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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
第6話 嵐の兆し 第2章

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08 稀有なる術師

 〈世界の中心〉コルファセットの大渦は、三大陸のちょうど中間の大海にあるとされる。どれだけ快晴の日であろうとも、その周辺だけは常に荒れ狂い、渦に巻き込まれたが最後、何ものも逃れる術はない。

 まるで伝説のようだが、ただの事実だ。少なくとも、事実だとされている。実際に大渦を見てきた者はいない。見るほど近づけば飲み込まれるのだから、見た者がいなくても当然だと言うことになる。

 〈大渦〉には様々な伝承があるが、共通するのは「太古の昔、大災害とともに突然に現れた」という点だった。それを調べる魔術師も世の中にはいたが、どれも推測、推論の域を出ず、言うなれば現存する伝説だ。

 オルエンは、それができた理由らしきものを何とも簡単に告げた訳だが――エイルはオルエンが何を言ったのかさっぱり判らず、ウェンズが気づいたとしても、それがやはり「推測、推論の域」を出るものかは判らなかっただろう。

「ええい、ソーリンダルという種族はな、要するに、お前さんたちが少々関わった例の〈欲喰らい〉リグリスなど可愛くて善良に見えるほど、面倒で真っ黒な奴らだということだ。フェルデラはその血を半分、持っておる。そのことだけは覚えておけ」

 エイルにともウェンズにともつかず、オルエンは言い捨てた。

「まあ、よい。余計な話であった」

「全くだよ」

 エイルは呟いた。オルエンが片頬を歪める。

「いずれ、もっと聞かせろと言ってきても、そのような態度では教えてやらんぞ」

「けっこうだよ。俺には関係ないね。いまはフェルデラ協会長にも、ソー何とかにも用はないんだ」

 オルエンはエイルを軽く睨むようにしたが、首を振ると息を吐いた。

「よかろう。忠告はした。いつか判らぬ未来に役立つか立たぬか、それはお前たち次第。では、いつなのかよく判っている明日の話に移ろう」

 そう言うとオルエンは片掌を上にしてエイルに差し出した。

「寄越せ」

 偽物の首飾り、であろう。エイルはうなずきかけ――首を振った。

「その前に。聞いておきたいことがある」

 エイルは口調を変えて言った。

「何だ」

 真剣な響きにオルエンは片眉を上げた。

「オルエン、あんた」

 そっと深呼吸をしてから、エイルは続けた。

「トルーヴって名前に心当たり、ないか」

「何だと」

 その名前は予想以上の――それとも予想通りの激烈な反応を引き起こした。

どこで(・・・)その名を(・・・・)聞いた(・・・)!」

 この白金髪の魔術師が声を荒らげることは珍しい。エイルがその瞬間どきりとしたのは、それに驚いたためでもなければ、「師匠」に叱責を受けたようで身をすくませた訳でもない。

「く……」

 瞬時に走った(ガラサーン)のような衝撃。全身が強く痺れる感覚にエイルは身を縮ませ、ほとんど身体をふたつに折りかけた。

「オルエン殿!」

 驚いて言ったのはウェンズだ。

「おやめください、そのような力は、彼は避けきれない!」

「――ああ、そうか、そうだな、済まぬ」

 オルエンが何か仕草をするとエイルを襲った痺れは消えた。

「済まぬ、エイル。力を放ったつもりは、なかった」

「珍しいじゃ、ねえか」

 ようよう、弟子は言った。

「あんたがそんなふうに、思わず魔力を出しちまう、なんてよ」

「驚いたのだ」

「隠してた名前を言い当てられた、からか」

「何ですって」

「何だと」

 ウェンズとオルエンが異口同音に言った。オルエンのそれは、先の驚愕に満ちた言い方とは異なり、何とも意外そうであった。

「どこでその名を知ったか聞かせてもらいたいものだが、私がトルーヴだと思っているのか?」

「違う、のかよ」

「どうしてそのようなことを思ったんです?」

「さっき、話したじゃねえか」

「共通点については伺いましたが、同じ人物だと考えているのだとは思いませんでした。関わりがあるのではないか、くらいの意味かと」

「なかったら、驚くくらいさ」

 そう言うとエイルはウェンズに二度目の、オルエンには初めての説明をした。レンの術師。魔術師に追われている。それに、砂漠との関わり。

「――トルーヴが、あの首飾りを砂漠に捨てたのか」

 オルエンはどこか呆然としながら言った。

「何と。思いがけぬ、絡まりだ」

「あんたのことじゃ、ないのか」

「私ではない」

 若い姿の老魔術師は手を振った。

「フレウス・トルーヴはレンの基準に置いても稀有なる術師だった。将来を期待されていたが、あるとき、自身の作った道具を持ってレンを離れ、二度と戻ってこなかった。そう言われている」

