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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
第5話 焦燥と奔走 第4章

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11 薔薇屋敷

 あっけないほど簡単に、その家は見つかった。

 ヨアの領地の西方、サンスリーンは中規模程度の町だったが、ラギータ家はなかなか有名らしい。最初に捕まえて尋ねた町びとから明確な返答があったのである。

 エイルは太陽(リィキア)を見た。昼間の天空の支配者はそろそろお疲れであるらしく、ゆっくりと西に沈み行こうとしていた。

「急ごう」

 エイルは足早に教わった場所へと歩いた。ウェンズが続く。大通りを斜めに横切って西へと折れ、次の大通りを北に進む。すると五(ティム)と行かない内に、話に聞いた通りの薔薇園が姿を見せた。

「これは、見事ですね」

 感心したようにウェンズは言う。

「多種の薔薇(リティア)を揃えた庭ならばたまに見かけますが」

「ここは、一種類だけなんだな」

 赤。開ききる手前、それはいままさに咲き誇ろうとする花弁で埋め尽くされていた。

 美しきリティア。気高きリティア。棘ある――リティア。

 劇的な印象のある薔薇は、一般的に女性が贈られると喜ぶ花であるとされている。高価な部類に属するが、初夏頃、満開の季節となれば庶民にも手が出しやすく、普段は花など見向きもしない男も花売りの口上に乗せられて、恋人に贈るようなこともある。

 エイルとしては、下町時代にはどれだけ値下がっても花など買う余裕はなく、そこまでしたいと思える女友達もいなかった。女友達はいたが、それほどの仲ではなかった、の意である。

 懐がいくらかは潤うようになってからは、土産を買っていく先と言えば主に母で、花などという毒にも薬にもならないものを買ってでも帰ったら鼻で笑われることは目に見えており、そのような真似をしたことはない。

 レイジュにも、贈ったことはなかった。

 出会って熱烈な恋に落ちたとでもいうならともかく、友人から発展した間柄では花など贈るのは気恥ずかしいというのもあったし、レイジュ自身の言葉もあった。曰く、部屋には眠りに戻るだけなのだから、部屋に飾るしかないようなものを贈られても困る、と言うような。

 もし、レイジュの侍女仲間であるカリアあたりがその話を聞けば、エイルにぴしっと指を差し「女心が判っていないわね」とでも言ったかもしれないが、幸か不幸かそういった状況に陥ったことはなかった。

 赤。

 朱に近い明るい赤もあれば、黒に近い暗い赤もある。ここの薔薇は、明るすぎず暗すぎず、落ち着いた色合いをしていた。

 もし女性に贈るのならば、十代の娘よりも二十後半、いや三十後半を越えた婦人でなくては似合わぬような、成熟の色。

 赤。

 同じような色合いの赤い薔薇と言うのでもない。エイルが見て取った通り、ここには一種の植物しか存在していなかった。

 青年は片頬を歪めた。薬草師(クラトリア)の端くれと言うにも及ばない、見習いの端くれくらいであるが、野草の類を使うことが多い身にあれば、こういった手入れのされている――されすぎている庭は、少し気持ちが悪い。

(王宮の庭園なんかじゃそこまで思わないけど、あれはバランスがいいんだな)

 そんなことを思った。

「ラギータ薔薇庭園(リティアエル)への入り口なら、そちらではないわよ」

 少女めいた高い声に、ふたりの若者ははっとなってそちらを見た。

「いい時季にきたのね。それとも、当然なのかしら?」

 そこにいたのは、確かに「少女」と言うが相応しい年齢、十代の前半から半ばほどの娘であった。美しい金の髪は胸の辺りまであり、若さと健康さを主張するようにまっすぐと降りている。濃い蒼をした瞳は見開いたように大きいが、それは少女の常態であるようだった。暗めの赤――大量の薔薇と同じ色をしたワンピース(スオルラン)は膝を出す短さで、そこからは細く白い足が伸びている。紐状の髪飾りも、くるぶしまである靴も、執拗なまでに同じ赤だ。

 その色はやはり、若さにはあまり似合わなかった。

 まるで、大人になろうと背伸びをしているような――微笑ましさよりも痛ましさを伴う、不思議な感覚。

「ご案内しましょうか?――魔術師(リート)のお兄様方」

 言われたふたりは目を見合わせた。彼らはもう黒ローブなど着ていないし、ウェンズはいささか「らしい」ところもあるが、エイルは間違っても魔術師に見られたことなどない。ローブを身につけていないエイルを魔術師だと見て取るのは魔術師くらいだ。

 だが、少女に魔力はない。

 それは隠せぬものだ。

 念のためにウェンズをちらりと見たが、かすかに首を振る。やはり、魔力はないと言っているのだろう。

「魔術師だって? どうして」

 少しばかり不自然な()のあとに、エイルはそう言った。少女は肩をすくめる。

「別に隠さなくてよろしいのよ。魔術師協会の紹介でやってこられたのでしょう。珍しくないわ。近頃は、少なくなったけれど」

(おい)

 エイルは心でウェンズに呼びかけた。

(どういうことだよ?)

『判りませんが……もしかしたら』

「どうされたの? 紅薔薇(リティアエラ)の夜露を摘みにいらしたのでしょう?」

「リ」

 エイルはむせるかと思った。

「リティアエラ?」

 これが?――名前は知っていたが、実物を見たのは初めてだった。

「薔薇の夜露……成程」

 ウェンズが納得したような声を出した。

「何、納得してんだよ」

「薔薇の夜露は魔術薬の材料になることがあります」

「聞いたこと、ねえけど」

「そうですね、あなたはあまり必要とされないかも」

「何に使うんだ?」

「それは」

 ウェンズが少し躊躇った。少女が笑う。

「あら、ご存知でないの。どなたかのお使いなのかしら? それならば教えてあげる。紅薔薇の夜露は」

 くすり、と笑う少女は幼さを残したあどけない表情のままで続けた。

「媚薬になるそうよ」

 こほん、とウェンズが咳払いをした。

「成程」

 成人するかしないかの少女の前であまり言いたくなかったというところか。少女の方から、言われた訳だが。

「せっかくですけれど、お嬢さん(セリ)。私たちはそれを摂りにきた訳ではないんです」

 年下の娘にもあくまでも丁寧にウェンズは言った。少女は首を傾げる。

「それならば、何のために?――もしかしたら」

 少女の目が面白そうな光を帯びた。

逢い引き(ラウン)の最中かしら」

「違うっ」

 どうしてどこででもこういうことを言われなくてはならないのだ、とエイルは頭が痛くなる思いだった。ウェンズは咄嗟に意味が判らなかったか、瞬きなどしている。

「あら、残念」

 くすくすと少女は笑った。

「で、君は何者な、訳」

 何となく「お前」だの「あんた」だの言うのが気が引けて、エイルはそんな二人称を使って言った。

「私? 私は、リティリーザ」

 ウェンズがはっと息を呑んだ。だがエイルがそれを問うより先に、少女が続ける。

「リティリーザ・ラギータ。ラギータ家の娘よ」

 薔薇屋敷の少女はそう名乗るとふたりの魔術師を見て、まだ幼さの残る顔に妖艶さを垣間見せる、不可思議な笑みを浮かべた。


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