02 斬られれば、血を流す
「首飾りを手土産に、そのような戯けたことを口にする、お前の目的は何だ」
「知りたいのです、あなたがどうするかを」
平然とクエティスは答えた。
「生涯を共にする仲だ、とまで仰った大事なご友人を死に至らしめた原因だ。それをあなたは魅力的に思うのか。どれだけ欲しいと思うのか。――呪いの強さをね、知りたいのですよ」
くすり、と商人は笑った。シーヴがかっとするのが、判る。
「出鱈目、ばかりを!」
さっとシーヴの右手が動いた。彼は素早く右腰から短剣を抜く。エイルの渡した、それを。
「首飾りが原因だと? どの口が、言う! 万一にもそのようなことがあるのならば、原因は首飾りではなくお前だということでは、ないか!」
その言葉と同時に、王子の右手から短剣が放たれた。シーヴがクエティスを殺そうとしたのかは、判らない。彼は見事な投げ技の腕を持っていたが、それは、商人には、届かなかったからだ。
「短慮はいけませんよ、ねえ、王子殿下」
そこではじめて、クエティスの連れが口を開いた。
「殿下は、魔術師じゃないんですから。魔術より早く短剣は投げられない訳です。少し驚きましたけどね。私ゃ、正直、いろいろ思ってることもありますが、この場はクエティスに任せてましたよ。でもこれはいけない、殿下」
中空でぴたりととまった短剣は、くるりと方向を換えると魔力で投げられ、シーヴの目前の卓に突き刺さった。
「――魔術師か」
「もちろん。殿下のご友人同様、魔術師にゃ見られないクチですがね。ああ、ご友人ではなく伴侶だというお話でしたか?」
太めの中年男は面白そうに言った。
(魔術師)
エイルは愕然とした。イーファーだけでも手一杯なのに、クエティスはまだ、ほかにも術師を使っている。
「お前が――」
殺したのか、と問いたいのだろう。だが、そう口にしたくないのだろう。エイルは友人の気持ちが手に取るように判った。大丈夫だ、自分は無事だと、そう伝えたいのに、それは届かない。
「私じゃありませんよ。彼とは少しだけ関わりましたけどね。お亡くなりになったとは残念です。なかなか面白い術師のようでしたのに。腕輪はどこやっちゃったんでしょうねえ。まあ、あれはあれで違う道を持ってるようですし、私の興味は首飾りの方ですけれど」
(腕輪?)
エイルは、何の話だろうと思った。この術師には見覚えがないのに、どう、彼と関わったと? 腕輪とは?
(――腕輪。翡翠の。ユファスの、あれか!)
(じゃあこいつは……あの〈伝言球〉の主)
エイルは目眩がしそうだった。アロダと言っただろうか。これがその魔術師であるならば、風具について詳しい。首飾りが偽物だと、知っているのでは。
「いい加減にしろ! エイルは死んでなど、いない!」
魔術師を前にしても怯むことなく、シーヴは叫んだ。
「まあ、愛しい相手の死なんていきなり突きつけられても信じられないもんですよね。でも大丈夫、哀しみは時が癒します。殿下には美人の奥方もいらっしゃるじゃないですか。男のことなんざ、忘れてしまいなさい」
「その辺りにしておけ」
魔術師はひらひらと手を振り、それを制するようにクエティスが声を出した。
「さあ殿下、もう一度首飾りをご覧ください。ほら、美しいでしょう?」
シーヴは見まいとするように顔を歪めたが、「呪い」の成果か、はたまた魔術師が何かしたものか、まるで無理矢理に頭を掴まれてそこに向かわされるかのように、ゆっくりと視線が箱の中身に向かっていく。
「どうです? 欲しいとは、お思いに?」
「俺は」
シーヴは低い声を出した。
「騙されん」
「強情ですねえ」
「騙されん。その首飾りは、偽物だ」
「おや」
「何と」
「偽物屋が偽物を持ってくる。当然だな。もたらした話も、偽物だ。――当然だ」
「恋人の生存を信じたいお気持ちは判りますが、殿下」
「いい加減にしろ。俺は一度、お前から偽物を受け取っている、クエティス。これは、あれと同じものだ」
「――何だと」
クエティスの目が細められた。エイルははっとなる。
「鎖を換えても、騙されんぞ。俺が手にしたものと、これは寸分と違わぬ。エイルはな、本物との違いをちゃんと俺に説明した」
(言うな、シーヴ!)
