03 運命と言われるもの
「シーヴ、あのな」
言うのは無駄だろう、と思った。だがそれでも、言っておかねばならぬこともある。
「お前は、帰れ」
「阿呆か」
エイルの一語は案の定、簡単に一蹴された。
「これは俺の仕事だ」
「そうは思えないと言ったろ。お前は監督する側。命令して、結果を待ちながら町をいつも通りに保つのが仕事だ。半月か、最悪ひと月くらいならお前を見張ってようかと思ったけど、フラスなんて行くだけで半月はかかっちまう」
「お前の言うことも判るが」
ついてこいとは言ってない、と言うのだろう。繰り返しになると思ったか、シーヴはそこで言葉をとめ、残りを省略したようだった。
「これは俺の性分でね。一年半もランティムから出なかったのが奇跡的なのさ」
その代わりと言おうか、東国の伯爵はそんなことを言った。
「性分で済ますなっ」
「ヴォイドがいればランティムは回る」
シーヴは肩をすくめる。エイルはまた、それを睨んだ。
「いつまでもそれでいいと思ってないだろうな。って、どうして俺がヴォイド殿みたいな説教をしなきゃならないんだ」
エイルが頭を抱えれば、シーヴは他人事のように笑った。
「笑うなっ、誰のせいだと」
「判ってるよ、俺のせいだろ」
若き領主は名乗り出るかのように片手を上げる。
「そう、判ってる。俺は少しばかり、いや、相当ヴォイドに甘えてるってことは」
その声音にこれまでなかったものを聞き取って、エイルは口をつぐんだ。
「俺はな、エイル。もう二度と放浪はしないとヴォイドに約束した」
「――それなら」
「聞いてくれ。俺は『馬鹿げた予言に惑わされて』ビナレス中をふらついた」
「知ってるよ」
「もちろん、そうだな」
エイルが言うとシーヴはにやりとした。
「例の予言に関する出来事は終わった。だから俺は、もう旅に出る必要はないはずだった。砂漠に『遊びに行く』よりも町への責任を果たすことを選んだ」
「シーヴ」
エイルは返す言葉を考えられなかった。彼がどれだけウーレの民たちに親しんでいるか。彼らと暮らしをともにして、友も恋人もその地で見つけ、そうして育ってきたことを大切に思っているかは、理解しているつもりだ。エイルがいまだに苦手とする熱砂の風をシーヴが深く愛していることも。
「だが、これは、違うんだ。俺の個人的なことじゃない、町のため」
「それは判るけど、でも」
言いながらエイルは、気づいていた。シーヴのこれは、言い訳ではない。
「確かに『勝手な真似』だし、俺の立場から行けば『行き過ぎ』だ。お前の言う通り、俺は監督するべきなんだと判ってる。でも駄目だ。じっとしていられないんだよ。誰かに任せて待っているなんて」
無理だ、と言うようにランティムの伯爵は首を振った。
「――判ってるよ。判ってるから俺は手を貸した」
エイルは仕方なく、そう言った。
これまで、こんなふうにシーヴと話をしたことはなかった。再会後の彼らは、立場こそ違えど友人同士として、誰もが話すような話をしてきた。内容は魔術のことや政についてなどいささか特殊な方向ではあったものの、何かに対して思うことを言ったり軽口を言ったり、少し腹を立てたり謝ったり、時には愚痴を言ったり慰めたり激励したり、そうした誰でもするようなことを。
少し酒を飲めば若者たちなりに自分の昔話をしたり、見えぬ将来のことを話してみたりもした。ただ、いま自分がどんなことを考え、どんな悩みを抱いているかというような、そんな話をしたことはなかったように思う。
シーヴの言葉は意外なようにも感じ、彼らしいとも感じた。そして、その是非を判断するのはエイルではない。もし、エイルがシーヴよりずっと年上で、シーヴを教え諭す立場にでもあったなら、「そう思うのはまだ若いからだ」とか「望まなくても腰を据えることを学んでいかなくてはならない」だとか、諭すようなことを言ったかもしれない。
だが彼らは、同世代の友人なのだ。
「ヴォイド殿はその辺り、よく判ってるんだろうな」
「判ってたって、説教はする」
砂漠の青年は肩をすくめた。
「いくら町とレ=ザラを大事に思っていても、ヴォイドに半日の小言を食らうかと思えば、帰りたくなくなるかもしれん」
それは冗談以上のものではなかったので――いささか性質は悪いが――エイルは特に咎め立てることはしなかった。
そんな話のあとは、沈黙がふたりを支配した。そうなれば、若い青年ふたりの前に並べられた皿はすぐにきれいに空になる。食後に口中をさっぱりさせるタヤ茶でも頼もうかとエイルが考えていると、シーヴが瓏草を取り出した。エイルは嫌な顔をする。
「やめろよな」
「お」
ぱっと紙巻を取り上げられたので、シーヴは意外そうな顔をした。
「ランティムじゃ、文句言わなかったじゃないか」
「出られなくて可哀相だと思ってやってたからだよ。いまは、不要だろ」
それからエイルはにやりとした。
「いい機会だ、やめちまえよ。今後レ=ザラ様とお腹のなかの赤ん坊の前じゃ、吸えんだろ」
「む」
シーヴは返しようがない、という顔をした。
「努力する」
妊婦と赤子を盾に言われれば、さすがに素直である。このあたりは褒めてやってもいい。
「奴が行くのはフラスと、それに何て言ったか」
「確か、コルスト。知らない地名だな」
ふたりはクエティス「商人」について話題を戻した。
「地図にないような小さな町か、村か。ここから見ればフラスの方面であることはほぼ間違いないだろう」
「向かいながら調べるか?」
「それで行こう」
シーヴは頭のなかで描いた地図に線を描くかのように指を左右にさまよわせた。
「どの街道を行こうと、西になるな。首飾りの話は追えないかもしれん、悪いな、エイル」
クエティスが、エイルの知っている――体験した――話以外を持っているとは考えられない。シーヴが言うのは「砂漠付近で吟遊詩人から話を聞き出せない」ということであろう。
「いいって。俺の話はどうでも。文句言うのはオルエンだけだ」
友人と弟が関わる〈風読みの冠〉のことは気になっていたが、できる調べものならもう可能な限りやってしまった。あとは、やはり旅をしながら詩人にでも話を聞くか、シーヴをランティムに帰してからエディスンまで足を伸ばしてみるか、くらいしかできない。
「何か手がかりが見つかればそっちに動くかもしれないけど、うまいこと話が掴めるとも思えないし、それにお前を見張ってなきゃならないし」
それはあとだ、とエイルが唇を歪めて言うと、シーヴは肩をすくめた。
ただ、不思議な感じはしていた。
繋がった。
口には出さずとも、ふたりの内にはそのような思いが浮かんでいた。
エイルがオルエンに与えられた「宿題」と、シーヴがランティムのために解決したい問題が繋がったのである。クエティスというひとりの男の存在で。
奇妙なことだった。
偶然なのか。それとも、必然。
もしも必然ならば、それは何のためか。
何者かの作為。
或いは――。
「それがお前の運命だ」と言われたら、エイルであれば勝手に決めるなと言うが、シーヴは、それならば受け入れようと考えるところがある。
だがどちらにせよ、どうやら自分たちの運命と言われるものは、奇妙な交錯をするらしいと彼らのどちらもが思わざるを得なかった。




