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風謡いの首飾り  作者: 一枝 唯
第5話 焦燥と奔走 第4章

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10 友人

 集中力は最大だった。

 エイルは素早く南街区に〈移動〉をして防護の印を強め、ラニタリスを労ったあと、さっと東方を向いた。

(いまなら見える)

(――ヨア。それに、ウェンズ)

 ウェンズには引き続き〈貴婦人〉の捜索(・・)を頼んでいる。

 エイルは深呼吸をすると、遠く東国にいるエディスンの魔術師に心の声を跳ばそうと深呼吸をした。

(おい、ウェンズ、聞こえっか)

 エイルはエディスンの術師に意識を集中した。

『はい、ちゃんと届いていますよ』

 少し面白そうな声がした。エイルがちゃんと〈心の声〉が届くかどうか案じていることに気づいたのに違いない。聞こえて当然なのに何を心配するのか、と言うところだろう。

 だが、そう言ったやりとりに慣れたウェンズはともかく、エイルは魔術師仲間などいなかったし、オルエンはこのやり方を好まないと見えて、どこか判らない場所から弟子に声をかけてくることはなかった。

 要するに、慣れていない。ちゃんと返答をしてもらえなければ、届いたかどうか確信が持てないのだ。ウェンズはそれを判って、ちゃんと返答をしてくれた訳である。

(いまから、そこ行く。悪ぃけど、ちょっと手ぇ貸してくれ。それから例の目眩まし、頼む)

『判りました』

 少し驚いた様子だったが、何も聞き返すことはせずウェンズは了承した。

 単独では、アーレイドのような西端から東国まで跳ぶのはまだ難しかった。だが、行き先にいる術師が手伝ってくれれば可能である。

 目印――目標になってくれるのだ。「ここにいる」と存在を明確にしてくれる。ラニタリスの「気配」を掴んだのと同じだ。

 エイルがウェンズに頼んだのはそれであり、もちろん理解したウェンズはすぐにそうしてくれた。

(見える)

 銀色の糸。

 まるで、ウェンズがそれを投げてくれたような感覚がある。

(おしっ)

 エイルはそれを掴むと引き寄せた。現実に手を伸ばしてどうにかするのではなく、概念にすぎないが、彼がそうするとぱっと景色が変わった。

 ぐらり、と視界が歪んだ。

 エイルは反射的に近くにあった卓に手をつく。

「大丈夫ですか」

 座っていたウェンズがさっと立ち上がると彼を支えた。

「ああ、悪ぃ」

「少し距離がありますからね。気を落ち着けて。呼吸を整えることを意識して……吸って、吐いて、吸って……はい」

 その一語とともに背がとん、と叩かれた。すうっと目眩が消える。

「助かった」

 エイルはほう、と息をつく。乱れた魔力をウェンズが整えてくれた。初めての経験だが、何をしてもらったかはよく判った。

「ここは?」

「申し上げた通り、書庫館ですよ」

「成程」

 道理で静かである。街なかよりも人気(ひとけ)は少ないものの、もし魔術で現れたところを目撃されれば街なかよりもものすごく響く悲鳴に迎えられたことだろう。

 だが、ウェンズはエイルの依頼通りに術を用意してくれていたと見え、数ラクトと離れないところにほかにも利用者がいたけれど、エイルの「登場」が不審がられた様子はなかった。

