02 魔封書
「あの、前にも言いましたけれど、ちょっとそれでは無防備ですよ。対魔術師であるときは、殊に」
「じゃあ、しかめ面して、自分はいまとてもたいそうなことをやったがそれは秘密だ、って威張ればいいのか? 俺は言いたいと思ったら言うし、言いたくないと思ったら言わないよ」
「それがあなたという術師なのですね。面白いですが、少し心配です」
「あのなあ、俺に言わせりゃウェンズ、あんたは魔術師の常識に懲り固まってるよ。いくつからこの世界にいんの?」
「そうですね、神官の道を捨てて協会に登録をしたのは十四歳の頃でしたでしょうか」
ウェンズの返答にエイルは口笛を吹いた。神官の修行はそれより以前に行っていたということになるし、神官から魔術師へと言う人生を揺るがす重大なる決断を未成年の内にやった訳である。エイルは十八のときに「重大なる決断」を迫られ、結果それを掴み取ったことになるが、十四のときであったらどうであろうか?
「じゃあ十年かそれ以上ってとこか」
だが意味のない比較を深く考えることはせず、エイルはそう言った。
「俺は二年ばかしだから魔術師の常識に欠けるとも言えるけどさ、頭がやわらかいとも言えるな」
エイルは鼻を鳴らした。
「魔術師だからああだこうだってのは、必ずしも全員に当てはまるもんじゃないだろ」
「まあ、そうです」
ウェンズは認めた。
「どうやら、私はあなたから学ぶこともありそうですね」
「そう言われるとちっとばかし恥ずかしいけども」
エイルは鼻の頭をかいてから、にやりとした。
「あんたも多少は頭がやわらかいみたいだな」
ウェンズは感謝の仕草など、した。
「ときにウェンズ。腹、減らないか」
ぐう、と鳴った健康的な胃袋の主張するまま、エイルは問いかけた。
「何か買ってきましょうか?」
「悪ぃな」
夜番の礼代わりに自分が行くと言いたいところであるが、エイルが待機をしていなくては意味がない。エイルはウェンズの厚意を受けることにした。
「あ、こっから近いとこなら〈黄色い驢馬〉亭のおばちゃんが出してる握り飯が安くて美味い」
「判りました」
ウェンズは笑って了承し、エイルがもう少し具体的に場所を説明しようとしたときだ。
扉が叩かれ、それが開かれる。
「エイル術師。お待ちかねのものですよ」
さっと緊張が走る。朝食について考える和やかな雰囲気は一掃された。
やってきた魔術師は夜直の人間ではなかったが、引き継ぎを受けたのだろう。手には封書を持っている。
「厳重な魔封書のようです。必要なら、防術の間か、誰か導師を」
「不要です」
エイルが何か言う前にウェンズが返した。言われた魔術師は、余所の術師の不遜とも取れる態度に少し眉を上げたが、何も言うことなく封書をエイルに渡すと狭い部屋を出て行った。
「防術の間か、導師だって?」
「見せていただいても?」
「ああ」
ウェンズの差し出す手にエイルは書を乗せた。
「……ずいぶんと意地の悪い封印が施されている。正直に申し上げて、あなたにはきついと思いますよ。解けなかったらどうする気なのでしょうね」
「おいおい」
エイルは苦い笑いを浮かべた。弱輩であることは十二分に自覚しているからウェンズの言葉にむっとするようなことはない。ただ、そんな阿呆な、とは思った。
エイルに解けないものを用意して、約束の場所にこなかったなどと糾弾をするつもりでいるのだろうか。しかしそれは、クエティスの望みには適わないはずだ。
「どうしましょう。私が解きますか? けれど、これは彼らの作戦なのかもしれませんね。あなたが解けそうにないものを送っておいて、味方がいないかどうか確認する」
「そこまで狡いことを仕掛けるか?」
エイルは呆れたように言ったが、すぐに真顔になった。
「いや、有り得るかも。〈企みを持つ者は企まれることを怖れる〉って言うもんな」
現状はエイル自身「企みを持つ者」だが、それはこの際、おいておくことにした。
「そうすると、この伝言には更なる脅迫が書かれているやもしれませんね。これを開封した者に頼るようなことをすれば、と」
「それは、どうかな」
エイルは首を傾げた。
「義侠心のある導師にでも見られたら、奴らも困るだろ」
スライやダウが知れば、放ってはおくまい。
「まあ、推測しててもしゃあねえや。まずは俺がやるよ」
エイルは手を出した。ウェンズは封書を返しかけ、手をとめる。
「おい」
「先の術師が言っていたことを覚えていますか。防術の間が必要かもしれないと」
「言ってたな。何だ、開封に失敗すれば爆発でもするんか」
「あなたを殺しても仕方ないでしょう。ですが、何らかの術が稼働する可能性はある」
「了解」
エイルはウェンズの言いたいことを理解した。
「防護は、任せた」
ウェンズはうなずいて、封書を差し出す。エイルは受け取ると改めてそれを見た。
まず覚えるのは、これが間違いなくあの呪術師、コリードと呼ばれていた魔術師イーファーが封じた書であるという感覚。それを持っているだけで、あの冷たい目がエイルを見ているような気がする。
エイルは瞳を閉じ、深呼吸をして、もう一歩を進んだ。
編まれた印、彼の知らぬしるし。それらが感じられる。だが見覚えもなければ見当もつかない。
無理だ、と思う。勘や偶然、幸運で解ける判じ物ではない。魔術なのである。唯一の正しき線を掴まねば、まるで宝箱に仕掛けられた毒針のように、罠が作動する。それが何であるかは、ともかく。
(くそ)
エイルは顔を歪めた。
(こまい作業は、好きじゃないんだよな)
(リック師はそういう課題、出してきたけど)
エイルはふと故人を思い出した。描かれた紋様から幾つもの印を抜き書きするというような訓練を受けたことがあった。
(俺に向かないと判ると、早々に引っ込めたっけ)
リックがそう判断するまで、渡された紙切れとにらめっこして犬のように唸っていたものだ。
(何だっけ。あのとき、確か何か言われた)
(確か、目で見ようとする気持ちを捨てろ、だったかな)
あのときのエイルには意味が判らなかった。目で見ずに、どうやって何かが判るというのか。
(オルエン流に簡単に言や、感じ取れってことだ)
その瞬間、ぱっと光の筋が走った。驚いたり、これだなどと思う間もなく、エイルはほとんど反射的にそれをたどる。
髪の毛一筋のような細い細い筋は右へ左へ複雑に絡まり合い、まるで彼を撒こうとするかのようだった。
(ちくしょう、待ちやがれ)
エイルは追った。ぎゅっと手に力が入る。
「これだ」
声を出すと彼は印を切った。すっすっすっと指が動く。
「――ダゴール=アンディアの印」
ウェンズが驚愕したような声を出したが、エイルの耳には届かなかった。
「ざまあ見ろ! 解けたぜ! 人を馬鹿にすんなよ!……あ」
はたとなる。先ほど、彼がぎゅっと握りしめたのは――ほかでもない、その封書であった。
「やべえやべえ、魔法で封じられてたって、中身は紙切れなんだもんな」
エイルは苦笑した。
「いまの印を知っていたのですか」
ウェンズがどこか呆然と問うた。エイルは首を振る。
「全然。ただ、見えたもん追いかけて、その先にあったしるしを見た。その通りに指を動かしただけ。本当を言うと」
エイルは肩をすくめた。「魔術師」が聞けば呆れられるような言葉を発するつもりだからだ。
「俺、印を切ったってな意識もなかったよ」
案の定、ウェンズは呆れた顔をした。




