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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
第6話 嵐の兆し 第4章

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03 ただの夢なら

 意味を為さない大声を上げて、エイルは跳ね起きた。

 塔の内部は薄闇に閉ざされていた。

 ずいぶんと半端な時間に寝たのだ。いまは、深更だろうか。そこまではいかないかもしれない。だが少なくとも、太陽(リィキア)はとうに西の方に沈んでいる。

 そう、寝ていた。

 ならば、いまのは、夢。

 そのようなものであることは判っていた。額に汗していたのは、むしろ彼自身だ。額だけではない、じっとりと全身が湿っている。

「夢。ただの」

 彼は呟いた。

 だが、「ただの」夢にしてはずいぶんとはっきりしていた。「夢だったのか」という安堵は青年を訪れない。それどころか、黒い不安、いや恐怖だけが胃を痛くさせるほどに強烈に存在している。

(ランティム)

 二度と行かぬと言ったその町。

 だが、その誓いを気にしている場合ではない。

 もしもあれが事実、それとも、予知の類で、あれば。

(魔力が磨かれたんでも何でもいい)

(ただの夢じゃないんなら……予知で、あってくれ)

 未来のことならば、防げる。もし――既に起きていたことを夢に見たというようなことでも、あれば。

 正確なところを言えば、本当の「予知」は防げない。正しきルクリエとは、必ず起こるものを見ることだ。だが、エイルはそのようなことを考えなかった。考えたくなかった。

(シーヴ)

 エイルは友人のいる町に銀の筋を求め、きゅっと拳を握った。――無事を確認するだけでいい。

 そのまま、数(トーア)。青年はうずまく不安と動悸に集中しきれぬ自身を呪う。

「〈塔〉、ランティムだっ」

 叫びながらエイルは寝室を飛び出して階段を駆け上がる。

「ランティム? 行かないのではなかったのか」

「それはとりあえず置いとくっ。事情説明もあとまわしっ。集中、できねえんだ。力、貸してくれ!」

 〈塔〉はその内部のどこからでもエイルを余所に送れるのだが、そうしてエイルが見晴らしの小部屋まで行こうとするのは魔術師たることへの抵抗――というよりはその名残り、或いは無意識の習慣だった。

 青年は一段飛ばしに狭い階段を上がり、階上に通じる最後の跳ね上げ扉に手をかけたところで、しかし〈塔〉の制止に合う。

「待て」

「何だよっ」

「無理だ。閉ざされている」

「何?」

 エイルはぴたりと動きをとめた。

「乱されている、とも言える。何者かがランティム周辺を意図的にかき回している」

「何、言ってる」

 彼は目をぱちくりとさせた。

「それってまさか、どっかの術師がやってる、のか」

 エイルは自らの考えと言葉に心臓の音を大きくした。

「おそらくは」

 〈塔〉は同意した。

「ランティムには魔術師協会がないのだったな。あるのならば、一術師に斯様な勝手はさせまいが」

「イーファー、それとも、あいつ」

 冷たい瞳の呪術師でも夢の内に見た中年術師でも、答えは同じだ。あの夢は、エイルの不安が作り出したのではない。エイルの不安が、見つけた(・・・・)のものだ。

 あれは、現実。

 あったこと、それとも、有り得ること、或いは、いま起きている、こと!

