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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
第6話 嵐の兆し 第3章

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07 誰かのため

 ゆっくりと歩き出した。

 まだ、冬のさなかのような寒さが青年の肉体を支配している。

 ふと思いついて、エイルは身体を暖める術を行おうとした。――と、ウェンズがそれをとめる。

駄目です(デレス)

「何でだよ」

「その状態で術を使うのはよくない。それに、実際に体温を上げる術ではなく、寒さを忘れる技でしょう。自分の状態が判らなくなるのも、いまはよくありません」

「そか」

 エイルは素直に納得をした。

「歩けば、血が通うかな」

そうですね(アレイス)、つらいでしょうが、少し頑張って」

「弱音なんか吐いてらんねえよ」

 そう言うとエイルはにやりとしてみせた。いくらか強がりが混じるが、負けていられないという気持ちは本当だ。まだ何も終わっていないのに、へたり込んではいられない。

「それにしても、どうしてあれを渡すまいとしたのです?」

 エイルに手を貸しながらウェンズは問うた。

「偽物のために、命を張るなんて」

「張ろうと思った訳じゃないけどさ」

 エイルは苦笑した。「命を賭ける覚悟」をした訳でもないのに、結果として命を賭けた。笑いごとではないが、こうして生き延びれば、笑える。

「渡したらまずいって感じたんだ」

「見破られると?」

「判んねえ。その不安があったことは事実だ。いまでも、ある。ただ、ばれるかもしれないと怖じ気づいた訳じゃない。嘘ってのは下手にびくつくとばれるもんだからな、正直に言うとびくついてはいたけど、見せなかったつもりではある」

「堂々としてましたよ。それどころか、あなたの反発は信憑性をものすごくつけた」

「結果としちゃ、そうだな。だけど」

「そのつもりでもなかった、と」

そうなんだ(アレイス)

 エイルはうなずいた。

「ただ、何か……気にかかって」

 結果として、偽の首飾りでごまかすことはできた。

 だが、何も終わっていない。

 三日間の時間制限はなくなった。

 かと言って、次の時間がどれだけあるのか判らない。彼らが、いつか気づくものか。いったいいつ、気づくものか。それが不安だったのだろうか?

 〈臍〉の異名を取るビナレス地方の真ん中。その街の、静謐なる墓地をあとにしながら、エイルはふと思った。

 その場所。墓場。

 死者たちの無念に満ちているとウェンズは言ったが、無念を持たぬ死者などいるのだろうか。失くした命に何の未練もなく、ラファランの導きを受けられる者などいるのだろうか。

 満ち足りた人生であればそこから悔いなく離れられるものか? まだ離れがたいと思うこともあるのではないか? ましてや不遇な人生であれば、逆恨みであろうと誰かや()を呪いたくもなるだろう。

 彼自身はどうだろう。人生の最期に、何を思うのだろう。

 墓場の風によぎったそのような考えを――しかし若者は首を振って振り払った。

 残るのはどこか不吉な感覚。

 終わっていない。それは十二分に理解している。ただ、何か、大事なことを見落としているような。

「――ウェンズ!」

 エイルは叫んだ。エディスンの魔術師が驚いた顔をする。

「あいつは何で、首飾りを欲しがったんだ? 俺が気になってるのはそこなんだ」

「そのようなことを言っていましたね」

 不意に力を取り戻したかのようなエイルに、ウェンズは少し驚きながら言った。

「貴婦人に返すためって言ったって、スーリィンはとっくの昔に故人だ」

「もちろん……そうですね。その話は、以前にもしたでしょう。答えは出ないままですけれど」

「そうだ」

 エイルは呪いの言葉を吐いた。

 クエティスの望みは、死者の無念を晴らすことなどではない。

「ちくしょう、俺、思ったんだ。クラーナの言うことはいつでも的確だって。どうしてそれを感じ取れなかったんだ!」

「クラーナ? 彼の言葉の、何についてですか?」

「あいつ、言ったんだ。あんたもいたよ、ウェンズ」

 エイルはタジャスの〈花咲き屋根〉亭を思い出した。

「『クエティスは、いまでは使用人じゃないのに、どこかに主人がいるのか』」

 吟遊詩人はそう言った。その言葉が不意にエイルのうちに蘇った。

「ですがあれは、〈紫檀〉の長の話だったのでしょう」

 戸惑ったようにウェンズは言った。

「確かに、その話だった。でもいま俺が言ってるのは、あいつは、誰かのために首飾りを欲したんじゃないかってことなんだ。自分のためじゃなくて」

「『主人』、ですか」

「それは判らない。もしかしたら貴婦人の子孫」

「リティアナローダ? しかし、彼女はあれを欲していないようでしたよ」

「そうかもしれない。彼女じゃないかも」

 エイルはそれには同意して、続けた。

「『そのご婦人に首飾りを返してあげたいと思うようになった』。クラーナはそうも言ったんだ。美しい思い出ならそれでもいいさ。でも、それで偽物商売をし、魔術師を雇い、呪いにかけられた訳でもないのに、俺を――持ち主を殺してでも欲する。それは、『初恋の思い出を大事にしたい』ってのとはどうしても相容れない」

「現在、生きていて、彼の近くにいる誰かのためだと、そう思う訳ですね」

「そうなんだ」

 エイルはどこへ去ったとも知れぬ商人と魔術師を探すかのように周辺を見た。

「誰かのためだ。気にかかる。ものすごく」

 それが相応しいとクエティスが思う誰かのために。

 呪いを素晴らしいと悦んだ商人。

 何を望むのか、呪殺を躊躇わぬ魔術師。

 偽物の首飾りが彼らの手に渡ったことは、どのようにエイルの、そしてその周辺の運命に絡まっていくものか。

 エイルは寒気が増したような気が、した。


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