04 ちゃんと、誓え
浮かび上がった「伝言」のなかには、エイルに見覚えのない象徴があった。
ウェンズはそれを「南面」と「死」と読み解いた。二語目はどうにも不吉に思えたが、ウェンズは場所を指しているのだと言う。
「どの街でも、日の射さない南方に位置していることが多いですよ」
彼はそう言って、わずかに唇を歪めた。
「冗談にもすてきな感覚だとは言えませんけれどね。――墓地へ呼び出す、などは」
エイルは同意の証に同じような表情を浮かべた。
ビナレス地方の埋葬は、土葬と火葬とほぼ半々だ。
「墓を作る」という形を取るのは土葬の場合が多かったが、火葬でも皆無ではない。それらは故人の遺志であることもあれば、家柄のある人間であれば代々の習慣に従うというようなこともあった。
冥界の主神たるコズディムの神殿に葬儀を任せれば、火葬となる。身体を軽くした方がラファランに導いてもらいやすいという理屈だ。だが土葬でもコズディム神官は祈りを捧げる。つまり厳密な教義でもなく、遺族が手配した葬儀屋がどちらを取り扱っているかによって臨機応変というようなこともあった。
小さな町や村ならばともかく、大きな街であればどちらが主流というようなこともない。数々の墓標の下に眠っているのがどちらであるのかは通りすがりでは判らないが、その辺の土の下に死体が埋まっているのだと考えるのは、健康的な若い青年にとってあまり気持ちのいいことではなかった。
(墓参りなんざしたことないのに、続けて縁があるな)
エイルはふとそんなことを思った。
「墓荒らしが、出たそうですよ」
突然ウェンズがそんなことを言ったので、エイルは何の話かと振り返る。
「墓守が不審そうに我々を見ていたので、問うてみたんです。何月か前のことらしいですけれど、墓が掘り返されて若い娘さんの遺体が何体もなくなったとか」
捧げる花も持たずに若者ふたりなどが墓地を訪れれば、怪しいと見られたというところか。黒ローブ姿であればますます怪しまれ、魔術師への偏見を助長したろうが、彼らは目立つことを避けてそれを脱いでいた。もっとも、朝っぱらから墓を掘り返す墓荒らしもいなかろうが。
「気味悪ぃ……じゃねえ、酷いことする奴がいるもんだな」
エイルは厄除けの印を切った。
「一緒に埋葬する宝飾品の類を盗掘するというのならば聞く話ですが、遺体がなくなったと言うのは、何だか納得のいかない話だと思います。ご遺族の心の内を思うと、胸が痛みます」
ウェンズは魔術師的な冷静な見地と、元見習い神官的な温情ある見地をひとつの台詞に込めた。ややこしい男だな、とエイルは何となく思った。
「フラスって言われても広いと思ったけどさ」
エイルは周辺を見回しながら言った。
「墓地ったって、広いぜ、やっぱ」
そのだだっ広い、そして空虚な場所の広さは百ラクトではきかないだろう。数百から、もしかしたら半ゴウズくらいあるのではないかとエイルは思った。
「そうですね。魔術師同士であれば問題はないかと思いましたが」
術師同士の待ち合わせに詳細は必要ない。魔力の気配を探れば、知れる。もちろん隠れようとすれば別だが。
「こういった場所は……何と言いますか、『思い』に満ちています。情念という類でしょうか。失われたものへの哀惜、憤り、それに死者の、無念も」
「不気味なこと、言うなよ」
エイルは今度は魔除けの印を切った。
「術を使うことになったら、歪みには気をつけてください」
「判った。って、俺はどうせ、そんな上等なことはできないけどさ」
あくまでも謙遜ではなく、事実である。
「生憎だが、私にはたいそう、都合がいい」
背後から聞こえてきた声にふたりはぱっと振り返った。
「思った以上に早かったな」
知らぬ墓標の間に商人クエティス――今日は、あまり商人らしい服装ではなく、ごく普通の街びとの格好をしている――と、コリードと呼ばれる呪術師イーファー――当然と言おうか、黒ローブ姿である――が立っていた。
「援軍か」
クエティスはエイルを見たあとで、ウェンズを見た。
「ひとりでこいとは言われなかったぜ」
「そちらはふたりのようですし」
エイルは言い、ウェンズも続けた。
「墓地が都合いい、とは。いかにも呪術師ですね」