「ラニっ」

 エイルは呼んだが、ラニタリスがこの場にいないことは承知だ。エイルの休息に「つい」首飾りを鳴らしてしまうことのないよう、主は鳥に外にいるように命じたのだから。

『何、エイル、何? あたし、何かできる? エイルが怒らないことできる?』

 よって、主の機嫌を伺うようなその台詞は建物の外部からやってきていた。

「怒ってなんか、ねえよ。厳しいこた言ったけど、お前を責めた訳じゃない」

 「魔物」を慰めるような口利きはどうにも違和感があった。あれは可愛らしい小鳥に見え、無邪気な子供に見え、エイルを慕い、彼の命を救った。だが、魔物だ。

 エイルはそれを忘れない。

 まるで親のように厳しいことを言い、或いは親のように優しいことを言ったとしても、エイルはあれが人間だとは誤らない。

 あれは魔物で、彼の使い魔だ。それを忘れたとき、ラニタリスは彼を主と見るのをやめ、支配しようとするだろう。

 オルエンの言葉を思い出す。

 あのときは、まさかという思いが強かった。確かにラニタリスは人外だが、そのような邪な面はないと思っていた。

 いまでも、邪悪だと思うのではない。だが、魔物というのは人間と異なる理で生きるもの。

 ラニタリスはエイルを主として慕っている。それはエイルを主として認めているからだ。魔鳥の理で、彼を主と認めなくなったとき、ラニタリスはエイルにどのような力を発揮するものか。無意識に鳴らし、向けた首飾りの力。あれは――エイルを支配する(・・・・・・・・)に、似た。

 ラニタリスがどう言うつもりであったのかは、この際、関係がない。そのような力を振るった、それが、事実だ。

 エイルのために尽くす(・・・)かのような生き物は、親愛の情からそうするのではない。エイルとラニタリスの間にあるのは、契約なのだ。

『何すればいいの、ねえ、エイルってば』

「――ランティムだ」

 エイルはそれ以上思索に陥らず、ただその町の名を告げた。

「俺の魔力は弾かれる。俺の指標をもとにする以上、〈塔〉の力もだ。お前はどうだ。あの町にいま、行けるか」

『平気よ、全然』

 けろりと小鳥は答えた。

『行って何すればいいの? シーヴに伝言とか?』

「無事を確かめろ」

 ぎゅっと痛くなる胃を無視してエイルは言った。

『わかった』

 ラニタリスは特に問い返す真似をせずに声だけを断ち切った。

 扉の手前、階段のてっぺんで、エイルは砂のざらつく石段に腰を下ろす。忙しさにかまけてずっと掃除をしていないな、などという日常的な思いが浮かんだ。だが、状況との不似合いさに苦笑をする余裕もない。

「ずいぶんと身体が固くなっているようだ。深呼吸でもして気を落ち着けるといい」

「落ち着いてる場合じゃない」

 エイルはぼそりと言った。

「夢、見たんだ。シーヴが、クエティスの訪問受けて、連れの魔術師に――」

 そこで青年は言葉をとめる。

「ただの夢ならいい。でも」

 とてもそうは思えなかった。

 眠りの神(パイ・ザレン)は散らかった物事を整理する力を与えることもあるが、それにしたってエイルが見落とし、考えていなかった事実、それに知らなかった出来事の連発だ。

 シーヴとクエティスはレギスの街で顔を合わせていた。

 商人は呪いの威力をシーヴで確認しようとした。

 見知らぬ男はエイルに翡翠の腕輪〈風食み〉を託した〈伝言球〉の主だった。おそらくはウェンズにつきまとってエイルのことを知り、クエティス、またはイーファーにそれを知らせた。

 そして、エイルがクエティスをよりによって偽物で(たばか)ったと知った商人は、鳶色の瞳に怒りを燃やして、連れの魔術師に――。

 エイルはすっくと立ち上がった。

「ウェンズ」

 彼は目を閉じると遠く北西の街にエディスンの術師の気配を探った。

(ウェンズ、いるか。聞こえるか)

『どうしました、エイル』

 まるで隣にいるかのように声が返ってくる。眠ってはいなかったようだ。

(こんな時間に悪い。覚えてるか。あんた、言ったよな。俺に〈風食みの腕輪〉を託した魔術師の知り合いが、何か探ってるようだったって)

『もちろん、覚えています』

 少し驚いたようにウェンズは答えた。

『彼が、何か?』

(クエティスとつるんでる)

『――まさか』

 その声には驚愕の響きがあった。

(んな嘘、思いつくかよっ)

『失敬。あなたが嘘をついたとは言っていません』

 だいたい、こういった〈心の声〉に嘘を乗せることは至難の業だ。見抜かれるというのではなく、「嘘をつく」という行為自体が不可能に近いのだ。


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