04 杖に刻む
「イーファラードにしてイーファーか。厄介な術師を相手取ったようだな」
クエティスの雇われ術師にして、かつての主の弟。トルーヴという謎の術師を追い、その過程で首飾りを探ることになったとか。
「もしかしたらさ、導師」
エイルはラギータ家での話を思い出すと、遠慮がちに口を開いた。
「トルーヴってな名前、知らないか」
スライは考えてから首を振ったようだ。
「覚えがないな」
「まあ、そうだよな」
落胆するような安堵するような、複雑なものを覚えた。何か判ればと望む一方、伝説の闇術師にある名前だとか、そのものだとか言われたくはない。
(オルエンがそんなにやばい術師だとは、思わないけどさ)
「トルーヴ」がオルエンではないかと疑うエイルは言い訳するように考えたが、自分でもそれを少し不思議に思った。
彼は「レン」という都市に強烈なる悪印象を抱いているが、オルエンに関してはそうならない。もちろん、これまでの積み重ねというものもある。いくらか意地が悪いと感じても、少なくともエイルを害する目的はないことは判っている。ただ、エイル自身がアーレイドの術師だというように、そう言えばレンの術師なんだよなとたまに思うことがあるくらいだ。
スーリィンに片耳の黒猫を見たときは、あの肖像画が悪の象徴であるかの如く思ったし、「レンの影」にいまだに怯えることは否定できない。
だと言うのに、結局のところ、エイルは信頼していたのだ。出身も何も関係なく、オルエンという人物を。
だからこそ、もし本当に首飾りを捨てた「賢者」がオルエンであったなら。エイルは、騙されたと怒るのではなく、衝撃を覚えるかもしれない。
「散々ビナレス中を引っ張りまわされた挙句、どうにかサンスリーンの術師だとは判ったが」
スライの声がエイルの思考をイーファーの件に引き戻した。
「生憎とそこまでだ。しかし、何か合致したようだな」
「した、した」
エイルはこくこくとうなずいた。
「これはでかい材料だよ、導師」
相手の名を知っていれば、容易に自分だけ名で縛られることはない。エイルは自分の護りを考えることなくシュアラに魔除け飾りを渡してしまったから、名を呼ばれることには充分注意をしなくてはならなかった。だが、コリード――イーファーの名を知っていれば、防ぎやすい。
「となると、問題もあります」
ウェンズが懸念あるような声を出した。
「スライ師、そのイーファーは、魔術師に術を向ける呪術師です」
「何」
導師の声にも同じ色が混ざった。
「殺した術師の数を杖に刻む、ってやつか?」
「可能性はあります。彼は、父や義兄を殺したのかも」
「おいおい」
言ったのはエイルだった。
「殺したって? そんなこと、彼女はほのめかしもしなかったじゃないか」
「魔術師の死に笑った、という言いようは十二分なほのめかしに思えますよ。呪術が成就したから喜んだのだ、と」
つまり、とウェンズは続ける。
「だからこそ、われわれに警告を寄越したと取れます」
「んな馬鹿な。いくら趣味が悪いったって」
イーファーの父と義兄、つまりはリティアナローダの父と夫、そしてリティリーザの祖父と父である。それを殺した男を娘の婿にと考える母親などいるだろうか。
「そう、その趣味の悪さですよ、エイル。毒の花に偽の花。過去に存在した闇術師。そんな名前を選んで子供たちにつける家系。ご当主は穏やかで理知的に見えましたが、われわれが感じ取った以上に歪んでいます。彼女は、自分は過去の栄光に興味がないようなふりをしていましたが、その実、弟がラギータ家に繁栄をもたらすことを願ってでもいるかもしれません」
「初代が仮に、本当に聖女であったとしても、子孫がそうとは限らない。スーリィンが引っ込みさえしなければ得られたはずの栄光、〈淡雪のような〉夢を抱いているってのか?」
「初代からの繁栄が現在まで続いた確証などないはずですが、欲望を覚えると人間はその辺り、理性が働きませんからね」
「そんなふうには、見えなかったぜ」
