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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
第1話 砂漠の魔物 第3章

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01 気に入らない事実

 エディスンの街まで足を伸ばすことも少し考えた。

 〈風読みの冠〉なるものについて、エイルは何も知らないのだ。

 その冠を探しているティルド少年に協力したいと考えていたことは事実だったけれど、ティルドが既に得ている知識についてエイルが調べる必要は、これまではなかった。

 だが、砂漠でエイルが手にした不思議な首飾りと件の冠にもし関わりがあるとなれば――「かもしれない」という段階に過ぎないが――放っておく訳にはいかない。何しろ王家の宝だと言うのだから。

 しかし、すぐさまエディスンへ、と行動を起こすには、少々問題がある。

「何がだ」

 エイルが嘆息すると、シーヴは片眉を上げて問うた。

「気になるなら、行けばいいだけのことじゃないか。〈塔〉の力を借りればすぐに跳んでいけるんだろうに」

「まあ、な。あんまり好きじゃないけど」

 〈塔〉の、言い換えればオルエンの魔力に頼った移動の技は、砂漠から出るには必須だし、月に何度かアーレイドというビナレス地方の西端に向かうにも欠かせない。エイルは通勤(・・)にも買い物(・・・)にもそれを使わない訳にはいかなかったが、それを便利なものと考えてビナレス中をあちこち巡ってみる気性はなかった。

 日々の暮らしをそこそこに過ごせれば、彼はそれでかまわないのだ。好奇心で知らない町に行ってみたいなどとは思わないし、必要があれば足と馬を使う。

「やるとしても、あとだ」

 好みでなくてもやらざるを得ないこともある。この宿題をこなすには、どうやら必要だ。そう思ってはいたが、エイルが口にしたのはそんな言葉だった。

「あと?」

そう(アレイス)。お前がちゃんとランティムに帰ったのを見届けてからだ」

 まずはそこだ。

「何だ、俺にはくるなと言うのか」

「当たり前だろう。お前はあの手の〈移動〉は苦手だし、それに、首飾りの件はお前には関係ない」

 残念そうに言うシーヴに、エイルはぴしゃりと言ってやった。だがシーヴはそれにへこたれるどころか、にやりとする。

「そうつれないことを言わんでくれ、我が翡翠の」

「シーヴ、てめえっ」

 エイルはシーヴの言葉を遮って、卓をばんと叩いた。

「その件は口にしないと、誓っただろうがっ」

「ああ、砂の神にかけてな。つまり」

 青年は澄まして言った。

「砂漠以外では力を持たん誓いという訳だ」

「……いずれ誰かに刺される前に、俺がやってやろうか」

「それはまた、強烈な愛の告白だな」

「頼むから」

 エイルは肩を落とした。

「ゼレット様みたいなこと、言わないでくれないか」

 シーヴは笑った。エイルは唸り声を上げる。シーヴの場合はどこぞの、もうひとりの伯爵と違い、エイルをからかおう、茶化そうとして言うのだと判っているが。

「冗談だ。愛の証に殺すときは自分の手で、なんて言われるのは一度だけでいい」

 シーヴが実に嫌そうに言うので、エイルは笑ってやろうかと思ったが、少し心配にもなった。

「大した女とつき合ったんだな。ちゃんと別れたのか?」

「つき合った訳じゃない。一方的に好かれただけだ。まあ、俺の結婚に祝いだか呪いだかを送ってきた以来は音沙汰もないし、忘れてくれたんだろう」

「……レ=ザラ様を泣かすなよ」

「レ=ザラは、俺がほかの女で身を滅ぼせば、泣くよりも指を差して笑うか、そうでなければ自分の体面を傷つけたと言って怒るような女だ」

「よく言う」

 エイルは笑った。

 「リャカラーダ」の妻であるレ=ザラと、王子がまだ「シーヴ」であった頃から彼の目付けをしているヴォイドは、彼に非常に厳しい。常識的なところを言えば、シーヴが王子、領主として非常識すぎるのだが、当人はそれを「独創的である」の一言で片付ける。

 「王子と言えばみな、判で押したように兄上みたいなのばかりだったらつまらんだろう」というのが第三王子の言い分だが、妻や臣下にとっては面白いとか面白くないとかいう問題ではない。

 と言っても彼らが「口やかましい」のは自身のためよりシーヴとランティムの民のためなのであって、シーヴもそのことは理解しているから彼らを煙たく思うことはないが、彼の希望と異なる以上は賛同できない、というところである。

「レ=ザラ様がどんな女性かなんて俺が言ってやる必要はないだろうけどさ。そういう言い方は、レ=ザラ様以外の女性には受けるよな。妻とは政略結婚で愛情はありません、っていつまでも前面に押し出したいんなら、好きにしたらいい」