「本当にあんたじゃ、ないのか」

「私ではない」

 オルエンは繰り返した。

「彼は私と同時代の人物ではあるが」

「そりゃ……化石だな」

 思わずと言った調子で弟子は言い、失敬な、と師匠は言った。

「待てよ。それじゃ」

 エイルははたとなって、オルエンに視線を送る。

「トルーヴの名前に、あんなに驚いた理由は、それじゃ」

 もう身体は何ともないのに、まだどこか痺れているような感じがした。

「そうだ」

 オルエンはうなずいた。

「私は彼を知る。きわめて稀な、レンの術師」

 エイルは口をあんぐりと開けた。ラギータ家で聞いた奇妙な話が、急に現実味を帯びた気がした。――オルエンの、知人?

「レンには〈トルーヴのような〉という言い回しがある。世にも稀な、というような意味だ。トルーヴというのは、稀なる術師であった」

オルエンはそんな言い方をした。

魔術師(リート)としては、そこそこだ。ウェンズ、お前並みか少し上くらいやもしれん。だが、彼の才は魔力にとどまらなかった」

「魔術師が、魔力以外の何で評価されると?」

「トルーヴは、精霊師(ケルエト)でもあった」

「ケルエト」

 エイルとウェンズは異口同音に繰り返した。

「風具とかを作ったって連中か?」

「その一味と言う訳ではないが」

「トルーヴは、それだったと」

そう(アレイス)。魔力を持つものは七十人にひとりいるかいないかだと言うな。そのなかで魔術師となるものは、半分にも満たない。精霊師はそれよりも貴重だ。その両方を兼ね備えた人間など、滅多に生まれはしない」

 だから稀有だ、とオルエンは言った。

「魔術師にして、精霊師。しかし、皆無ではないでしょう。先だっても──」

「業火の若造だな」

 オルエンはウェンズの言葉を先取った。

「現在、一名ほどそういった特殊な術師が見つかってはいる。だがあれは力の面においてはあまりに貧弱だ。決してトルーヴの再来とはならなかろう」

「見つかって、いる」

 エイルは繰り返した。

「あんた、そんなもんを探して日々を送ってるのか」

「まあ、近い」

 オルエンは唇を歪めた。

「特異は特異だ。だがあれの魔力は拙すぎる。エイルよりも弱いくらいだ」

「悪かったな」

「精霊師としては大成する可能性もあるが、それならば──ただの精霊師だ。珍しくはあるが、歴史的に稀だと言うほどではない」

 そう言うとオルエンはウェンズを見た。

「ウェンズ、お前さんは自身を過大評価も過小評価もせんだろう。お前はいまと同じだけの魔力のほかに、地火風水、四大自然神どれでもいい、その加護を受け、魔力以上にその力を思うままにすれば、何ができると思う」

「単純に、それに類する術を強化できるであろうと思います。たとえば風であれば、より強力な〈風鎌〉」

「そのあたりだな。だが逆もできる。魔力ではない、自然神のもたらす通常の(イル・スーン)に刃を忍ばせること」

「同じじゃないのか」

 エイルが口を挟めば、オルエンは嘆息した。

「全く違うに決まっておろう」

「どこがだよっ」

 決めつけられてエイルは反論する。

「魔力で風を動かそうが、自然の風だろうが、それを使って何かを切るならさ、結果は同じじゃないか」

「結果は同じだ。うまくいけばな」

「エイル、たとえば魔術師同士です」

 ウェンズが説明をしてくれるらしい。

「魔術師であれば、風を表す印に〈風鎌〉を警戒し、それを防ぐ術を編むでしょう。しかし風を作る気配がなければ?」

「警戒しない、できない、か」

 エイルはうなった。

そうです(アレイス)。精霊師の力は魔力と似ていますが、異なります。その力があれば、対魔術師戦は相当有利になるでしょうね」

「対、魔術師、戦」

 エイルは繰り返すとまた唸った。

「あんまり楽しくない響きだな」

「魔術師と言う人種には、自己顕示欲が強い者も多いです」

 ウェンズはそんなふうに言った。

戦士(キエス)たちのように、同業者以外にまで名を上げようとは思わないものですが、『自分の能力はあいつよりも上である』と知って安心したい、という面は多かれ少なかれありますよ」

「実感、こもってるぞ」

 エイルがぼそりと言うと、ウェンズは肩をすくめた。

「自らの力を試してみたいと思うことは、私自身、間々あります。相手がどのような技を使う術師なのか、理論や想像だけではなく自らの身体と魔力と杖で知りたいと思うこと。目前の相手に自分は敵うのか、勝てるかと、思うこと」


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