「ええ、見えませんでした。そうありたいと思うことはあっても、彼女はそのために動くことをしてこなかったのでしょう。けれど」
「弟は違う、とでも」
言ってエイルは唸った。
「コリード。いや、イーファー。あの野郎が歪みまくってることに関しちゃ、俺は諸手をあげて大賛成する」
「『イーファラード』」
しばらく黙ってふたりの話を聞いていたスライが、ふと声を出した。
「エイル、お前は知らないようだから『伝説』の方のイーファラードについて少し説明しておこう」
そう前置いてから導師は続けた。
「ケイスト一族は『一族』と言うように身内で策謀を廻らせた。メイ・ツェンは自らが呼ぶ闇の生き物を除けば単独だ。対するイーファラードは、賊を従え、街町を征服したんだ」
「征服」
穏やかではない響きだ。
「お前の嫌いなレンだってやっとらん。魔力による大陸の制圧。それに対するレンの動向は知らんが、もちろん協会はそれを阻止すべく戦ったとされている。だが導師級の術師も敵わず、幾人も死んだとか。そう、奴は殺した術師の数を杖に刻んで喜ぶ術師だったと言えるだろうな」
「殺した術師の数を杖に刻む、か」
エイルはその言い回しを先ほどまで知らなかったが、名のある戦士同士が決闘をして自分は誰それよりも強い、と箔をつけたがることがあるのは知っていた。
ただ戦士たちはごくごく一部を除いて、命を奪い合うまではしない。どんな形であれ、決着がつけばそれでいいのだ。一方で魔術師たちの決闘は、「ここまで」とするのが難しい。優劣を付けるのであれば強力な術を撃ち合うことになるし、術は一度放てば威力を弱められない。力が拮抗していればいるだけ、どちらかが死に至る、少なくとも重傷を負うだろう。
望んで魔術対決などする術師もやはりまずいないが、利害関係によっては命を賭して争うこともある、という点では戦士たちと一緒だ。また、「ごくごく一部」がいることも同様という訳だ。
「もっともイーファラードは、ビナレス征服を半分もやりきる前に賊の首領に裏切られて殺されたと言うが」
「ただ、カナチアス・ケイストや黒のメイ・ツェンと異なり、現実味があります。彼が暗躍した舞台がビナレスだからということに限らず、野心を抱く強力な術師がひとり心を決めれば、いつでも起こり得ることと言えるからです」
「んな名前つけるなんざ、やっぱ、趣味が悪ぃ」
エイルは役に立たない感想を呟いた。だがスライもウェンズも同感だったようで、同意の言葉が返ってきた。
「まさかイーファーの野郎、イーファラードの再来ごっこでもやりたいんじゃないだろうな」
「首飾りがビナレス支配の決め手になると?」
「まさか。そうじゃなくてさ」
ウェンズの言葉にエイルは首をすくめた。
「魔術師の死に笑う男って話」
「身近な術師に力を乱されることを嫌う、その心理自体は判りますがね。殺意を抱くとなれば話は違う。呪術で人を殺せるか、身近な相手で試したとも取れますし、絵に描いたような呪術師ですよ。模範的と言ってもいいくらいです」
ウェンズはたいそうな皮肉を口にした。
「エイル」
導師は彼を呼んだ。
「手は、要るか?」
簡潔にスライは訊いてきた。何があったのかなどとは問わず、助力は要るかと、短く。
「ほしいとは、思うよ。でもさ、要らない」
青年はそんなふうに答えた。導師、或いは師匠は再びにやっとしたようだ。
「いいぞ、意地っ張りめ」
その言われようにエイルもまた似たような笑みを返す。
「戦えると言うのならば手出しもせんし、とめもせん」
スライの大きな手が頭に乗せられたような感じがした。
「生きて帰ってくればまた何か掴むだろう。エイルだけじゃない、ウェンズ、お前もな」
エディスンの若者は少し驚いたようだった。
「協会という組織で見れば、俺はエディスンの術師であるお前を指導してやる立場にはない。だが、若いのがアリシャスという感覚を手にして大きく前進していくのを見るのは気持ちがいい。アーレイドの駆け出しでもエディスンの中堅でもな」
導師と呼ばれる立場にいる術師はそんなことを言った。




