、自らの身体に向かおうとするのを全力でとどめようと、震えた。

 魔術師が首を振って違う印を切った。シーヴの両手は支えを失ったようにすとんと落下し、短剣だけが宙に浮いた。

 両手をだらんと垂らし、全く無防備な姿勢となった砂漠の王子に向けて、短剣は、まるでシーヴ自身が投げた刀子のように鋭く閃き、その主に届こうとした。

 そこでエイルは目を覚ましたのだ。

 自身が貫かれたかのように、心臓に痛みが走る。

「〈塔〉!」

 エイルは小部屋の中央に立った。

「――頼む」

「致し方ない」

 石造りの建物は――どうやってか――嘆息混じりに言った。

「その前に、ひとつだけ、約束をしろ」

 苛々と西方を見据える主に〈塔〉は言った。

「何だよ」

 エイルは落ち着かない口調で問うた。

「生きて、戻れ」

 その台詞にエイルはふっと何かを感じた。「手」を持たぬはずの〈塔〉が主の肩にそのないはずのものをそっと置いたような。

「死にたいとは、思ってないよ」

「上等だ」

 〈塔〉の口調はいつも通りだった。

「では」

「行ってくる」

 エイルはランティムに、それとも友に、心を向けた。


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