「幾つか、候補は見つけましたが決め手は」

「サンスリーン」

 ウェンズの報告を遮ってエイルは言った。

「クエティスの野郎、サンスリーン発行の手形を持ってやがった」

「手形」

「商人組合のさ。もっと早く気づけばよかったよ」

「サンスリーン」

 ウェンズは繰り返すと卓に向かい、広げてあった書籍や古びて色の変わっている投げ売りのなかから、薄い書誌を取り出した。

「では、これが関係するかもしれません」

「どれ」

 エイルは開かれた頁に視線をやった。それは、領主たるサンスリーン子爵が催した宴について書かれているようだった。

「これの、どこに何が」

「ここです」

 ウェンズは手を伸ばすと一カ所を指した。

「招待客の名が列挙されているでしょう。これらのなかでひとつだけ、セリの敬称がついています」

「女か」

 それは女性に付ける敬称である。エイルは文字を追い、その名を見つけた。

「セリ……ラギータ。確かに、『セリ』だな」

 言ってエイルは首を振った。

「よく見つけたな、こんなもん」

 自分だったら絶対に見逃す自信がある、とエイルは考えた。

「勘です」

「魔法、じゃないのか」

 エイルはにやりとして言った。ウェンズは笑う。

「そのような術があれば便利ですね」

「全くだ」

 言うとエイルは伸びをした。〈移動〉の後遺症はウェンズのおかげでない。

「サンスリーンに行ってラギータ家を訪れる」

「いまですか?」

 問われてエイルは首を傾げた。

「そのつもりだけど」

「何のために?」

「何のって」

 「弱みを握って脅し返す」とまでは言わない――言いたくない――が、立ち向かうだけの材料がほしい。それだけだ。

「いま動くことは得策でないように思います」

 ウェンズは言った。

「あなたが彼を探ったと判れば、向こうも警戒をするでしょう。それよりは偽物であろうと首飾りを渡し、それを取り返したがっているのだと思わせた方がよい」

「あいつを探るなら渡してからの方がいいってのか?」

「あなたがクエティスならばどう考えると思いますか?」

 エイルは唇を結んだ。

 もし、エイルが誰かの持ち物を欲し、向こうが渡したがっていないことを知りながら――脅すなどとは想像しづらかったので、たとえば借金の形として受け取ろうとしているとか――約束の刻限までに相手がシュアラやアニーナを探りはじめたとなれば。確かに、渡したくないあまり、相手が彼女らを盾に取ると疑うかもしれない。

 逆にじっとしていたら? おとなしく受け入れたと思うかもしれないが、何か企んでいると考えるかもしれない。

「コリードが俺を見張ってるとは思わない。警戒してりゃいくら俺だって魔術の気配には気づくし、あいつの影はない。でも仮に見られてたって、いきなり突きつけられた約束だ。俺がばたばた動いてたって、不自然どころかむしろありそうなことじゃないか」

「何とも言えませんが」

 ウェンズは考えるようにした。

「あなたが『サンスリーンだ』と思われるのならそうかもしれません」

 まるでエイルが予知か何かをしたと言わんばかりの台詞であったが、エイルは少し唇を曲げるにとどめた。

「では、参りましょう」

「何だよ、そこにもつき合う気か?」

「急ぐのでしょう。全く知らぬ町に跳ぶことは無理ですから協会を使わねばなりませんが、そのあとでヨアへ戻りたいとか、どこだか私の知る場所へ行きたいという話になれば、いちいち協会を頼らずに済みます」

「ま、道理だ」

 エイル自身がもっと楽に銀の道を見つけることができれば話は早いが、それにはまだかかりそうだった。

「んじゃ、頼むことにする」

 エイルはうなずいた。ウェンズはエイルに何の義理もないのにこうして手伝ってくれているのだ。それが好奇心のためであろうと助かっていることは事実であり、その意見、希望(・・)には耳を傾けるつもりでいる。

 つまり、ウェンズも知りたいのだ。どのような貴婦人が、クエティスにあのような影響を及ぼしているものか。

「何だか、悪ぃな」

 どこか気が引けるような感覚でいるエイルに対し、エディスンの術師は首を振る。

「あなたはどうにも、私が手伝ってくれている(・・・・・)と思うようですが、私は勝手にやっています。引け目のようなものを覚えることはありません」

「引け目ってんじゃないけどさ」

 エイルは苦笑した。

「対等でありたいと思ってるってとこかな。俺の価値観だよ。友人ってのはそういうもんだと」

「友人」

 ウェンズは少し驚いたように返した。

「違ったか?」

 エイルは片眉を上げた。

「いえ」

 傷跡の見えない術師は穏やかに笑んだ。

「意外ですが、嬉しいですよ」

 魔術師同士というのはどうしても同業者(・・・)であって、友人関係にはなり難い。ウェンズにどれだけ魔術師仲間がいても、友人ではないという辺りだろう。

 ただエイルにしてみれば、顔見知り以上の間柄にある魔術師など導師や師匠以外にいなかったものだから、ウェンズがどう「意外」に思ったのかよく判らなかった。

「では、決まりですね」

「ただ、行く前に」

 エイルはにやりとして言った。

「それ、片づけなきゃな」

 本やら紙切れやらが散らばったままの卓上を指した。ウェンズは片眉を上げる。

「こういうのは」

 ウェンズは片手を伸ばして冊子の上の空間を撫でるようにすると、小さく呪文を唱えた。すると、本たちはすっとその姿を消す。

「簡単です」

「……消した訳じゃないよな」

「まさか」

 ウェンズは肩をすくめた。

「書庫館のようによく整理されている場所であれば、彼ら(・・)は自分たちの居場所を覚えていますから。帰るようにと言えばいいんですよ」

「へえ」

 エイルは感心した。

「お教えしましょうか?」

「協会の図書の間でも使えるか?」

「あそこは、ちょっと。魔術書も多いですから、こういった術は散らされます」

「それならいいや。俺が何か調べるとしたら、協会ばっかだろうから」

 思いもよらない術があるものだな、と感心をしながらエイルは手を振った。

「では、協会に参りましょうか」

「だな」

 エイルは短く答えてうなずくと、さっと踵を返し――出口は反対側です、と指摘を受けた。


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