03 毒の花
「それは、変わっていますね。そういった予言でも受けたのですか」
「そうじゃないわ。決まってるの。お父様は魔術師よ。お爺様も。私が生まれたときには既にお亡くなりになっていたけれど、曾お爺様も、みんな」
「そういう家系、なのか」
「そう決まっているの」
代々女主人で――旦那に魔術師を求める?
(聞いたことあるか、そんな……風習ってのかな)
『ないですね。いささか興味深い』
(おい)
『ご安心を。いまは『貴婦人』です。私の好奇心はあとにしますよ』
(いや、別に俺はあんたを雇ってる訳じゃないから、好きにしてくれていいんだけども)
『好きにした結果がお手伝いですから』
その言葉にエイルは口の端を上げた。ウェンズの第一印象は傷跡のために「悪そうに」見えたのだが、次には穏やかで知的だと感じた。その期間が長かったが、どうやら少し奇妙な奴だと判ってきて――でもまあ信頼はできそうだ。
『ただ、エイル。ひとつだけ』
ウェンズの声が警戒の響きを帯びた。エイルは片眉を上げる。
『リティリーザ、という花について』
(何だよ?)
『薔薇の一種ではありますが、リティアエラのように美しいだけではない。それは毒の花です』
(毒だって?)
エイルは目をしばたたいた。
『微量ですが、棘に毒を持つ花なんです。手間はかかりますが、その毒を集めて精製をすればウリエのような幻惑草にもなり得ます』
(聞いたこと、ねえけど)
〈白露の三本草〉の異名を取るウリエから作られるのは、大都市の闇で売買されることのある、違法性の高い薬だ。街町によって法が異なるという現状のなか、幻惑草の摂取だけはほとんどの場所で捕縛の対象となった。
エイルも耳にしたことがある。取り引きらしき状景を見たことも。
彼がそれに手を出したことがないのは、正義感が強く潔癖であったから――と言うよりも興味も金もなかったからだが、酒に弱い彼が幻惑草でいい気持ちになれるとも思ったことはない。
『ええ、手間の割に効果はさほどではありませんから、わざわざ作って商売をしても儲けは出ないはず。流通はしていなくとも作ることはできます、ということです』
(つまり、あんまり子供につけたい名前じゃないってことか)
『そうです』
(――ラギータ家)
エイルは顎に手を当てた。
(ただの女系一族じゃないかもな)
『まさしく、〈薔薇には棘があるもの〉ですよ。うっかりと手を出すことのないよう、お気をつけを』
(そりゃお前だろ)
エイルはにやりとして、顎でリティリーザを指す。
『私に少女趣味はありませんから』
平然とウェンズは返し、エイルはまた吹き出すのをこらえた。
(俺にだってないよ)
『では年上趣味ですか。この娘の母親が美人だとよいですね』
(あのなあ)
『冗談です』
エイルの方はいちいち百面相になってしまったが、どこまで本気なのか判らないウェンズの方では眉ひとつ動かしていないに違いない。そのまま、少女との話を続けている。
「では、お父君は薔薇の夜露を求めてきた魔術師だったのですか?」
「そうらしいわ。けれど、媚薬を作ってどこかの女に使う代わりに、お母様の虜になったの」
またもや、子供らしくない言いぶりである。
(金髪狐の伝説みたいだな)
『あれは魔術師ではなく、ただの旅人ですけれど』
(でも、あれだろ。探している霊薬があるって森の奥に誘われて)
『食べられてしまう。子供の寝物語には言いませんが、その意味は二重ですね』
淡々と言うウェンズにエイルはまたまた笑いそうになり――いい加減こらえきれなくなってきたが何とか咳払いでごまかした。
「何が可笑しいの」
しかし少女は敏感にもその気配を感じ取って、キッとエイルを睨む。仕方なくエイルはまた謝罪の仕草をした。
「あなたのお友だちは失礼だわ、ヒサラ」
「そのようなことは。彼は宮廷で教育を受けた立派な男性ですよ」
「宮廷? 嘘でしょう、とてもそうは思えないわ」
「嘘なんてつくものですか」
「それなら、そちらの男があなたに嘘をついているのよ、ヒサラ。騙されているんだわ」
言われ放題である。エイルは敢えて返答を避けたが、ふと気になった。
(何で、宮廷がどうのなんて知ってんだよ。俺、お前にそんな話したこと)
『ユファス殿から聞いたんですよ』
(成程)
