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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
第6話 嵐の兆し 第1章

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10 どう話せばいいのやら

 エイルは、下町の品のなさと宮廷儀礼という究極の上流、その両極端に馴染んでいたが、ある意味「ごく普通の」挨拶に疎い。

 彼がやるのは「くたばったら知らせろよ、手くらい合わせてやってもいいぜ、クソ婆」か「お許しをいただきまして、本日は退出させていただきとうございます、殿下」である。こう言った「少しよい」家の主人にどんなご挨拶が適当なものなのか、しばし迷った。

 その辺りのフォローをしたのは当然ウェンズで、エディスンの青年はラギータ家の女当主に過不足のない見事な礼の言葉とともに挨拶をした。

 その間、エイルは判ったことと判らなかったことを頭のなかで整理しようと努力したが、混乱に支配されそうであった。

 クエティスの〈貴婦人〉スーリィンについて調べるつもりでやってきて、彼女がレン出身の術師であるという驚くべき事実を知った。

 それはエイルが怖れる〈魔術都市〉の影とは重ならないようだったが、そこに端を発してトルーヴだの、イーファーだの、はじめて聞くのにどこか聞いたことのあるような話がかぶさってきた。

 トルーヴとは、オルエンなのか。

 その真偽がどうであるにせよ、トルーヴを追うというイーファーが、何故スーリィンに近づく人間――いや、魔術師(・・・)を気にするのか。

 イーファー。ラギータ家当主リティアナローダの弟にして、その娘リティリーザの婿候補。魔術師の死を喜ぶという不気味な魔術師。

「行ってしまうの、ヒサラ」

 リティリーザの表情から恐怖の色は去っていたが、少女はいつしかすっかりウェンズに懐き、去るという彼に張り付いていた。

「よいですか、リティリーザ。嫌な男を避けるために、私のような通りすがりに自分を安売りするのはおやめなさい。あなたにはいまに、年齢も外見もあなたに相応しい相手がきっと現れます」

 ウェンズ青年は、内心はどうあれ、まるで神官(アスファ)調にそんな話をしていた。

「でも」

「大丈夫。嫌であればはっきりと拒絶すること。強い意思は魔術を跳ね返します。それを案じているのならね」

「お母様が決めたら、それで決まりだわ」

「あら、あなたの希望は尊重してよ。セル・ウェンズが承諾をするのならば、私はイーファーにこだわらないもの」

「――お母様、本当に?」

「私、ではなく」

 話が不穏な方向に行かないように、とウェンズは咳払いして続ける。

「必ず、相応しい人が現れますから」

 そう言うと元見習い神官は祝福の印を切った。それはなかなか説得力があって、リティリーザは神妙な顔をして祝福を受けた。

(ずいぶんと、お優しい(・・・・)じゃないか)

 エイルは思わず口笛など吹きそうになった。ウェンズは心の声だけで笑う。

『私に少女趣味はないんですと申し上げましたでしょう。せめてもう少し、二十歳を越すくらいの娘であればぐらつきもしますけど。年齢が合わないのはお互いに生憎だったということで』

(……微妙に裏表のある奴)

 とんだ似非神官ぶりを発揮する先輩術師に、エイルは乾いた笑いを洩らしてしまった。するとまた少女にキッと睨まれることになる。仕方なく、彼はまた、謝罪の仕草をする羽目になった。

「――何つうか」

 外に出て空を見れば、〈太陽(リィキア)雨神(クーザ)の茶席〉と呼ばれる、好天と曇天が交じり合った、言うなればどっちつかずの天候が彼らを待っていた。

 薔薇たちに見つめられて中庭を去り、おそらくは唯一いる警護兵の無言の注視から離れて少し歩くと、エイルは首を振って呟いた。

「妙な家だったな」

「歴史と因習。陽気な気質の高い東国で、あの家だけ別世界のようですね」

「貴婦人に魔術師。太陽(リィキア)の下にくると、何だか芝居小屋から出てきたみたいな気分だ」

 エイルは金を払って芝居を見るような「上等な」経験はなかったが、こっそりと覗き見たことならある。作られた偽の世界にしばし騙されるあの感覚は、不思議な酩酊感を残す。エイルはそれに似た気分を味わっていた。

「判ったことより、判らないことの方が増えたようですね」

「判ったことも、あんまり役には立ちそうにないけどな」

 クエティスが貴婦人を大事に思っていることは判ったが、それにしたって首飾りで偽物商売を思いつくくらいであるから、女主人が言っていたほど「本気」とも思えない。

「でも気になるのは」

 エイルは顎に手を当てた。

「トルーヴ」

「そちらなのですか」

 驚いたようにウェンズが言った。

「イーファーは」

「まあ、それも気になるけど」

「『気になる』どころではないですよ。私はすり抜けられた可能性もありますが、あなたは真正面からあの術を受けた。お持ちの魔除けがうまく働いていればいいですが」

「あ、いま、持ってない」

 赤い翡翠はシュアラに。例の腕輪はクラーナに。杖についている白い翡翠ならばあるが、あれが「魔除け」として働いたと感じたことはない。

「……それじゃ、思い切り、見られたと思っておいた方がよろしいかと」

 呆れ声でウェンズは言った。

「ただ、私たちはスーリィンやトルーヴを探ろうと思っている訳ではないですから、イーファーとやらもそれに気づけばあなたを害そうとはしないと思いますが」

「まあ……な」

 エイルが曖昧に返答すると、ウェンズは片眉を上げた。

「何か引っかかってますね。トルーヴのことのようですが、いったい何です」

「うううん」

 奇妙な唸り声を上げ、エイルは頭をぐしゃぐしゃとやった。

「どう話せばいいのやら」

 自分でも判らないのである。うまく説明できる自信などない。

「では、整理がついたあとでもかまいませんが。これから、どうします」

 アーレイドにでも戻られますか、とウェンズは言った。エイルが母を案じると思っているのだろう。確かにそれはある。心配だ。だが。

「いや、それより」

 エイルはウェンズの提案に首を振った。

「ついてきてもらいたいとこがある。悪ぃけど、つき合ってくれ」

 迷い――躊躇いはあった。だが、捨てた。

「もちろん……かまいませんよ」

 少し面白そうにウェンズは言った。

「よっしゃ」

 エイルは手をぱん、と叩いた。

「さてそれじゃ」

 躊躇いは、捨てた。

「行こう。案内するよ」

 彼は遙か東方、大砂漠(ロン・ディバルン)に心を向けた。


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