07 おかしな約束
ラギータ家の女主人は、リティアナローダと言った。
「化け狐」と入る名前にエイルは眉をひそめ、ウェンズが面白そうに「擬態植物です」と心で教えてくるのを聞いて皮肉を覚えた。――偽物屋のかつての主は、偽物植物の名を持つのか。
と言っても、リティアナローダの花は、確かに薔薇の一種である。本来の花は薔薇のなかではかなり地味であり、しかしリティアエラのような派手な花と一緒に植えるとそれに似て育つのだと言う。
『なお、リティアナローダの方が生命力が旺盛で、一本対一本である場合は、リティアエラを枯らしてしまうとか』
ウェンズは説明を続けた。
『そして、恩人を枯らしたあとは地味な花に戻ってしまい、蜂や鳥がよってこなくなってしまうそうです。何だか皮肉ですね』
こちらはまた違う方向から皮肉を感じ取ったようだ。
(それにしたって、普通はあんま、名付けたいと思う名前じゃないんじゃないか)
『『薔薇』の名前をつけるとでも決まっていて、だんだんとその種類がなくなってきたんじゃないんですか』
(別に、曾婆さんの名前をまたつけたっていいだろ)
『それもそうですけど』
選んで、つけているのだ。エイルはそう思った。偽花の母に、毒花の娘。何だか趣味が悪い。
「では、エイル殿に、ウェンズ殿ね?」
リティアナローダは高価そうな極薄い陶杯を細い指でつまみ上げながら、ふたりの若者を見た。
「首飾りの行方を捜しているの?」
「そうとも言えます」
ちっとも「そうは言えない」はずだが、ウェンズはうなずいた。
「少なくとも商人殿はそれを欲している」
これは本当だ。
「スーリィン女史にお返しするため、という話でしたが」
「まあ」
女主は笑った。
「彼女はずっと過去の人よ。二百年、三百年、もっとかしら?」
「初代がいつの人間か、知らないのか」
意地悪や皮肉のつもりではなく、エイルは言った。
「記録書はあったのよ。けれど、百年以上前に失われたの。トルーヴを追う男がみんなそれを持っていってしまったということだわ」
「また『トルーヴ』か。それは何もんなんだ。スーリィンとどういう関係がある」
「直接の関係はないでしょうね。トルーヴというのは、私より十代は前のラギータ当主リティウェンダルの夫となるはずだった男よ」
「じゃ、魔術師か」
「そう」
リティアナローダはうなずいた。
「あなたのご先祖、ではないのですね」
「ええ、リティウェンダルとトルーヴはお互いに惹かれたけれど、彼はラギータ家に入ることを厭った。忘れられない女でもいたのかしらね」
女主人は少し笑い、それが彼女の推測に過ぎないことを表した。
「そこで彼は約束をしたの。失われた家宝の首飾りを取り戻してくることができたら、彼女と結婚をすると」
エイルはぴくりとした。ここで、首飾りなのか。
「何だかおかしな約束ですね」
ウェンズは指摘した。
「女性が結婚を躊躇い、男性がそれを承諾させるために首飾りを探すのならば判るのですが」
「そうね。私もそう思うけれど、事情は知らないわ。ただ、そういう話なの」
リティアナローダは肩をすくめた。
「そして、トルーヴはそれを果たさなかった」
「見つけられなかったのですか」
「見つけたのよ。なのに、彼はそれを砂漠へと捨ててきた」
「――何だって」
大砂漠へと首飾りを捨てた。
エイルはその話を聞いたことがある。
タジャスの伝説。怖ろしい争いを見かねた賢者が、首飾りを砂漠へ捨てたと――。
「言ったように、事情は判らないわ。トルーヴはリティウェンダルのもとへ戻り、彼女に詫びて、そして姿を消した。それだけの話」
「……それですと」
考えるようにしながらウェンズが声を出す。
「トルーヴという魔術師は、リティウェンダルという当主と恋には落ちたかもしれませんが、ラギータ家自体とは何の関わりもない。なのに、何故そのような『物語』が伝わっているのです?」
「それは」
女主人は静かに陶杯を皿に置いた。
「トルーヴを追うイーファーがそれを探り出したのよ」