「本物はこれよりも合板が広い。それに、俺は覚えている。黄玉の傷。それまで偽物が再現していたとは思えない」
エイルは瞳を閉じた。いや、彼の肉体がそこにある訳ではなかったから、そうしたつもりになっても、状景は消えなかった。
「これは偽物だ。よって、エイルは生きている。そうだな、商人」
「何、だと」
クエティスの顔が強張った。
「やっぱりねえ」
魔術師が嘆息した。
「言ったでしょう、風具にしては神秘性が感じられないと。コリードには判らなかったかもしれませんが、私ゃほかの本物を四つ、みんな見てますからね、何か違うんじゃないかと思った訳です」
「それで、この実験を提案したのか」
「そうですよ。私が言ったって、あなたたち、信じてくれないんですから。砂漠の術師のことを教えてあげたのだって、私だって言うのに」
(何だって?)
(こいつが、俺のことを?)
エイルは驚いた。クエティスとコリードがエイルを「砂漠の術師」と見分けた理由については判っていなかったが――この男が教えたと?
「やはり、偽物か。エイルは生きているな」
「有り得ますねえ。何しろ、一緒にいるのが神官の修行をした男ですから」
その言葉にまたも驚かされたが、すぐに思い出した。ウェンズはこの男を知っている。もちろん、この男もウェンズを知っているのだ。ウェンズからエイルにたどり着いたのだろうか?
「――砂漠の、術師め」
クエティスは歯ぎしりをした。
「ただでは、おかぬ」
「あいつに手は出させない」
静かに言うとシーヴは卓上の短剣を引き抜いた。
「おや、同じことを繰り返すんですか、殿下。また私がとめますよ」
「やってみろ、術師」
シーヴは短剣を魔術師に向けて突き出した。
「俺は学んだことがある。――魔術師であっても、斬られれば血を流す。そうすれば、死ぬものだ」
「おや、私が標的になっちゃいましたか、嫌ですね、そうして刃向けられると」
魔術師は指をぱちんと弾いた。シーヴの右手がぐっと下がる。短剣が鉛にでもなったかのように。
「ふん」
シーヴは右腕の筋肉を震わせ、無理矢理にそれを引き上げた。
「成程、投げるのは難しくなったな」
「そのようなことはせずによい」
クエティスが言った。
「斬られれば、血を流す。そうして死ぬ。その通りだな。それをそのまま、自らに向けて、実践してみるというのはどうだ、王子」
シーヴは唇を歪めた。
「なかなか、趣味が悪いな」
「そこまでやるんですか、クエティス」
魔術師は呆れたように言った。
「まさか良心が咎めるなどとは言うまいな」
「言いやしませんよ、そんな面白いこと。ただ私ゃ、あんまり派手なことやってご主人様に怒られたかないんです。まあ、彼も暇人じゃありませんから、私がこんな遠くでちょっとばかり悪戯をしたって気づきやしませんけども」
魔術師は指を一本立て、それをくいっと持ち上げた。同時に、シーヴの右腕が上がる。
「どこがいいですか。心臓? 喉ですかね?」
(や、やめろ!)
エイルは叫んだ。だが、声は届かない。届いたところで、声だけで何になろう。
「俺を殺すか。殺して、どうする」
シーヴの声に恐怖はなかったが、その額にじんわりと汗がにじんだ。魔術の怖ろしさは、彼もまたよく知る。
「どうもしない。ただ」
クエティスは魔術師に向かってうなずいた。短剣が、持ちあがる。
「愚かな真似をした砂漠の術師への見せしめになってもらう」
魔術師が手を動かした。
不吉な光が一筋、ランティム伯爵の執務室に走る。
短剣が――閃いた。