「は、誰があれを解いたのかと思えば、タジャスで同席していたお前か。私の不意打ちに為す術もなかった、他愛のない魔術師」
「そうですね」
挑発するようなコリードの台詞に、ウェンズは淡々と応じた。
「いささか悔しかったので、意趣返しに参りました」
「おい」
エイルはウェンズを制した。
「喧嘩にきた訳じゃ、ないんだぜ」
それは「勝手な真似はするな」というウェンズへの牽制であるように聞こえただろうが、エイルとしてはむしろ「頼むから勝手な真似はやめてくれ」という懇願でもあった。タジャスでのことを思い出せば、この真面目そうな若者は意外に行き当たりばったり――と言って悪ければ、予測のつかない行動を取ってくる。それは、予測のつかない結果を生むことになりかねない。
「他愛のない、と思うならばそれもけっこう」
しかしと言おうかやはりと言おうか、ウェンズはエイルの言葉を無視して続けた。
「ダゴール=アンディアの印ごときで大した術を編むとふんぞり返っている呪術師などにどう思われても、私はかまいません」
「何だと」
「喧嘩、売るなってば」
エイルは苦々しく言った。半分は演技だが、半分は本音だ。
「昼になる前にあれに挑むとはな。なかなか大胆と見える」
「お気に召しましたか」
「さてはその傷は、何らかの代償だな」
「どうぞご自由にご想像を」
「やめろって」
エイルは三度言ってから嘆息した。
「まあ、そっちでやり合ってたいんならそれでもいいさ。ただ、約束はしてもらうぜ」
そう言ってエイルはクエティスを見た。
「約束」
クエティスが静かに繰り返した。
「王女や母親に手を出すなと? そのために必要なものは、持ってきたようだな」
商人が見るのは、エイルが手にしている箱だ。もちろんこれには例のものが入っている。
それは宝飾品を入れるような立派な箱ではなく、何の飾り気もない木箱だった。なかには布を敷いただけである。
これは「偽物なのだからこの程度でいい」という対応ではもちろんなく、仮に本物であっても、エイルが手持ちの品で「首飾り」というものを持ち運ぶにはこの手段しかなかった。
「この前は一方的だったけどなあっ」
エイルは箱を握りしめて言った。
「確約もなしに、こいつは渡せないからなっ」
強い視線を商人に向ける。
「誓え。俺と俺の近辺に、二度と手出しはしないって」
「私はお前に用がある訳ではない。首飾りさえ手に入ればお前にもその交友関係にも、興味などない」
「ごまかすな」
エイルはクエティスの言を遮るようにして言った。
「ちゃんと、誓え。神様に誓ってもらっても、いまひとつ信用できないから、そうだな。何か、お前の大切なものにかけて」
「何故、そんなことをする必要がある」
クエティスは眉をひそめた。確かに、首飾りさえ手にすれば、クエティスはエイルに用などないだろう。もちろんそれは、本物であればの、話。
「それは」
疑われただろうか。謀るつもりで、いるのだと。
「それが取り引きというものでしょう、商人殿」
ウェンズが助け舟を出してきたが、商人は胡乱そうにウェンズを眺めた。
「ダナラーンの使いなどとはやはり嘘八百だったようだな」
「私はそんなことは言いませんでしたよ。あなたの長は東に手を出し続ける手下には困るだろうと、そう言っただけ」
平然とウェンズは返したが、その瞳はクエティスには向かず、イーファーを見据えたままでいた。
「あなたのことは判っているんですよ、〈紫檀〉のクエティス」
「それがどうした」
クエティスは鼻で笑った。
「商品を提供し、代価を受け取る。そこに何の問題がある? 法外な値をつけたとでも言うのか? それでも欲しいと言う者がいれば、それがその品の価値だ。町憲兵隊に裁けるものか。商人組合だって咎めることなどできないし、しないな」
それは詭弁以外の何ものでもなかった。偽物と知っていながら本物だと言って売ることのどこが「問題がない」と言えるのか。エイルもウェンズも納得するはずなどなかったが、ここでそのような――言うなれば倫理的な――論争をしたいのでもない。それについてはふたりのどちらも何も言わなかった。
だいたい、彼らは「偽物と知っていながら」手元に持ってきているものが、ある。




