09 不安
ウェンズはラギータ家について調べ直すとエディスンへ戻り、エイルは協力を続けてくれる友人に礼を言って塔へと戻った。
こうしてひとりになると、不意にこれまで覚えなかった感覚が青年を訪れた。
苛立ちだ。
解決など何もしていないどころではない、「三日後」の約束をいただいたときよりも不穏とだって言える。
あれが偽物だと知れれば。
その事実はぱんぱんに膨らませた風船も同じだった。気をつけていたところで、いきなり破裂するかもしれない。アニーナのことはオルエンが守ってくれるにせよ、友人知人はアーレイドにたくさんいるのだ。
もちろん、事実が発覚する日をただ待っているつもりはない。ラニタリスと首飾り、風司と風具について調べるのが彼の役割だ。
エイルがラニタリスの主であり、ラニタリスと首飾りに考えていたよりも強い繋がりがある以上、首飾りを誰にも渡すことはできないというのがエイルの立場だ。
ならば、どうすべきか。
手に入れたと満足して、クエティスの関心が首飾りからなくなるならよい。だがクエティスが首飾りを誰かに渡そうとしているのであれば、また話が違ってくる。
それは、かの貴婦人〈聖女〉スーリィン以外の生きている人間だろう。もしクエティスがその女に惚れでもしていて、首飾りを捧げたいというのならば偽物でもこと足りるかもしれない。
しかしクエティスは、呪いを悦んだ。
愛する女性に呪いつきの首飾りを贈るというのは、いくら感性がねじ曲がっていても、考え難い。――それとも、有り得るのだろうか。
それに、イーファー。
魔術師が首飾りを求める理由についてはトルーヴを追うため、だろうか。であれば、自分のものにする必要はない。首飾りからトルーヴを追う手がかりが判れば。
(トルーヴねえ)
エイルは頭を抱えた。
(オルエンにもう少し何か聞けないもんか)
ウェンズと話したように〈塔〉に尋ねてみたが、留守中にオルエンがやってきていないらしい。やはり「嘘ではない」とは言い切れないが、嘘をつく理由にも思い足らない。それに、ラニタリスの言葉もある。オルエンは確かにアーレイドを訪れた。そのあとでまたどこだかへ行ったようだが、それは相変わらず判らない。
(首飾りの謎。ラニと首飾りのつながり)
ラニタリスと首飾り、その両者を近づけ、完璧にラニタリスに首飾りを操らせるのか。それとも少しでも引き離し、ラニタリスが故意にでもそうでなくとも誰かを操る危険性から放すべきか。
まだ決断できなかった。材料が少なすぎる。
ラニタリスは、エイルが戻ってきてもいつものようにはしゃぐことはなく、台所の片隅で静かにしていた。反省しているのかもしれない。
エイルは少し気が咎めた。ラニタリスは悪いことをした訳ではない、主を救おうとしただけなのだ。本来ならば、命の恩人――「人」ではないが――とエイルは感謝をすべきである。
だが、首飾りの力を使ったことを褒めれば、ラニタリスはそれを使うことに躊躇いを覚えなくなるだろう。
それでは駄目なのか。それでもいいのか。
――材料は、少なすぎる。
迷いと躊躇いと不安。それらに苛まれて、エイルは意味のないうなり声を上げては頭を抱えていた。
「大丈夫か」
何とも珍しく〈塔〉の声には心配そうな色が混ざった。
「どうにかね」
エイルはかろうじて笑ってみせた。
「少し、休め」
「何だよ、心配でもしてんのか」
エイルは顔をしかめた。
「昨夜は意外なくらいゆっくり休めたし、さっきまで、思いがけなく寝台に縛りつけられてたんだから休息は充分さ」
エイルはそう返したが、〈塔〉は納得しなかった。
「たいそうな目に遭ったのは昨夜のあとだろう。それに、神殿で休まざるを得なかった理由を思えば、本当に快復できているとも思えぬな」
「死者の気配が残ってるとか、お前も言うのか?」
「そうは言わないが、穏やかに休むことも必要だ。ラニタリスとともに眠ればよかろう」
「――駄目だ」
名を聞いたラニタリスが顔を上げたが、エイルは首を振った。
「はっきり言えば、俺は、ラニがあの力と結びついていくことに不安を覚えてる。だから鳴らす機会を作りたくない」
「頑張る、鳴らさないように頑張るよ、エイル」
その声には、親に怒られた子供が親の興を買おうとする必死さのようなものが込められていたが、無意識下で鳴らしているのであれば難しいことだろう。それをエイルもラニタリスも知っている。
「休息は、要るかもな。でもその間、ラニは出てろ」
「……エイル」
「行け」
命じれば、子供は逆らわない。ラニタリスは無言でうなずくと、立ち上がって階段を昇っていった。
「何に不安を覚えている」
〈塔〉がゆっくりと問うた。
「判らないよ」
正直に、エイルは答えた。