 少し辛辣に、エイルは言ってやった。

「……そういうつもりではないんだが」

 今度はシーヴの方が奇妙な唸り声を出した。

「レ=ザラ様が大事なら、照れずにちゃんとそう言えよ。惚気はほどほどにしてもらわんと、聞く方がつらいけどな」

「なかなか、いいことを言う」

 シーヴはようよう、言った。

「未婚の、振られ男の割には」

「余計なお世話だ」

 エイルは顔をしかめた。同じことを何度もしつこい。まさかこれが恨み言(・・・)の代わりだとはエイルは思わないが、シーヴの方でもそんなことは認めないだろう。

 シーヴというのはこんなふうにいちいち皮肉を返さないとと気が済まない奴だったろうか、とエイルは思い、ふと気づいた。

 聞くところによると、シーヴはクラーナとはいろいろぶつかった――シーヴの方から一方的に、だ――らしいし、とある薬草師とのごたごたも――思い出したくはないが――思い出す。となれば、シーヴは彼、いや、彼女に対してはそれなりに遠慮していたのかもしれない。

 ランティムでの交流は言わばシーヴの「陣地」であったが、こうして外に出れば彼は普段の余裕をいくらかなくし、警戒と皮肉が増えるのではないか。そんな推測を下エイルは、心理としては何となく判るようにも思ったものの、旅の連れに対してまでやらなくてもいいのではないか、とも思った。

「クエティスだって? ああ、口の達者な西の旅人か」

 夕市が立ち出した頃に大通りへ向かった彼らは、何人もの露店商に実りのない質問を続けたのち、ようやくそういった声に出会った。もう、市も終わろうという頃だった。

「最近、見かけたか」

 シーヴは「本当か」だのと相手に不快を抱かせることも、「探してるんだ」だの足元を見られそうなことも言わず、ただ問うた。

「最近ね、どうだったかな」

 商人は顎をかいた。

「たまにふらりと歩いてるのを見かけることはあるが、特別に仲がいい訳でもない。いつきたかだの、いつくるかだのまでは覚えとらんね」

「思い出すのに必要なもんがあるってとこか?」

 シーヴはそう言うと隠しからラル銀貨を数枚取り出した。商人が舌なめずりして手を差し出すと、シーヴはそれを持っていた手をきゅっと握り、相手に届かないよう、上にあげた。

「何だよ、ケチるんじゃ――」

「さて」

 シーヴはエイルを振り返った。

「こいつが小金ほしさにくだらない嘘をつけばお前にはお見通しだな、我が魔術師(リート)?」

 誰がお前のだ、との反論をどうにか飲み込み、エイルはうなずくと指を一本立てた。雰囲気を出すために適当な印を切り、シーヴが開いた掌から銀貨を宙に浮かせて見せる。

 これは何ともささやかな手妻で、エイルですら頭痛の気兼なしに使える技であったが、虚仮威しには十二分だ。男は真っ青になった。本物の魔術師が相手だと思ったのだ。――本物だが。

 エイルとしては気に入らないやり方だが、効果はある。こうなれば、嘘はつくまい。

「し、しばらく見てない。本当だ。前に見たのは半年近く前で、それっきりだ」

「何か売り買いをしたか」

「ま、前に一度。俺は、見ての通り陶器を扱ってるが、こっちの絵師(ロット)が描いた皿が欲しいと言って、何枚か。で、でも公正な取引で」

「何も不正を探してるんじゃない」

 ランティムではたいそう不正をただしたらしい領主は、ほかの町で気軽に言った。

「そいつのことを知りたいだけだ。そいつはどこからくる。どこへ行く」

「判らない、本当だ。西からきて北へ行くこともありゃ、南からきて東へ行くこともある。どこかからきて、この町にきたときはいつも〈狩人の弓〉亭に泊まる、俺が知ってるのはそれくらいだ」

「判った」

 シーヴは商人を落ち着かせるようにうなずいた。エイルは一歩後ろに引く。こうすれば、「魔術師」が何もする気ではないと判るだろう。

「聞かせてくれて有難うよ」

 そう言ってシーヴが先の銀貨を差し出すと、商人はふるふると首を振った。

「けっこうだ。何も、要らん」

 魔術師に関わって金など受け取りたくない、或いは、魔術が触れた銀貨など要らない、というところかもしれない。シーヴは肩をすくめると銀貨をしまい込んだ。要らぬと言うものを無理にやる必要もない、と考えたようだ。

 エイルは少しだけその男を気の毒に思った。魔術師などと関わりたくないと言うのは、ごく普通の感覚だ。数年前まで、彼もそうだった。

 ただ、いまでは自分がそう(・・)なのだから、そんなことを言ってはいられない。

 それはどうにも、気に入らない事実であったが。


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