09 探してたって?
シュアラの付近に不審な影は見えなかった。
身辺的な護衛の方は目立った変化はないようだったが、ファドックのことだから王女を不審がらせない程度に警備を強化しているのだろう。このあたり、エイルは全面的に近衛隊長を信頼している。また、兵士の方でも、特にファドックに何か言われていないとしても王女の懐妊という報は知っているはずだから、普段よりも緊張して警護に当たるはずだ。そういう意味では、よいタイミングであったとも言える。
だが、それは問題ではないだろうと思っていた。クエティスはもう城にはこないだろうし、不埒者を雇って城を襲わせるとも考えづらい。
問題は、コリードなのだ。まず大丈夫だと思っていることも確かなのだが、念には念を入れて確認をしたかったのである。
大丈夫だ。――少なくとも、いまのところは。
エイルは肩の凝りをほぐすようにしながら城の廊下を歩いた。
「あらエイル」
顔見知りの侍女とすれ違った彼は、そこで声をかけられる。
「レイジュが探してたわよ。あなたがきたら教えてほしいって」
「へえ?」
エイルは少し驚いて返した。
「いま、どこにいるか知ってるか?」
「そうね」
侍女は考えるようにした。
「いまごろなら、休憩中だと思うけれど」
「そうか、わあった。探してみる」
「ちょっと待って」
侍女はくいっとエイルの袖口を引いた。
「何だよ」
「……より、戻ったの?」
興味津々という様子で問われた。エイルは肩をすくめる。
「いや、それより前に戻った」
素早く彼はそう答えた。
「友人てやつさ」
「ふうん?」
侍女は、何だか面白くない、といった様子だ。
実際のところを言うならば「判らない」である。レイジュがどういうつもりであるのかさっぱりなのだ。
だが真偽はともかくとして、エイルに恋人がいるなどという話になってはまずい。いまは、大いにまずい。
もし――コリードに、知られれば。
「本当に? 何か、隠してない?」
何か聞き出そうとでも言うように侍女は詰問し、エイルは顔をしかめた。
「おい、勝手に話作って広めんなよ」
「そんなことしないわよ。楽しそうだけれど」
にっこりと言われてエイルは天を仰いだ。いまの返答は「はい、隠しています」に近い。別に何も隠してはいないが、ここで否定をすればますます疑われるだけだ。どちらにせよ、お喋り鳥にいいネタを与えてしまったようである。
侍女たちには特に休憩用の部屋がある訳ではなかったが、座ったりお茶を飲んだりするのに都合がいい場所となると限られてくる。エイルは予測をつけた部屋の戸を幾つか叩き、ふたつ外れを掴んでお喋り鳥に話題を提供し、三つ目で目標に出会った。
「俺を探してたって?」
「きたんだ、よかった」
淡い栗色の長い髪にリボンを飾った娘は、さっと立ち上がると青年に笑みを向けた。
「時間、ある?」
「正直に言えば、ない」
「作りなさいよ」
「難しいときもあんだよ」
エイルは苦い顔をしようとしたが、それこそ少し難しかった。
「仕方ないわねえ、お忙しいエイル術師。それじゃ手短に。はい、これ」
言うとレイジュは胸の隠しから何か四角いものを取り出した。差し出されて受け取れば、四つに折った紙切れである。エイルはそれを開くと、なかに書かれている文字を読んだ。
「於サンスリーン……明の年、桃の月、露旬七日……何だよこれ」
「ちゃんと最後まで読む」
「サンスリーン……商人組合は、以下のものを正規に認可を受けて商いをするものと証明する。ケミアン――クエティス!」
後半は早口になって、エイルはその名で読み上げた。
「ほら」
得意そうにレイジュはにんまりとする。
「レイジュ、何だよ、これ」
「気にしてたみたいだから、詰め所まで行って噂の商人様の手形を写し取ってきたのよ。サンスリーンって東国にある町らしいわね。確か」
「ヨア」
エイルは呟くように言った。
「そう、それ。あら、知ってたの? 何だ」
「いや、ヨアのどこかまでは知らなかった」
サンスリーン。エイルが聞いたことのない町だが、東国は大都市や大河の周辺しか訪れたことがない。
「そう? じゃあ、役に立つ?」
レイジュは片眉を上げ、エイルは力強くうなずいた。
「立つ。ものすごく」
本当にそれがクエティスの出身地かは判らない。だが、近いだろう。たとえ〈偽物屋〉と手を組んでいても、本物の手形がないとあちこちうろついて商売をするのは難しい。手形自体が偽物ということも有り得るが、偽造するならば判りやすく大都市の名前を使いそうなものである。それに、名前だって偽名を使いそうなものではないか。以前であれば「クエティス」が本名かどうかを疑ったかもしれないが、塔に届いた報告書めいた手紙のことを考えれば、本名であるようだ。
手形が本物の可能性は高い。となると、クエティスはサンスリーンという町で商人として登録をしているということになる。
エイルは塔に届いていた「報告書」を更に思い出す。故郷の町で商人となったと書かれていた。ならばやはり、これがクエティスの故郷か。
そうでなかったとしても、追うことはできる。
商人の登録には、何かしら面倒な手続きをしなくてはならないのだ。出身地やら紹介者やら、そういうものが要ると聞く。「魔力を持てば魔術師」のように簡単ではない。
もっとも、「魔力を持たなければ決して魔術師にはなれない」に対すれば、「手続きを踏めば誰でも商人になれる」のだから、逆に簡単だとも言えたが。
「じゃ、どうぞ。東でもどこでも行ってらっしゃい」
言うと侍女はにっこりとして手を振った。
「事情は、あとでちゃんと聞かせるのよ」
「判った。シュアラのこと、頼むぞ」
「言われるまでもございません」
王女の侍女は澄まして言った。エイルは踵を返しかけ――躊躇って、とどまった。
「その」
「何?」
恋人同士であった間は、こうして分かれる前には必ずキスを――軽かろうが濃厚だろうが――していたものだ。だがいまの関係は、何とも微妙である。
(ええい)
エイルはさっとレイジュに近寄ると、左手を彼女の片頬に添えて、反対側の頬にキスをした。
「……ありがとな」
「どういたしまして」
いまひとつ反応の薄い返答を聞くと、エイルは今度こそ振り返ると部屋を出る。
背後で娘が、微妙ね、などと呟いていたのは青年の耳には届かなかった。




