02 長旅になりそうだな
〈狩人の弓〉亭は、彼らの宿から数本離れた通りにあった。
どこの町でも見られるような特徴のない酒場が併設されており、敢えて言うならば「どうということのない」ことが特徴であった。
席についたエイルとシーヴは、それぞれ豚の香草焼きと鶏の葉包み揚げなどを注文し、店の主人の居場所を聞いた。
小さな店であるからして、客が呼んでいるとなれば主人はすぐにやってくる。料理や酒よりも先にやってきて、何でしょう旦那方、と言った。
「クエティスという男がここにくるらしいな」
「はて」
主人は一瞬首を傾げたが、特に恍けたとかごまかそうとしたというのではないらしく、とっさに思い出せなかっただけのようだ。記憶を探ると思い当てたらしく、手を叩いて、ああ、と言った。
「あの商人ですか」
「商人?」
思わずシーヴは聞き返す。品を売ったの買ったのという点だけを取れば確かに商人のようであったが、そのような印象はなかった。売る方はともかく、買う方は一点二点を買っていくという話だったから、商人の仕入れとは相容れないように思っていたのだ。
「ええ、自分ではそう言っていましたよ。こちらでものを買って、西で売るのだと。それから品を仕入れて、西で商人をやるそうです。『東国』の品だからってそんなに高く売れるもんですかね」
主人は肩をすくめた。エイルとシーヴは顔を見合わせる。
「多少は付加がつくと思うけど、たかが知れてるだろうな」
明らかに西の人間と判る──主人本人やシーヴのように肌色が濃くない──エイルが言えば、そうであろうと主人はうなずく。
「金持ちの好事家に知り合いでもいるんだろうと考えてます。それで、あの男が何か」
「ちょっとした事情があって」
シーヴは考えるようにしながら言った。
「そのクエティスという男が買っていった品を取り戻したくてな」
「取り戻す? 手違いで大事な品を売っちまったりでもしたんですか」
「そんなところだ」
主人が何をどう想像したのかはともかく、そんなところでいいだろうと思ったか、シーヴはうなずいた。
「へえ。そりゃたいへんですね。ですが彼がきたのはだいぶ前になるし、どこにいるのかはさっぱり」
「何か手がかりはないのか」
エイルが口を挟む。
「どこの町によく行くとか、そうだ、その商売をどこでやってるとかさ」
「そう言えば」
主人は思い出すように視線を上にあげた。
「幾つか地名を口にしてましたね。ええと、確か」
シーヴは急かしたくなるのをこらえて、じっと返答を待った。
「コルストに、フラス」
「フラス? 中心部の?」
「〈ビナレスの臍〉か? そんな遠くからきてるのか」
シーヴは口笛を吹き、エイルは天を仰いだ。
ビナレス地方のほぼ中央にあり、〈臍〉の異名を取る街フラス。ここはまだまだ東国と呼ばれる辺りで、フラスまではだいぶ遠い。だがこうなれば、王子様がそこまで行くと言い出すことは目に見えている!
「それから、あとは砂漠の歌だな」
シーヴが言ったのは特に主人宛てではなかったが、主人はまた、ああ、とうなずいた。
「成程ね。その噂話をクエティスから聞いてみたいと」
「何だって」
エイルは目をしばたたいた。
「噂?」
「その話のことじゃ?」
主人は首を傾げた。
「ええと」
「クエティスとかがどんな噂をしてたって?」
エイルは戸惑い、シーヴが尋ねた。
「ですから、砂漠で歌を謡う魔物の話、ではないので?」
主人は繰り返した。エイルとシーヴは顔を見合わせる。
まさか。
余計な興味を引かれないよう慎重に尋ねてみれば、クエティスが語ったのは「歌を謡う魔物が砂漠に出没するようになった」という程度のことらしい。「大砂漠」の噂話など珍しいし、そんなところまで行った男というので、なかなかの冒険家だと思われている、というような話を少ししたあと、主人は少々の銀貨を得て仕事に戻っていった。
「そいつが……あの話をしてたってのか?」
主人の背中を何となく見送りながら、エイルは首を振った。
「それじゃ、ラスルのところに商談にきてたってのは」
「クエティス、ということになるのか」
これは何とも、意外なる偶然である。
――偶然?
本当に?
エイルは首を振った。奇妙だが、偶然だ。それ以外にどんな理由がある?
そう考えた青年は浮かんだ疑念――運命、とかいうものに対する――を脇に置いて、エイルは商人のことに考えを集中させた。
「首飾りの話はしてないみたいだな。だけど、魔物の歌なんて神秘的な話を振りまいて」
「『東の品』に箔付けを……とでも考えたかもしれん」
ふむ、とふたりはそれぞれで考え込んだ。
偶然か、必然か。
「運命、なんてのはこりごりだけど」
思わずエイルは先に浮かんだ思いを呟いた。
「フラス、か」
シーヴは呟いた。
「長旅になりそうだな」
予想通りの表情をしてシャムレイの第三王子が言えば、エイルは睨みつけでもしてやるほかない。