別に隠すつもりはないので、エイルは納得のいく答えに納得をして終わらせた。
広い前庭を少女の速度に合わせて歩いていた彼らは、ようやく玄関にたどり着いた。外からは薔薇に囲まれてよく見えなかったが、これだけの庭園を持つ家である。さぞかし立派であろうという想像は当たりで、それはタジャス男爵の館よりずっと大きく、拵えは東国ふうだった。
(……そっか。ここは東国なんだよな)
エイルは改めて考えた。
(リティリーザの肌色が薄いもんだから、忘れてた)
父親が土地の人間ではないためだろう。東国にももちろん魔術師はいるが、少なくとも現ラギータ当主の目にとまったのは西の人間と思われた。
(そう言や)
エイルはふと思い出す。
(クエティスも……旅してるせいか日焼けはしてたけど、東国の人間って感じじゃなかったな)
このサンスリーンは「東国」のなかでは西方に当たるが、先にラギータ家の場所を教えてくれた住民などはやはり黒い肌をしていた。
(東国で名を成しながら、西を好む家? 何だかよく判らねえな。本当に関係あるのかな)
外れなのではないか、先に商人組合を当たるべきだったろうか、と思ってエイルは苦笑した。もし生意気な小娘に振り回された挙げ句、肝心の貴婦人が別人では笑い話だ。
『そんなことありませんよ。この家が当たりです』
ウェンズは言い切った。
(根拠は)
『勘ですね』
(この野郎)
真剣に尋ねたのにこれである。いまひとつ、まだウェンズが掴みきれない、とエイルは思った。
数段の石段を上がるとリティリーザはウェンズから手を離し、ちらりとエイルを見た。
「――俺に開けろってか?」
「判ったのなら、早くなさい」
少女は澄まして言った。エイルは腹立たしいものを覚え――同時に懐かしいような、奇妙な感情を覚えた。
(……ああ、二年前、いや、三年前のシュアラみたいなんだな)
出会ったばかりの頃、周囲の者が彼女の意志に沿うことをただ当然と考えていたシュアラ王女にエイル少年は腹を立てたものだった。
『侍女がいないのだからお前が開けるに決まっているでしょう』
つんとして下町の少年にそう命じた王女殿下を思い出したエイルは、不意にリティリーザが可愛く見えた。
「仰せのままに、お姫様」
そう言って段を駆け上がり、力を込めて重厚な扉を開ける。どちらかと言うとエイルは小柄であるため、力がなさそうに見える。しかし魔術師というのは一般に思われているよりも体力勝負であるし、塔の扉などはこれよりも重い。慣れたものだ。エイルは難なく戸を開けた状態に保ち、礼までしてみせた。
これには、お嬢様の点数が上がったようである。
「なかなかいいわ。『お姫様』とその礼で、先の無礼は許します」
「そりゃどうも」
エイルは丁寧に感謝の仕草を返す。口調は適当でも、点数はまた上がったらしい。リティリーザは満足そうにうなずくと、屋内へ入った。エイルはウェンズを促して入るように伝え、扉番の真似を続けてから、最後に屋敷に足を踏み入れる。
「ふわ」
思わず、おかしな声が出た。
(こりゃ……アーレイド城並みだ。城ほどでかくはさすがにないけど、入り口の広間の作りとか、踏んでいいのか躊躇うような絨毯敷いてたり、高価そうな燭台まで)
『ええ、私もエディスン城を思い出しますね。どうやら、ラギータ家は予想以上の名家ですよ』
(しかし、内部は西方様式だな、驚いた)
『外見は一種の偽装なのでしょうか。東で目立ちすぎないように』
(いいのか、勝手に入って)
『跡取りのお嬢様のご案内です、堂々としていていいでしょう』
(それに)
エイルは片頬を歪めた。
(魔術師は歓迎される、だったか)
『それは当面、黙っていた方がいいかもしれませんね』
(判ってる。あんたがはっきりとは言わなかったの、気づいたよ)
『言葉尻を取られることだけは避けた方がよいかと。言霊の力は偉大ですからね』
ウェンズの返答は意外だった。
(その割にゃ、名前は平気で教えるし、易々と約束までしたな?)
『名前は、気をつけてさえいれば大きな問題にはなりません。約束は、申し上げた通り。必要となったらここを訪れるのにやぶさかではありませんから』
そんなものだろうか、とエイルは首を傾げた。感性は人それぞれ、魔術師それぞれ、師匠それぞれということにでも、なるのだろうか。