「追うって、何なんだ。トルーヴとかは追われるような何かをしたのか」
「彼を追うのは何人もいたという話でしたね。あなたは私たちが彼を追うのかとも言った」
「そうよ。もちろん、トルーヴはとうにこの世の人ではないでしょう。けれど彼は類い稀なる魔術師で、魔術師たちにはとても魅力ある存在らしいわ」
「魔術師が追う――魔術師」
エイルは呟くように言った。
(どっかで聞いたこと、あるような)
「死んだ魔術師の痕跡を追いかけることに何か意味があるとも思えません。トルーヴを追う者というのは、彼が遺した何かを追っていたのでは」
「そいつが捨てたって、首飾りか」
エイルは思索を打ち切り、嫌そうに言った。
「有り得ますね。けれど、それだけではないかもしれない」
「すげえ魔術師だったのか。じゃあ」
少し迷ってから、彼は続けた。
「賢者、と呼ばれるようなこともあったかな?」
「どうかしら。判らないわ」
『賢者って何です』
ウェンズが心で問うてきた。
「あれだよ。タジャスの――伝説」
特に隠す必要もないだろうと思って、エイルは声に出して答えた。
「首飾りはかつて、タジャスにあった。トルーヴはそれを見つけたんだ。でも、そいつにはとびきり厄介な呪いがかかってて、『類い稀なる』魔術師でも解けなかった。トルーヴはタジャスから首飾りを持ち出し、砂漠へと、捨てた」
「見かねた賢者が首飾りを砂漠に捨てた」
ウェンズも思い出したように言った。
「意外なつながりですが」
『誰が捨てたとしても、あなたの件に関わりはないのでは』
(かもな)
エイルは小さくうなずいて、声を出した。
「クエティスはその話、知ってるのか」
「知っているんじゃないかしら。彼はスーリィンの絵が大好きで、彼女の胸から首飾りが消えたことを気にしていたもの。私が話したかもしれないわ。覚えていないけれど」
「砂漠にあることは、知ってた」
「けれど、砂漠と一口に言っても広いですからね」
となると問題は、どうやってコリードが「ラスルの付近にある」と知ったのか、ということになるだろうか。
「イーファーと言いましたか。あなたの弟君も首飾りを追っているのですか」
「トルーヴを追っているわ。その一環として追っているかもしれないわね」
「――待てよ」
エイルははたとなった。
「それじゃ、イーファーとかってのも、魔術師か」
「当たりよ」
リティアナローダは優雅にうなずき、エイルは口を開けた。魔術師だらけだ。
「あなたのお父上は魔術師なのでしょう。魔術師の子が魔術師とは、珍しいですね」
魔術は遺伝しない。それは秘密でも何でもなく、常識に近しい。エイルですら以前から知っていたことである。
「そう、稀なの。だから彼は、自分がラギータ家を継ぐ資格があると言った」
「では」
ウェンズは驚いたように言った。
「女主人が魔術師を夫に持つというのは、魔術師を生むためなのですか?」
「そうなるわ」
「んな馬鹿な」
遺伝するものではないのだ。
「けれど、可能にしているというわね。――レンでは」
その名称にエイルの身体は硬くなった。
「それは理をねじ曲げて、或いはねじ伏せて行われることと解釈されています。星を読み、術を行い、魔香を焚き、魔術薬を飲み、魔陣を編み、その上で魔術師の男女が」
こほん、とウェンズは咳払いをして続けた。
「ロウィルの行為をする。そうすれば魔力を抱いた種が必ず宿るという訳でもありませんが、確率は高まるとされている。ただそうしたやり方は歪みを生むと考えられています」
「魔術で魔術師を生む――スーリィンはそれを嫌って、レンを出てきたと言われているわ」
「なら、何で」
魔術師を生みたがるのか。
「夫に魔術師を持つべし、としたのはスーリィンではないわ。先に話した、リティウェンダルなのよ。トルーヴに去られた彼女は、いつか彼が帰ってくるのではないかと夢見た。そして、子孫たちに魔術師を迎え入れるよう、遺言したの。魔術師の子供が生まれれば、その父はレンの術師かもしれないから」




