01 お目にかけたいものが
強い太陽の日差しが室内に入り込んでいる。
床の敷物は籐製で、エイルの感覚で言うと質素な感じがしたが、たとえ王宮であっても分厚い絨毯ばかり敷くことのない地域があることは知っている。ここは、ずいぶんと暑い地域なのだ。
風通しをよくし、なおかつ砂の入り込まないように工夫されている通風口があるのは、東国の建物の特徴だった。
調度品は派手ではないが、どれも、エイルの目にも判る一流品。
この建物、或いはこの部屋の主は、金と身分のある人間だ。
エイルはこの部屋を訪れたことはない。だが、磨き込まれた木製の立派な卓の向こうに立ち、じっと前方を見ている部屋の主を見れば、ここがどこであるかは歴然とした。
エイルはこの町を知っている。
どこにあるのかも、どういう規模の町であるのかも、どこに美味い飯屋があるかも、どんな領主が治めているかも。
ランティム。
そこにいるのは、シャムレイ王の領土であるその町の、シャムレイ第三王子にしてランティム伯爵リャカラーダ・コム・シャムレイである。
「どの面下げて、俺の前に現れた」
厳しい声と剣呑な目つきは、しかしエイルに向けられたものではない。
彼は、ここにはいない。
この状景を見つめ、あたかもこの場に同席をしているようだが、エイルはここにはいない。
一方でリャカラーダ――シーヴも、エイルの姿を見ることはもちろん、気配というような曖昧なものすら感じ取っていない。
ランティム領主が声をかけたのは、彼の前で丁寧に頭を下げているふたりの中年男に対してだった。
片方には、エイルは見覚えがない。「中年太り」という言葉がよく似合いそうな小柄で太めの男。
もう片方も決して身が引き締まっているという感じではなかったが、太っているというよりは年齢相応という感じがした。こちらには、嫌になるほど見覚えがある。
下手くそな礼から顔を上げたその口には、吐き気がしそうなほど人の好い笑みが張り付いている。
「俺に何の用だ、偽物屋。まさか、ランティムでの商売の許可を取りつけにきたなどとは言うまいな」
シーヴは低く声を発した。クエティスは笑みをたたえたままで口を開く。
「お怒りですか、閣下。それともあのときのように、殿下とお呼びした方がよろしいので」
「好きにしろ。どちらも、真実だ。お前の扱う紛いものと違ってな」
そう言い放つとシーヴは立ち上がった。
「ランティムの名を貶めた、その罪について釈明にきたのではなければ、俺にはお前を地下牢に放り込める権限がある。そうしてほしくてやってきたのでないのならば、疾く用件を言え」
「お目にかけたいものが、あるんですよ」
商人はあくまでもにっこりとして言った。それが合図であったかのようにイーファーではないクエティスの連れがすっと箱を差し出す。
「殿下にこうしてこれをお目にかけるのは二度目ということに。――もっとも、ご存知のようにあのときは偽物。此度は、本物です」
その言葉にエイルはどきりとする。クエティスはエイルが渡した偽物をシーヴの前に持ってきた。何の、ために?
「例の首飾り、か」
中身を見る前にシーヴはクエティスがほのめかしたことを理解した。
そうか、とエイルはそこで気づく。
彼は、クエティスの「下手くそな礼」だの「王宮に出入りしている」だのという話を実際に商人に出会うより先に知っていた気がした。その理由が判ったのだ。
――レギスで〈風謡いの首飾り〉をリャカラーダ王子に運んだ〈紫檀〉の一員、それがクエティス、当人だったのだ。
礼が下手だと言ったのはシーヴだった。いくつもの王宮を訪れる男だと言ったのは女長ダナラーンだ。クエティスが使用人をやっていた家の、主の妹。いや、クエティスがいた当時は主の二番目の娘、であったろうか。
(ダウ師からの報告にあったな、信頼が篤いとか)
ウェンズがダナラーンの使いを名乗ったことは、すぐに嘘だと見破られていたのかもしれない。
(それを裏切って東に何をしようと)
(東)
(それともまさか)
(シーヴに)
エイルとシーヴが関わることを〈紫檀〉は知っている。
あのときは、エイルが首飾りを持つ〈砂漠の術師〉であることは知らないはずだった。しかしクエティスはいまや、知っている。
そして、レギスで「リャカラーダ」を名乗った東の男が本当にリャカラーダ王子であったことも――いまや、知っている。
(駄目だシーヴ)
(見るな)
エイルの声は届かない。
オルエンが「呪い」をかけた偽物。本物のように強い呪いではない。それでも、呪いだ。
見覚えのない男がすっと箱を開けた。シーヴの目が細められる。
「これは」
「如何ですかな、殿下?」
クエティスの声に笑いが含まれた。
「欲しいとは、お思いになりませんか?」
(どうしてだ?)
エイルは混乱しそうだった。
(クエティスは、オルエンの呪いを避けたのか?)
(確かに、クエティスに呪いをかけるって目的じゃなかったけど、でもあれを目にしたら、ほかにやろうなんて思えなくなるはず)
(イーファーが、何かしたのか)
呪術師がクエティスに防護の術をかけてでもいるのならば、あの「呪い」に逆らえることも有り得る。だが、エイルが探ってみた限りでは、商人に魔術の気配は見て取れなかった。ならば、可能性はふたつ。
ひとつには、オルエンの術が失敗した可能性。だがそれはとても考えづらい。
ふたつめは、クエティスは首飾りを手放すつもりなどかけらもないのだという、可能性。
後者であるならば、何のために見せる?
「……大した、『呪い』じゃないか」
ようよう、といった体でシーヴが声を出す。オルエンの術は発動している。砂漠の若者は、「欲しい」という欲求に懸命に抵抗しているのだ。
「これが、本物だと?」
ちっとも信じていない様子でシーヴは言った。
「偽の呪いでも、かけたのか」
エイルはまたもどきりとした。その通り、である。
「ああ、呪いがあることを殿下はご存知なのでしたね。そうでした、砂漠の術師と仲がよろしい」
「何」
シーヴの眉がひそめられる。クエティスが「砂漠の術師」つまりエイルについて触れた、そのことが彼の心に疑いを生じさせた。――本物か、と。
「本当に……本物か? これが?」
だがそこでシーヴはクエティスを睨みつける。
「ふざけるな。あいつが呪いのついたまま、首飾りを誰かに渡すような真似をするはずが、ない」
「ええ、彼は渡したがりませんでした。不幸な行き違いもありましたが、いまでは彼も納得しているはずです。何しろ」
商人はにっこりと笑んだ。
「ラ・ムールの水は、生前の未練をなくさせると言いますからね」
「何だと」
シーヴははっとなった。
「まさか――」
「そう。お気の毒ですが、彼はいま、冥界に」
「ふ、ふざけるな!」
砂漠の王子は再びそう言うと、左腰に手をやった。だが、そこに愛用の細剣はない。伯爵が自身の執務室で帯剣をしていることなど、平時であれば、ないからだ。
(違う、シーヴ!)
エイルは言った。言ったつもりだが、声は出ていない。
(俺は、生きてる! クエティスは死んだと思ってるかもしれないが、俺はちゃんと)
その言葉は、シーヴには届かない。
「出鱈目を言うな!」
「何故、出鱈目とお思いに?」
クエティスは心外そうに言った。
「騙されんぞ、偽物屋め」
シーヴは強い目線で商人を睨みつける。




